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1/1'20
[年賀状]

 あけましておめでとうございます.今年の年賀状です.

 一言のところで「(抽象的?)」というのは,書いてる場合と書いてない場合があります.

 書いてる通りですが,これが今の心境ってことですかね.ちょっと抽象的な感じがするかもしれませんが,私の中では,かなり具体的なイメージがあります.

 ちなみに使われている写真(をデフォルメしたもの)は,昨年,弾いたゴドフスキーのジャワ組曲第4巻第2曲のジョクジャカルタの水の宮殿跡で,昨年は,第1曲のクラトンにての宮殿と譜面です.

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[距離を置く]
(世の中)

 昨日書いたことですが,おそらく多くのまともな人が感じてることですよね(でなきゃ,ほんと世も末).でも,世の中全体というか,目に見えることは,どんどん変な方向に行く.関係ないから別にいいじゃんとか言っていても,例えば,紅白なら,?HKで働いていて,この番組に関わってる(まともな)人は,何やってんだかと思いながら働いてるわけで,大学だって,そういう仕事がどんどん増えてるわけです.

 このどうしようもない無駄というか非効率極まりない社会というか世の中ってことなんですが,方法としては,やはり,できる限りそういうことに関わらない,距離を置くということなんでしょうね.

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 別の言い方をすると,本音と建前,物事の裏表が著しく乖離してきたってことでしょうね.実際,メディアの言うことの多くが嘘ですし,メディアで流れてくることとか,表面的な会話とかインターネットの情報とかしか見てないというか,自分でしっかり考えられないと,騙されてこき使われて搾取されて,人生を棒に振ることになるでしょう.

 背景にあるのは(久しぶりに書く気がするけど),拡大しないパイの食い合いという熾烈なサバイバルで,人のことなんか構ってられない状況(なのに実際は,人間模様的なことを流して洗脳する)で,騙す騙されるの足の引っ張り合いをしてるわけです.

 方策的には,そういう足の引っ張り合いに(極力)参加しないことですが,職業や立場によっては,それは,非常に難しいでしょうが,やり方はあると思います.

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[まんまと]
(世の中)

 全日本実業団駅伝の中継をやってます.でも,箱根駅伝は,関東限定の大学の地方大会で,今日の方が圧倒的にレベルが高いにも関わらず,箱根より視聴率が獲れる感じはしません.

 そもそも,箱根は,どうして視聴率が獲れるのでしょうか? 正月の暇なときにやるからというのなら,今日の駅伝も条件は,同じですからね.

 一つは,元日と二日三日という違いはあるかもしれません.元日は,それなりにいろいろあって,暇になるのは,二日三日ということでしょうからね.

 でも,もっと大きな要因は,感情移入できるからでしょう.箱根は,昔は東京六大学などの関東の有名大学が出ていて,自分の出身校を応援していた人も多かったんだと思います.野球の東京六大学の人気もすごかったですし,大学ラグビーが人気があったのも(ラグビーが面白かったからではなく)そういうことで,自分の出身県を応援する甲子園も同じです.対して,トヨタとか旭化成とか言われても,どこを応援していいんだか,というのが庶民感覚なんでしょうし,社会人という大人ではなく,高校生とか大学生といった「子供」を応援したいということもあるんでしょう.

 更に,箱根については,(視聴率獲得戦略的に)六大学以外の有名大学以外の大学も次々に参入するようになり,「自分の出身校」が出るようになって,益々視聴者を拡大していったということでしょうか.そして,そういう人が増えると,そういうことを話題にする人も増えて,関係ない人まで巻き込むわけです.

 騙す騙される的には,これも「まんまと」ってことですかね.

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[視聴率って]
(世の中)

 そもそも,視聴率って何なんでしょうね? 確かに所詮他者評価かもしんないけど,(民放の場合)数字を獲らないとスポンサーが付かなくて放送そのものができないわけで(?HKも事情は似ている),資本主義社会においては,視聴率が絶対的価値をもつのは,仕方がないこと?

 そうなんですが,だったら,私だったら,そういう仕事はしないってことなんですが,そういう仕事だとしても,視聴率が獲れる番組ってことは,多くの人に見てもらってるってことで,仕事で疲れた人々の心の安らぎというか,ささやかな楽しみを提供してるとは言える?

 そうだと思うんですが,そういうことにどれだけの価値を見出すかってことですかね.

 例えば,昨日の紅白でも(視聴率稼ぎで出てきた)チコちゃんですが,この番組が始まったとき(2年くらい前?)は,あまり体調がよくなくて,金曜の20時くらいだと,横になってることが多くて,他にやることがないので,時々見てましたが,人気出るだろうなとは思いました.

 確かによくできてて,実際,チコちゃんをやってるのは,お笑い芸人ですし,でも,中身的には,どうということはなくて,でも,他にやることなければ,それなりに時間は潰せるというか,そういう程度のものなんですね.私だったら,そういうものを作るのに人生を賭けようとは思わないわけで,でも,これは,人それぞれなんでしょう.

 結局,世の多くの人が,生きて行くために,家族を養うために働き,でも,それだけでは,しんどいので,それ以外のささやかな楽しみが必要で,そういうものを提供する仕事も必要で,そういう仕事をする人も生きて行くために,家族を養うために働くってことで,世の中回ってるってことなんでしょうね.

 何だかなあとは思うのですが,私は,違った生き方がしたいということで,これまた人それぞれということでしょう(と書いておけば,丸く収まるか).

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[今年の抱負?]

 年初ということで,今年の抱負というようなことは別にないのですが,今年は,いろんな意味で,転換点というか,何かが起こるかもしれないし,起こらないとしても,内的な変化が起こるかもしれないというような年になるかもしれません(あくまで雰囲気なので,かもしれない連発(笑)).

 でも,そういうようなことは,昨年も書いていて,要は,私の内面で,何かが起ころうとしているというか,いろいろ考えて,結論めいたことに近づいて来たということがあるかもしれません.

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[現実的には]
(世の中)

 世の中,どんどんグダグダになって行くんですが,どうしたらいいでしょうね?

 何度も書いていますが,この流れは,少子高齢化とか刺すか刺されるかの国際競争とか資本主義経済の行き詰まりとか,新興国への富の再配分とかの背景があって,誰にも止められないので,現実的には,その中でどうするかを考えないといけないということです.

 この流れは,未来永劫続くわけではなく,どこかで資本主義経済の崩壊というか,それに代わる仕組み,あるいは,技術革新によって,定常状態に収束するわけで(そうでなければ,人類滅亡)それまでどうやってこの激動の過渡期をやり過ごすかということでしょうか.

 一つは,そういうことにできるだけ巻き込まれないようにすることですかね.これは,非常に難しいように見えますが,騙す騙されるということは,よく考えて騙されないようにすることでしょう.実際,バブル的に経済が回ってしまっているということは,多くの人が騙されているということですからね.騙すことができれば,目先の利益は得られるかもしれませんが,そういう戦渦に巻き込まれることになるので,得策ではないと思います.

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[引き抜き]
(世の中)

 まさに過渡期の話ですが,優秀な理系人間の受け皿がないとどこかで書きましたが(どこかで半分冗談でアマゾンにでも就職すれば,と書きましたが),GAFAがその受け皿になりつつあるとのことです(例えば,アマゾンの収益は,もはやAWSとかが主体になってると思う).

 具体的には,非常に優秀な高校生は,東大とか京大ではなく,MITとかハーバードとかのアメリカの大学を目指していて,そこで非常に高度なスキルを身につけて,GAFAとかに行くんだそうで,もっと現実的には,極めて優秀なエンジニアも高額な報酬でばんばん引き抜かれてるんだそうです.

 いいんじゃないですかね.高額な報酬とかは,どうでもいいんですが,自分に高い能力があって,それを活かせるところがあるのは,希望があります.

 大学もそのうちやられるんじゃないですかね? 高度で正確な地震被害推定や被害予測とかBCPは,GAFAにとっても死活問題でしょうから,引き抜いてもらえませんかね? もちろん,(高額な報酬とかは要らないですが)仕事が面白いとか自分にしかできないとかやり甲斐があるとかが条件ですけど.

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 具体的には,どんなイメージでしょうね.高額な報酬は要らないですが,人材と投資は,必要です.具体的には,震源,伝搬経路,表層地盤の第一人者も同時に引き抜いてもらわないといけません.物流に重点を置くなら,インフラ関係も必要かな(地震以外の災害も考えるのなら,その分野の人も).

 投資としては,K-NETより密度の高い強震観測網を構築するために,ハード面もそうですが,安価で効率のいい地震計を開発できる優秀なエンジニアやシステム構築のためのエンジニアも必要です.更には,微動を測ったり,研究自体を強力に進める若くて優秀な研究者が大勢必要なのも言うまでもありません.

 そう,これって,本来は,国がやらないといけないことですよね.でも,NASAではなく,民間企業がロケットを飛ばす時代ですから,GAFAのような企業が本来国がやるようなことをやっても全然おかしくないってことでしょう.

 問題は,そういう一見すると金儲けにならないようなことをやるか,ですが,ひとたび大地震が起これば,損害は甚大ですから,そういうリスクマネージメントがどのくらいできているのかってことですかね(できてないんでしょうね).

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 引き抜きもありますが,そもそも教育機関としての大学も,ちんたら授業なんかやってないで,がんがん最先端の研究してもらって,その中でどんどんスキルアップさせていくとかやらないと,大学とか学歴とかすっ飛ばして,GAFAとかにどんどん人材とられちゃいますよ.

 単純に言えば,何かやりたいことがあって,それが,例えば,自動運転車の開発なら,大学行って勉強してから,とかじゃなくて,グーグル行って,実際に開発にたずさわる中で勉強してスキルアップしながら給料もらえるのなら,そっち行くでしょ.

 自動運転もそうですが,そういうものを実現する高速で安価なコンピュータとか通信とかシステムとか,そこを世界で最初に開発したところが,ありとあらゆる分野で圧倒的なシェアを握るのは,日の目を見るより明らかで,そこで熾烈な競争をしていて,日本の企業や研究機関は,もう圧倒的に遅れてるわけで,じゃあ,どうしたらいいかと言うと,とにかく優秀な人材を集めるしかないわけで,でも,それには,資金が必要ってことで,GAFAには到底及ばないってことなんでしょうが,今の若い人達は(そして私も),高給とかよりは,自分がやりたいことをどれくらい思う存分できるかの方に魅力を感じるわけで,そういうところに活路はないんですかね?

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 身近なところだと,建設業界はどうかですが,何度か書いてるように,建物は,生きて行く上で必ず必要なもので,(日本は)人口は減って行きますが,高度成長期の建て替え需要とか,メンテナンスは必要で,アマゾンもグーグルも,電気自動車のように簡単には手は出せないでしょうから,しばらくは大丈夫な気はしますし,そこに人材を送り出す大学の建設系(の教員)も然りということでしょうか.

 でも,大手ゼネコンが本気出してAIとかロボットとかを使った自動設計建設システムを開発というか,そういうことができる人材を青田買いし始めれば,大学も安穏とはしてられないかもしれませんね.問題は,そういうことを考えられるレベルの人間がいるかということですかね.

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1/3'20
[ほっときゃええやん]
(世の中)

 このサイトで世の中とか大学とかに批判的なことを書いてますが,大学は,自分に降りかかることだとしても,世の中については,○ホな奴は○ホなんやしほっときゃええやんと思う人もいるでしょう.

 そうですね.その通りだと思います.ていうか,ここで勝手なことを書くだけで何もしてないわけですから,ほっといてるようなもんでしょう(笑).そもそも,ここで何か書くのも,どんどん変な方向に行く世の中を何とかしたいと思ってるわけじゃないし,そもそも,そんなことは誰にもできないし,でも,気づいちゃったことは,書いておかないと気が済まないというだけのことですからね.

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[どういう人間が有能か]
(世の中)

 この記事を書いて思ったんですが,どういう人間が有能かが大きく変化して行くということですよね.例えば,高度成長期は,頭がよくて勉強ができて体力もある勤勉な人が有能というか成功した?んでしょうが,これからは,頭がいいというのは,そうかもしれませんが,それは,事務処理能力とか数理脳とかいうよりIT系というかプログラミングというかデータ解析力というか,そういうことに特化した能力が求められるわけですからね.

 プログラミングというのは,プログラミングをする人はわかると思いますが,単に頭がいいとかとは違ったかなり特殊な能力で,できる人はめちゃくちゃできるけど,できない人は,プログラミング自体が何なのかもわからないわけで,ものすごい能力差になるんですよね.

 いやいや,プログラムを書く人間なんか末端の労働者なんじゃないの?と思う人も多いと思うのですが,現実には,そういう人材が著しく不足していて,法外な報酬で引き抜き合戦が行われてるわけです.

 でも,そういう技術者は,何かシステムを作ろうと思ったときにそれを具現化するのが仕事なわけで,もっと重要なのは,そういうシステムそのものを考えられる人でしょう.アマゾンとかグーグルとかFBが成功したのは,まさにそういうシステムを考えて,なおかつ,それをいろんなことを絶妙に勘案して具現化したからに他ならないわけですからね.

 アマゾンやFBはともかく,検索エンジンという発想というか発明は,確かにすごかったわけで,でも,グーグルが大成功したのは,そこのところというより,いかに具現化したかというところなわけで,それは,アマゾンやFBも全く同じです.

 でも,結局,ビジネスといった範疇での話なんですが,資本主義社会においては,そういう能力をもった人が社会的に成功するようになっていくということですかね.

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 研究者はどうですかね? そういう分野の人はそうですし,そういう分野が拡大していくとも思いますが,どんなにすごい地震被害推定システムが作れるとしても,震源,伝搬経路,表層地盤,構造物の知見なしには,絵に描いた餅ですし,何でもかんでもAIとかロボットとかビッグデータで何とかなるわきゃありません.

 いや,過去の大地震のデータをAIに食わせれば,物理とか力学なんか要らないと思ってる人は,何もわかってません.それは,過去に起こった大地震のデータなんか,まだまだ極々僅かに過ぎないわけで,じゃあ,どうしたらいいかということで,必要なのが物理とか論理なわけです.

 教師データがなければ,AIなんかどうしようもないわけで,つまりは,教師データがないもの,そういうものを作り出せないものを研究すべしってことですかね.

 ていうか,教師データがないものこそが研究ですよね.ですから,研究することは,いくらでもあるってことですし,研究することさえあれば,何やってもいいのが研究者です.

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1/4'20
[そこを制すれば]
(世の中)

 私個人的には,(人生の)成功とは,やりたいことを見つけてやりたいことをやることなんですが,資本主義社会においては(多くの人にとって),社会的,そして,経済的成功になってるってことなんですが,食べては行かないといけないわけで,前者と後者は,全く別物ですが,「シームレス」に繋がってもいるわけです.

 第一義的には,とにかく食べては行かないといけない,そして,どうせ仕事するなら,やりたいことということなんですが,私の場合,興味がもてることを何とか見つけて,研究者という道を選んだのですが,王道?的には,勉強していい大学に行って,大企業とか官庁に行くとか,医者とか弁護士になるとかで,それ以外には,ビジネスを起こすとか,芸術とかスポーツとか芸能とか,いろんな道があるんですが,そういう中で,自分のやりたいことと得意なこととのバランスとか,リスクとリターンとかを勘案して,自分の行く道を選択するわけです.

 こういうものは,時代とともに変化するわけで,例えば,一昔前は,ゲームがどんなに得意でもそれで飯を食っていくことは,できなかったんですが,それも(非常に狭き門だが)可能にはなっていて,YouTuberのような新しい職業?も出てきてるわけです.

 そういう中で,AIというかIT技術者がどうなのかということですかね.

 どんな分野でも,そこでトップまで行けば,飯は食えるわけで(例えば,芸術とかスポーツとか芸能とか),でも,それは,一か八か的なところがあって,逆に言えば,つぶしがきくかどうかも重要な要素になります.

 例えば,研究者は,なるのは大変ですが,芸術とかスポーツほどではなくて,ある程度は,つぶしもきくでしょう.いわゆる勉強していい大学行ってという王道?が推奨されてるのもそういうことがあります.

 そういう王道?の中にITが大きく入ってくるということですかね.

 この分野は,「勉強していい大学行ってのパターン」の中の一つでもありましたし,今に始まった話でもないんですが,単に『「勉強していい大学行ってのパターン」の中の一つ』ではなくなってきたというか,どれだけのスキルをもっているかで決まるので学歴なんか関係なくて,世の中の中で今までよりもっと大きな部分を占めるようになってきたというか,なっていくということですね.

 そして,この分野も他の分野と同様,やれば誰でもできるといったスキルではなく,ものすごい能力差があって,そういうことに興味をもてるかということも大きいですし,教科書もないというか,技術は日進月歩なので,教科書は,半永久的にできないわけで,つまり,非常に参入のハードルが高いとも言えるんですが,逆に言えば,そこを制すれば,ということですね.

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 もっと平たく言えば,勉強して大学なんか入るより,そういう分野のスキルをどんどん身につけるという道もあるということですかね.グーグルやアマゾンに入って高給をもらうとか,起業して自分でビジネスを立ち上げるとか,フリーランスとして,非常に高い時給で最低限働いて,あとは,やりたいことやるとか,働き方というか生き方の選択肢も広いでしょう.

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 そうすると,極端な話,中卒でもOKってことなんですが,人間形成的なことを考えると,仕事さえできればいいというものではないですから,そこをどうするかですね.グーグルとかアマゾンは,そういうところまで考えてるとは思うのですが,現状では,一応勉強もして,大学くらいまでは,行っとくかということなんですかね.

 いろんな人間と出会って,話をしたり,いっしょに何かすることは,重要で,高校や大学は,そういう「場」を提供しているとは言えますからね.でも,そこで,一日中机に縛り付けて授業するとかいうのは,もう時代遅れだと思いますよ.

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1/5'20
[十数年経つと]

 どこかで,十数年経つと,30代後半の青年が50代前半の中年と書きました.そして,今,50代後半ってことは...十数年経つと,70代前半の老人なわけです.

 なんだかなあってことなんでしょうが,一言で70代と言っても人によって全然違うわけで,年齢とか気にしなければいいというか,見かけとか実年齢ではなく,中身的にどうかということですから,結局,自分次第ってことですね.

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[みっともない]
(世の中, スポーツ)

 年が明け,オリンピックイヤーということで,盛り上げて行こうって感じですが,オリンピックに限らず,トップレベルでスポーツをしているのは,みんなまだ若い人達で,それをいい大人がよってたかって持ち上げるのは,やっぱり,みっともないです.

 もちろん,若い人達がスポーツに限らず,何かやりたいことがあって,それに全力で打ち込みたいということなら,大人は,応援したり,サポートしたりしてあげるべきでしょう.でも,サポートしてるようで,(メディアとか,スポーツビジネスとか,オリンピックとか)多くの人間が彼らにたかってるのが実態なわけです.

 持ち上げられる若い人達にしても,法外な報酬をもらったり,英雄視されたり,彼らにとってもいいことではないでしょう.

 何度も書きますが,スポーツは,何かのためにやるものではなく,本人がやりたいからやるもので,結果を出したとしても,別に偉くなったわけではありませんよ.

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 若い人達にしても,スポーツをやるのは,いいと思いますが,それ以外のことを全て犠牲にしてまでやるのは,非常に危ういことです.ちゃんと生きて行くには,たった一つのスポーツに著しく長けても(いくらお金を稼いでも)だめなのは,明らかですし,スポーツがトップレベルでできるのは,若いときに限られるわけで,その後の人生の方が何倍も長いですよ.

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[嘘になる?]
(研究)

 私にとって研究は,無償でもやりたことと再三書いて来ました.でも,そうすると,大学を定年でクビになっても研究は続けるということになります.もし,そうでなければ,自分が言っていたことが嘘ということになってしまいます.

 もちろん,大学を定年でクビになれば,学生達はいなくなりますから,彼らを指導し育てながらというやり方はできなくなりますが,助手時代に戻って,一人でしこしこやればいいってことでしょう.

 あるいは,こういう形もあるかもしれませんし,できる範囲でできることという意味では,ちょっとでもどういう形でもいいのかもしれません.

 でも,やりたくないことはやりたくないでしょうし,それは,自分が言っていたことが嘘になるとかは,関係ないし,やりたいことがある時期を境にそうでもなくなることもあるでしょうから,その時になってみないとわからないってことですかね.

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1/6'20
[仕事も続けなければならない?]

 もっと言えば(嘘になるとかならないとか関係なく),体や脳がしっかり動いている間は,年金もらってないで働いて,若い人達への負担を減らすべきとも言えるかもしれません.

 そうですね.面白いか,私にしかできないか,やり甲斐があることなら,やってもいいですかね.そうでないことやっても,結局,目先の経済を回して借金が増えるだけで,若い人達の負担は,増えるわけですからね.

 でも,私からやらせろということはないですし,お前はもう必要ないということなら,喜んで年金もらって静かに暮らしますし,それこそが若い人達のためになるのかもしれません.

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[めんどくさい]

 なんかいろいろめんどくさい(笑)ですよね.いろんな人と話をすると,歳をとるとそうなるということらしいです.ですから,そういう風にDNAに書いてあるというか,そもそも,人生50年ですから,当然のことなわけです.

 でも,実際は,人生はまだまだ続く(かもしれない)わけで,めんどくさいと言って,何もやらなくなって,それこそ寝たきりになってしまっては,気分よく楽しく過ごしていくのは,難しいかもしれません(と書いたものの,寝たきりでも何とか食べて行けて,それで本人がよければ,それでいいのかも).

 そもそも,歳をとるといろいろめんどくさくなるというのは,どういうことですかね? めんどくさいというのは(特に怠け者の私からすると),今に始まった話ではないわけで,若い時もめんどくさかったですからね(笑).つまり,若い時のめんどくさいと年寄りのめんどくさいは,何が違うかということです.

 体力とか気力の差? それはあるとは思いますが,それ以外には,これから頑張って食べて行かないといけないということがなくなったということもあるでしょう.実際,最近の若い人達の気力が衰えてるのも,昔ほどそういう切迫感がなくなったということがあるでしょうからね.

 でも,これは,どうしようもないですかね.不便で厳しい時代に戻ることは不可能ですし,勤勉で真面目でない私は,散財して自分を追い込むなんてことはできないし,やりたくもありません.

 じゃあどうしたらいいかですが,基本的には,無理せず,体力と気力が続く範囲で,やりたいことをやればいいと思いますが,いろんなハードルを下げることは,必要かもしれません.例えば,私は,防音室付きのグランドピアノをもっていますが,もしもってなかったら,途端に弾かなくなってしまうと思いますからね.実際,車で5分のゴルフの練習場にすら全然行かないですからね.

 逆に言えば,わざわざ出かけなくてもできることをやるべしってことかもしれません.実際,ピアノは,それで何とか続いてるわけですし,このサイトに文章を書くこともそうですし,テレビやインターネットを見たり,ゲームをしたり,本を読んだり,音楽を聴いたり,映画を見たり,できることは,いくらでもあるでしょう.対象を選べば,研究だってできるでしょうしね.スポーツというか,運動もそういう環境を構築できたらいいですね.

 もちろん,出かけたくなったら出かければいいですし,要は,出かけたくないのに無理やり出かけるのではなく,出かけたいから出かけるというように,ということでしょうか.

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[あなた次第]
(世の中)

 箱根駅伝ですが,ちらちら見てる程度でしたが,筑波大は,最下位でした.出られない大学がほとんどという状況で,出るだけでも立派と言う人が多いんでしょうが,筑波大の他の部は,箱根という地方大会はおろか,全国大会で上位とか優勝とかしてるわけですから,恥さらしとは言いませんが,陸上長距離の弱さを箱根に出ることで大々的に露呈してしまったとは言えるでしょう(ちょっと厳しいか).

 でも,そんなことより,今回,好記録が続出した原因について,天候もありますが,最新の〇イキのシューズが大きい(なんと8割の選手が着用)ということらしいです.しかも,この靴,3万円もして,なおかつ,すぐだめになるんだそうです.どう思いますか?

 まさに金儲けの仕組みですよね.箱根を見て,このシューズを履けば,タイムが縮まるということで,多くの市民ランナーがこぞって購入して,レースごとに履きつぶしたらどうなりますか? まさに坊主丸儲けで,乗っかる方は...ってことでしょうか.

 サブスクもそうですが,パイが拡大しない中で,企業は,こういう「金儲けの仕組み」をどんどん仕掛けてくると思います.そして,騙されるか騙されないかは,あなた次第です.

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[謎の駅(線)]
(地理)

 横浜国大駅(正式名称は羽沢横浜国大駅)ですが,将来的に私にとっても無関係ではなさそうで,ちょと調べてみたんですが,何とも不思議な駅ですね(一部では,秘境駅(笑)とも言われてる).

 まず,Googleマップでは,新駅も新線も出てきません.検索をかけると新駅だけ出てきました.つまり,駅だけぽつんとあるのです.どうやら,貨物線を使うらしく(どこかで書いたかもしれませんが,生麦のあたりで長いトンネルを出てくる奴),でも,それは,Googleマップでは,表示されないのですが(Mapfanではかろうじてほっそい線で表示),横須賀線に乗り入れて,武蔵小杉経由で埼京線に乗り入れるんだそうです.そして,羽沢横浜国大駅の次の駅がなんと武蔵小杉なんですよ.特急(笑)?

 更には,2022年度末に東急とも乗り入れるらしく,新横浜(新駅)とか日吉を通って,こちらも直通になるんですね.

 こっちの方がわかりやすいですが,そのときは,JRへの乗り入れは,どうなる? 鶴見に止まらなければ,遠回りするだけ? それとも,特急?なので,そっちの方が東京に行くには早いし複数ルートで混雑緩和?

 やっぱり,何とも不思議な駅(線)です.

 

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 だいたいのところは,ストリートビューで「行けて」,それでほぼほぼ事足りるのですが,今回は,それができないので,こりゃあ,一度行ってみるしかないか(実際は,そんな暇あるわけない)とも思った(一瞬萌えた(笑))のですが,こんな動画がありました.便利な,でも,「出かけるところがない」世の中になりましたね.

 でも,悲観?することはなくて,ていうか,便利になったわけですから,余計なことをしないで済んで,その分,やりたいことを(内的熟達的に)やって行けばいいってことで,でも,実際のところは,ほんとにやりたいことがあるのか,という真価が問われるというか,ある意味,厳しい世の中になったというか,そういうことで,非常に大きな差が付く世の中になったということです.

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[本質的にそういうもの]

 生きていれば,いろんなことがあるというか,いろんな(外的な)ことがなくても,(内的に)寂しくなったり,虚しくなったりするわけで,そういうときにどうしたらいいかですが,やり過ごすということもあるんですが,(人生って)「本質的にそういうもの」ということなわけで,そう考えるというか,そういうことを素直に受け入れると,そういう感情自体がなくなるというか,共存できるというか,割と大丈夫になります.

 逃避するという方法もあるのですが,逃げ切れるもんでもないし,だったら,潔く諦めて受け入れた方が楽だと思うんですよね.

 これも一種の精神修養のような気もしますが,精神修養というよりは,方法論的,技術的という感じで,(解決しない問題なので)そういうやり方が理にかなってる気がします.

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[赤っ恥]
(世の中)

 世紀の逃亡劇とか周到な計画とか映画みたいとか,ゴーン逃亡でもちきりですが,確実に言えるのは,日本という国が全世界に対して赤っ恥をかいたということです.用意周到というよりは,大きなケースに身を潜めるというしょーもない方法で逃亡できてしまうという方が驚きです.

 こういうこと,ほんと増えてますよね.この国は,沈んで行くと何度も書いていますが,それがこういう形でも現れたような気がしてなりません.

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[今日の予想]
(経済)

 年初ということで,今朝のモーサテでやってました,今年の展望.みんな総強気(今年は,前半高と後半高)で,当たるわけないっちゅーの(年末にいつも大反省会.去年も).

 それは(しょーもない話なので)いいんですが,誰かが最後に今年ではなく,今日の予想をきかれて,今日の予想なんかしてもしょうがないと言ってました.いやいやいや,今年の予想なんか当たるわけないし(一年後のその日の天気を当てるようなもの),今日の予想が当たるとしたら,一年は,営業日ベースで250日はありますから,機会を増やして確率再現性を高めて複利で回せば,とんでもないことになりますよ(例えば,1勝1敗ペースで,僅かに,例えば,1回当たり,0.1%だけとれれば,年利28%なので,10年で13倍).

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1/7'20
[2つ(1つ)のターゲット]
(世の中, 経済)

 どこかで,金儲けしたいんだったら,金持ちをターゲットにしたらいいと書きました.例えば,高級マンションとか高級車とか高級ホテルとか高級料理とか,高級と付くものは,利益率が非常に高い,つまり,実際の価値は,価格より遥かに低く,数は多くなくても額が大きいわけですからね.

 単純に言えば,金儲けというのは,安く仕入れて高く売る,つまり,売るときに仕入れ値(実際の価値)より(いかに騙して)高く売るかということなんですが,騙すという意味では,騙されやすい人をターゲットにすることも考えられます.

 実際,拡大しないパイの食い合いになっていくということで,サブスクとか,キャッシュレスとか「計算ができない人」を騙して金儲けすることがどんどん行われるようになってきました.金持ち相手よりも利益率は低いですが,数が膨大で,騙されやすい=貧困層というわけではないですが,金持ちとその反対側にいる人達という2つのカテゴリーがターゲット(カモ)になるわけです.でも...

 金持ちとか言ったって,目先の経済を回していろんな人に迷惑をかけてるわけですし,大して価値のないものに散財するということは,完全に騙されてるわけで,結局,2つのターゲットと言っても,実質1つ(騙されやすい○○)ということですね.

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[準備ができてる状態]

 定年後問題は,結局,生き方問題というように,要は,何事もしっかり準備できている状態というか,そういうことに向かってやるべきことをやっているかということかもしれません.

 そもそも,定年があろうがなかろうが,いつどういう形で仕事を失うかもしれないですし,それには,経済的なこともありますし,仕事を失っても,他にやることがあるのかということがあるわけです.いつでも引っ越せる状態というのも,仕事を失ったり,逆に,もっと研究できるというか,こんなことやってどうすんだ?ということをやらなくて済むところに移れるチャンスが来た時も慌てることなく対処できるということです.

 そういう状態で過ごすことができれば,いろんな外的な要因に惑わされることなく,自分が必要とされようがされまいが,気分よく過ごしていけると思うんですよね.

 そして,究極的には,いつ死んでもいい状態というか,それは,充分やることやってきたかということもありますし,そういう状態に近づけるように,ということでしょうか.

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[気がつけば]
(世の中)

 気がつけば,私か少し上くらいの世代の人達が世の中を動かしているわけで,私がまだ若かった頃に世の中を動かしていた世代のところに来てしまったというのが信じられないというか,違和感があります.そして,このグダグダな世の中なわけで,連帯責任というわけではないですが,一体,何が問題だったのでしょうか? 人類史上最大の曲がり角に直面したというか,難しい時代ということ?

 それはそうかもしれませんが,それにしてもしょぼすぎますよね.大きな理由としては,優秀な人の受け皿がないというか,賢い人は,世の中を動かそうなんて思わなくなったってことでしょうが,ちょっと今のままでは,まずいですよね.

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[何かに気づいて]

 何かに気づいて,ここに何か書くことがあるということは,少しでも中身的に成長というか,何かに近づいているくということなんだと思います(中には思い過ごしもあるかもしれませんが).

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1/8'20
[もし私が80だったら]

 60年近く生きてきて,ということは,この年齢までのことは,わかるけど,これより歳をとった状態のことは,まだわからないということなんですが,想像することはできます.そして,しっかり想像して,準備をすることが大事だと思うんですよね.

 例えば,(もうすぐだけど)自分が今60だったら,どうでしょうか? もちろん,人間,いつ,病気とか事故で死ぬかもしれないんですが,何事もなければ,まだ数十年という人生は残ってるわけですから,そこをどう過ごしていくかは重要で,そういう意味では,今とそんなに変わらないですかね(ていうか,もうすぐだし).

 じゃあ,70だったら? 残り数十年ということでは,そんなに変わらない気もしますが,体力とか気力とかの衰えは,あるかもしれませんね.でも,70代でまだまだ現役という人もいますし,やることさえあれば,まだまだ楽しんで行けるんじゃないですかね.

 80になると,少し様子が変わってくるかもしれません.日本人男性の平均寿命は80くらいですから,平均くらいは生きられたかと思うとともに,もう死んでる人も多いわけで,自分もそろそろかもと思うかもしれません.でも,平均年齢ではなく,80になったときの日本人男性の平均余命は,9年くらいですから,そこからの平均は,あと10年くらいあるわけで,でも,何となくあと数十年から10年という,期限がかなりイメージできる段階に来たとも言えます.80くらいを境に体力的にも大きな変化があるとも言われてますしね.

 でも,逆に言えば,それまでどう過ごしてきたかで,そこで大きな差が生じる,つまりは,80だけど70とか60代くらいの体力があれば,まだまだ楽しむことができるというか,そうなるように日々過ごしていくということですかね.

 そういう意味では,90とか100になっても同じかもしれません.この歳になると,もういつ死んでもってことはあるでしょうし,体力的にも,さすがに厳しいかもしれませんが,そこを今からしっかり想像して,体と脳をケアしていくということでしょうし,それでも衰えるのは,避けられないとしても,できることは,いくらでもあるでしょうし,明日死ぬとしても,それで今日を生きる意味がないことはないし,まさに日々を暮らしていくということでいいんだと思います.

 でも,いろいろ想像しても,なってみないとわからないところはあるわけで,一方では,高齢の人達を見ると,楽しそうに過ごしている人も多いし,意外とそんなに心配することはないのかもしれませんが,やはり,体と脳の健全をできるだけ維持するのは,重要だし,そのための「準備」は,もう始めないといけないんだと思います(何もしないのは,ほんとにやばい).

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[平均余命]

 平均余命という概念がちょっと面白いかもしれません.普通に知られているのは,平均寿命で,これは,0歳児の平均余命です.でも,実際は,みんな既に何十年か生きて来ていて,そうすると,今の年齢+平均余命は,平均寿命を上回ります.

 例えば,日本人男性なら,80くらいになったら,平均寿命に達したから,もう死ぬんじゃなくて,平均余命は,9年くらいあるわけです.そして,その9年を生きると今度は,平均余命が4年になって,というように,どんどん寿命が「逃げて行く」んですね.

 要は,生きれば生きるほど寿命が伸びるということなわけで,データ自体は,統計的なものですが,中身的には,「過去の実績」が未来に反映するということで,やっぱり,ちょっと面白いですね.

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[スクワットではない]
(体)

 筋トレの王様と言われるスクワットなんですが,確かに効果はあるんですが,少なくとも私に必要なトレーニングは,「スクワットではない」と思っています(なので,最近は全然やってない).私に必要な,というのは,もちろん,バドミントンの競技力もありますが,歳をとっても体が動くようにということもあるわけで,そういう意味では,私にとってというより,もっと一般的に言えることかもしれません.

 具体的には,歳をとった人でスクワットがばりばりできる人って結構いるんですね.でも,体がばりばり動くかというと,そうでもないわけです.実際,スクワットって「止まった状態」でやるわけで,でも,止まった状態では,「体が動く」とは言えないでしょう.

 じゃあ,スクワットじゃなくて何かと言うと,それは,秘密(笑)と言いたいところですが,ランジです.何を今更ってことですが,やり方はあって,これもスクワットのように,止まってやらないことです.つまり,決定的な違いは,スクワットは,止まってしかできないけど,ランジは(やり方によっては)動きながらできるということですかね.

 実際,やってみてください.スクワットはばりばりできても,ランジは,意外とよろよろすると思いますよ.

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1/9'20
[本音?]
(このサイト)

 このサイトを読んでいただいているある方からの年賀状に,本音を書きたい誘惑にかれらない?というようなことが書いてありました.わかるんですが,ちょっと意外な感じもしました.というのも...

 このサイトってかなり本音を書いてると思うんですよね.こんなことまで書くの?みたいな(笑).何度か書きましたが,ここで書いてることに嘘は全くありません.でも,全世界に公開してるわけですから,書けないことはいくらでもあります.

 そういうことを「本音(じゃない)」と言うんですかね? だとすると,このサイトに限らず,普段の会話もそうですよね.心の中で思っていることでも,人間関係的な社会的な事情を勘案すれば,言ってはいけないことはたくさんあるわけです.

 そういう意味では,人間関係とか会話とかコミュニケーションとか言ったって,本音とは程遠い上辺だけのものということなんでしょうか?

 というか,そこのところの匙加減がめちゃめちゃ重要ということですよね.これをちょっとでも間違えると大変なことになります.そういう意味では,このサイトも,書いてることに嘘はないし,本音というか,こんなことまで書いていいのかというようなことまで正直に書いてますが,ほんとに書いていいかどうかは,細心の注意を払っています.

 でも,敢えて言えば,そんなの別にどうでもいいじゃんというところもあるわけで,例えば,ほんとはこう思ってるということを正直に書いて,壊れるような人間関係ならそれはそれでしょうがない気もするし(ただし,人を傷つけるようなものはだめ),自分に不利益になると思われることがあっても,それを受け入れればいいし,結果的に,それが不利益になるとも限らないわけで,ある程度の節度を守りながら,自分に正直にというか,元々,そんなにないんですが,そういう(ある意味つまらない)拘りがどんどんなくなってきたということはあると思います.

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[チャレンジできるようなこと]

 定年とかで自分が社会から必要とされなくなっても大丈夫なように,ってことなんですが,やっぱり,それが難しいんでしょうね.必要とされてなくても,やってて面白ければやる(内的熟達)ってことなんですが,人間,どうしても安きにつくわけで,歳をとって体力も気力も衰えるなら尚更でしょう.

 怠け者の私なら更に尚更で,まだ何とか働いているのは,私の研究室に来て研究したいという学生がいてくれるからで,そういうことがなくなれば,もう何とか一仕事できたし,もういいやと思っちゃうかもしれません.

 でも,逆に言えば,そういう学生がいるおかげで,何とか頑張れてるとも言えますし,定年後,あるいは,定年前でも,私のことを必要としてくれるところがあれば,頑張って役に立ちたいとは思いますし,そうであるように自分自身を高めておかないといけないとも思うわけです.

 でも,そうすると,定年とかでもうお前なんか要らないと言われれば,それまでなわけで,それはそれで,もう勝手にやりたいことやって行けばいいからラッキーとも思うのですが,やりたいことやるのにもそれなりのエネルギーは要りますから,そういう状況で,どうなるのか,ある程度,自堕落に過ごしていくとしても,それで楽しく気分よく生きて行けるのかということなわけです.

 でも,やっぱり,社会から必要とされるとかされないとか超越したやりたいこと,やる価値のあることが必要,それを,定年とか,お前なんか要らないと言われる前に開拓しておくことが必要で,それが準備ということなんでしょうね.

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 でも,これは,並大抵のことじゃないでしょうね.誰しも趣味程度のものは,あるでしょうが,それをやる価値のあること,例えば,自分にしかできないというレベルまでもってくるのは,生半可なことではありません.

 もちろん,そんなレベルまでもってこなくても,趣味程度でやってて,楽しいのなら,それはそれで全然問題ないですが,仕事で成功した人は,そうは行かないと思うんですよね.

 でも,だとすれば,そういうものを見つけて,チャレンジし続ければいいとも思います.問題は,チャレンジできるようなことか,やることによって,自分の中の何かが向上したり,自分を表現したり,未知のものが解明したり,作品のようなものを作ったりすることか,ということでしょう.

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[思うようにはならない]

 難しいのは,そういうことじゃないかもしれませんね.それは,自分が必要とされるかどうかがわからないということです.

 必要とされるのなら,頑張って役に立とうとするものでしょう.でも,そういうつもりでいると,要らないと言われる.じゃあ,もう好き勝手やろうと思ってると,あなたのことが必要だと言われて,めんどくせーなーとなっちゃう.どうすりゃいいの?

 もちろん,どっちになっても大丈夫にしておけばいいってことなんでしょうが,論理的にそうは行かないわけで,まさに二律背反なわけです.

 できるとすれば,もう好き勝手にやると決めてしまうことでしょうね.でも,そうすると,必要だと言われたとき,(面白そうでも,自分にしかできないことでも,やり甲斐があっても)断らないといけないし,それは,頑張ればできるとしても,ほんとに困って助けを求めてきたときに見殺しにすることは,できないと思います.

 てことで,結局,自分の思うようには,ならないわけで,まさに自然の流れに従う,つまり,自分が必要とされているうちは,(面白そうか,自分にしかできないか,やり甲斐があるかなら)やる,必要とされなくなったら,潔くそれを受け入れて,好き勝手にやるってことで,問題は,そこをどう移行していくか,うまくソフトランディングできるかってことですかね.

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 方法論としては,やはり,「分散」ですかね.つまりは,仕事以外にもそういうものをいくつかもっておくということでしょうか.そうすると,仕事で,もうお前を要らないと言われても,仕事以外のそういうことをやって行けばいいわけで,つまり,そういう仕事以外のことが,自分が必要とされるとかされないとか関係ないことである必要があります.

 ポイントは,仕事でお前は要らないと言われてからでは遅くて,仕事をしているときから,やってないといけないわけで,それは,「やりたいことなら今やる」とも対応しています.問題は,何を選ぶかですね.

 趣味に毛がはえた程度では,だめだと思います.もちろん,それで大丈夫な人もいるでしょうし,それはそれでOKですが,仕事で成功した人は,それでは厳しいと思うんですよね.

 そんなことなら,既にもっている能力を活かして,何とか仕事を続ける方が現実的なのかもしれません.必要とされるかどうかは,社会次第ではあるんですが,他者評価より自己評価的に言えば,自分を信じて勝手に自分でやればいいわけですし,起業してもいいでしょう.それでうまく行かなければ,自分に能力がなかったと思って,潔く諦めればいいだけの話ですし,死ぬまで食い下がってもいいでしょう.

 でも,それでも今の仕事を選ぶかどうかは,別問題ですかね.もっと,他にやりたいことがあるかもしれないというか,そういうことになるかもしれないですし,これまた,自然の流れに従うということでしょうか.

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[惨憺たる?結果]

 私は,目標とかは立てないんですが,昨年の始めに「ある目標」を立てたと書きました.それは,何だったかと言うと,休暇をとるという「目標」です.具体的には,休暇を取って,スキーとかゴルフに行くという「目標」を立てたわけです.結果は...

 スキーは(研究室でも行ったし),そこそこ行ったと思いますが,ゴルフには,全く行かず,達成率は,目標に届かないどころか,僅か数割という惨憺たる?結果になりました.

 いやいや,そんだけ仕事が忙しかったら,当たり前? そうですね.みんなそんな感じなんだと思います.でも,ほんとにやりたいのなら,仕事が忙しいとかは,関係ないと思うんですよね.つまり,惨憺たる?結果になったのは,「そんなにやりたくない」ってことなんだと思います.

 じゃあ,それでいいじゃん,とは行きませんね.スキーとかゴルフが「選ばれる」かどうかは,ともかく,結局,仕事しかしないのでは,仕事を失ったらどうなるんだ?ということです.つまり,どうして惨憺たる?結果になったのかをしっかり考える必要があるということです.

 スキーは,そこそこ行ったと思いますから,ゴルフですかね.お誘いがなかったというのは,あるとは,思いますが,それこそ他者依存なわけで,ほんとにやりたいのなら,自分から誘えばいいし,一人で行ってもいいわけですからね.

 単に興味がなくなってきたというか,元々その程度の興味だったというのなら,その通りでしょうし,ゴルフとゴルフ以外にやってることは,「実績」が全然違いますが,感覚としては,ゴルフがそうなるのなら,何だって,そうなる可能性はあると思うんですよね.

 つまりは,何をやるにせよ,どうして,それをやるのか,ということでしょう.具体的には,やる仕事三要素で言えば,単に面白いのか,自分にしかできないのか,やり甲斐があるのかということでしょうか.単に面白いのなら,別段問題ないでしょうが,問題は,やはり,自分にしかできないのか,でしょうか.

 仕事じゃないんだし,自分にしかできないなんてことはないだろうということなんでしょうが,そうでもないと思うんですよね.具体的には,ピアノなら,知られざる近現代曲の紹介とか,自分ならこう弾くというイメージが湧く曲をそう弾くということがあるわけですし,スポーツなら,自分にしかわからない運動原理を見出したいということがあるわけですからね.

 バドミントンは,そういうことで何とか続けているようなものですし,思い起こすと,一時期,ほとんど行かなくなっていたスキーにまた行くようになったのは,そういうことがあったわけで,ゴルフもそういうことを忘れてしまっていたのかもしれません.

 でも,シーズン的には,スキーですかね.問題は,シーズンが終わったときに,去年のように「忘れてしまわないか」で,そういう意味で,この記事に書いたことをしっかり憶えておかないと,ですかね.というより,やっぱり,やりたいなら今やる,ですかね.

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[研究のための研究]
(研究)

 研究は,仕事とか関係なく,やりたいからやってるんですが,正直に書くと,定年とかで大学を辞めて,学生達がいなくなった状態で,研究を続けていくというイメージがもてないです.それは,学生達を育てながら研究する楽しさを知ってしまったということもあるんですが,大学を辞めて,一人でしこしこやってても,ぱっとしないというか,何となくそういうイメージがあるんですね.でも...

 ぱっとしないのは,やってることがぱっとしないからですよね.だったら,ぱっとしなくないことをやればいいってことなんじゃないですかね.

 もっと具体的に言うと,世の研究の多くは,「研究のための研究」です.研究して結果を出して論文を書いて業績を積むためとか,そんなにやらなくていいのに,なかばむりくりやること作ってやるとか,そんな感じです.そして,近年は,「業績の定量的評価」ということで,そういう傾向は,益々強まって来ていて,つまんない論文のオンパレードです(本音炸裂(笑)).

 そして,そういう研究しかしてないのなら,大学を辞めれば,注目されないというか,必要とされないのは,当然の流れですよね.つまり,どういう研究をしてきたかが如実に現れるということじゃないですかね.

 じゃあ,お前はどうなんや?ということですが,少なくとも,そういう研究は,してませんし,そもそも,そういうことに興味がありません.もちろん,自分で勝手にそう思ってるだけかもしれませんが,地震が起こって,どういう地震動が発生したから,被害が出たとか出なかったとか,これから起こる地震についても,どういう場所のどういう建物が被害を受けるのか受けないのかって,多くの人が興味があるんじゃないですかね?

 そういうことを研究していて,まだまだやることあるのに,(勝手にそう思ってるだけかもしれませんが)誰よりも真理に近づいてるのに,大学を定年でクビになったくらいでやめてしまうのは,勿体なさ過ぎるのかもしれませんね.

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1/10'20
[研究のための研究でも]
(研究)

 うーん,でも,「研究のための研究」でもいいというか,研究って,本来そういうものかもしれませんね.業績を積むためだけの研究は,つまらないと思いますが,本人が興味があって,やって楽しければ,誰からも見向きもされなくてもやるのが研究でしょうからね.

 でも,それだとめげてしまうということであれば,それほど興味がないということでしょうから,さっさとやめて他のもっと興味があることをやればいいというだけの話です.

 でも,それでも,評価を目的に研究するわけではないですが,結果的に評価されれば,悪い気はしないでしょうし,世の中の役に立っているとは言えますから,ないよりあった方がいいということでしょうか.でも,そんなのなくてもやるのが研究だとは思います.

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[自分が何を望んでいるのか]

 もちろん,思うようにはならないのですが,選べるときはあるわけで(まさに大きな流れには逆らわず,小さな流れはできるだけマネージメントして),自分が何を望んでいるのかをよく考えておくことなんだと思います.

 例えば,研究者なら,とにかく研究業績を上げて,昇進して,学界でも認められて,地位を上げて行って,行く末はノーベル賞というのが是と考えがちですが,必ずしもそうとは限らないと思うんですよね.

 私個人については,研究業績というよりは,自分が興味があること,自分がやるべきと思うことをやって結果を出したいし,そのためには,昇進しない方がいいのなら,それもありでしょうし,「大きな流れには逆らわずに」昇進はしましたが,まあ一応昇進しとくか,くらいのことですし,学界で認められれば,それはそれでOKですが,それが目的ではないですし,認められて余計な仕事が来て,研究できなくなるのでは,本末転倒です.

 そういうことは,あらゆる分野に言えることで,例えば,サッカーやってるのなら,とにかく上手くなって,プロになって,日本代表になって,海外に行って,法外な報酬を貰うのがベストというわけではないというか,それでサッカーするのが辛くなってしまっては,本末転倒なわけで,ビジネスだって,とにかく拡大路線で成功して巨万の富を得るのがその人にとってベストとは限らないわけで,まさに身の丈というか,自分ができる範囲でできるだけのことをやるということでいいんだと思います.

 そんなんことでは,成功しないというのは,確かにそうですが,成功って何ぞやってことはありますし,ほんとに成功するときは,できる範囲でできるだけのこととか超越してしまって,やらずにはおれない,やることを自分で抑えられないという状態になりますから,そうならないのであれば,身の程をわきまえるということでしょう.

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[町おこしとか村おこし]
(世の中)

 少子高齢化ということで,地方というか田舎は,寂れていくところが多くて,町おこしとか村おこしをして,観光とかで人を呼んで,盛り上げて行きましょうというようなことをよくやってるんですが,それでは,だめだと思うんですよね.このサイトで,経済で拡大しないパイの食い合いをしてもしょうがないと何度も書いていますが,この場合は,拡大しないどころか,パイ(人口)は減って行くわけですからね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,少子化対策ということになりそうですが,日本という国を考えたとき,これ以上人口を増やすのは,得策とは思えません.実際,本来住むべきでないところに人が住んでしまっていて,災害に巻き込まれることも多いですし,そういうところから撤退して,寂れていくところもある程度畳んで行って,もっと効率よく住む方が得策なんじゃないですかね.

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1/11'20
[引継ぎ]

 いつでも引っ越しできる状態(で生活とか仕事すると気分がいい)ってことなんですが,引っ越しと似たものに引継ぎがあります.引継ぎするときってどうしますか? あーだこーだ説明する?

 もし「これ見ればわかるから」というものを作っておけば,引継ぎ自体不要ですよね.そして,そういうものが普段からできていれば,仕事でもなんでも,効率化できていて,仕事してても気分がいいし,結果も出るんじゃないですかね.

 でも,実際のところは,いつでも引っ越しできる状態もそうですが,いつでも引継ぎできる状態には,程遠いわけで,でも,何とか近づけたらとは思うんですよね.

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[認知症の第一人者が認知症になった]

 Nスぺの認知症の第一人者が認知症になった,というのを見ました.切ない話なんですが,認知症の第一人者だから認知症にならないということはないでしょう.白い巨塔じゃないですが,癌の名医が癌になることも大いにありうることですからね.

 でも,思ったのは,他人事じゃないということでしょうか.今のところ,認知症にならない方法も,治療法もない,つまり,誰でもなりうるわけですからね.彼の場合は,妻さんや娘さんがいるので,何とか自宅で過ごせていますが,そうでなければ,施設に入るしかないのでしょうか.

 でも,彼は,妻さんに負担をかけたくないということで,(自分が提唱した)デイケアとか,施設とかに自ら行くんですが,つまらないと言って,帰ってきてしまうわけです.そりゃあ,認知症の第一人者ともあろう人が,お遊戯とかやってられないのは,当然のことですよね.

 つまり,益々他人事じゃないってことなんですが,そもそも,認知症になるってどういうことですかね? なるとかならないとかじゃなくて,脳の老化がある一定以上進んだ状態ってことではないのでしょうか? 実際,彼は,認知症が進行してるってことなんですが,尊厳を失うというところまでは行ってないですしね.

 私だって(誰だって歳をとれば),記憶力とかの脳の機能低下は,あるわけで,それが進んで一定のラインを越えると認知症いうことになる? どうしますかね?

 でも,もちろん,できるだけのことはしますが,どうしようもないものは,どうしようもないですね.でも,しっかり体のケアをして,90になっても100になっても,体が動くように,ということと同様に,脳も然りということではないのでしょうか.

 あと,彼が先輩医師に言われた「君が認知症になって初めて君の研究は完成する」という言葉は,非常に重いですね.家族の負担を減らすためにデイケアを提唱したということですが,実際,自分が認知症になって行ってみると,非常につまらなかったわけで,そんな話ではなかったということですからね.

 そういう意味では,彼が施設の体験入所から家に帰って来て,かつて論文を書いていた自分の書斎に戻って,ここが一番落ち着くと言うんですが,それは,そうだと思うのですが,今はどうして,そうしないのでしょうか? 講演活動は,続けているのなら,論文まで行くかどうかはともかく,今の自分の状態を自分がしてきた研究と照らし合わせて記録して残しておくことは,何よりも重要なことでは?

 そして,そういうこと,つまり「やること」があれば,別に施設とかに行かなくても,つまり,どこかで書きましたが,何とか体が動いて,自分で食事と排泄と室内での移動ができれば,家族にそんなに負担をかけないで,家族がいなくても,何とか自活できるのではないでしょうか?

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1/12'20
[にわかファン]
(世の中)

 ラグビーのトップリーグが始まったということで,前回のWCの後のように直後は盛り上がっても尻つぼみにならないようにと言ってました.そのためには,にわかファンをつかんで離さないようにいろんな仕掛けを考えてるんだそうです.

 はてさてどうなるかってことなんですが,にわかファンの人達って,どうしてにわかにファンになったんですかね? WCというお祭りに浮かれただけなら,トップリーグじゃだめですよね.彼らの中で,ラグビーを見る面白さに目覚めた人がいるのなら,トップリーグで面白い試合をすることかもしれませんが,そんな人どのくらいいるんですかね?

 でも,前回同様,出だしは好調のようですから,彼らのリピーターになってもらうには,どうしたらいいかってことで,これは,スポーツビジネスの王道なんですが,ラグビー以外のところを「充実」させるんだそうです.つまりは,ラグビー自体は(そんなに)関係ないってことです.これって...

 そう,これってまさに,資本主義社会における騙す騙されるの構図ですよね.でも,やりたいことがない人にささやかに楽しみを与えて,お金を使ってもらう,そして,そういうお金を稼ぐためにあくせく働く,こうして,経済は回るわけです.

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[夢]

 そういう意味では,「夢」もそういう構図なのかもしれませんね.

 何度も書いているように,やりたいこと,やるべきことを見つけた人には,夢なんか要らないはずです.だって,やりたいことやっていられれば,幸せだからです.

 いやいや,サッカーやるだけじゃつまんない? うまくなって,プロになって,いっぱいお金稼ぎたい? うまくなりたいというのは,わかりますし,それで飯を食いたいというのもわかりますが,そこから先の「夢のような話」は,サッカーをやりたいんじゃなくて,お金を稼ぎたいってことですよね.

 つまり,サッカーで飯を食いたい大人が,純粋無垢な子供たちに,サッカー頑張ってうまくなったら,大金持ちになれるぞという「夢」を餌に頑張らせるって構図なわけで,芸能界とかも全く同じですね.

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 でも,どちらの話も,騙す方の言い分はあるというか,何もやりたいことがない可哀想な人達にささやかな楽しみとか夢を与え,(たとえ騙されていても)それを叶えるためにあくせく働くことで,退屈しのぎまでさせてあげてるということはあるかもしれません.

 でも,私は,そんな人生,まっぴら御免ですけどね.

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 じゃあ,どうしたらいいか,ですが,やはり,そんな「夢」につられることなく,ほんとにやりたいことを自分で見つけることでしょう.でも,そうやって見つけたやりたいことがサッカーで,やりたくてがんがん練習して,どんどんうまくなってプロになって,それで飯が食えるようになって,法外な報酬で海外からオファーがあったら,行くでしょうね.

 でも,それは,法外な報酬とかは,関係なくて,より高いレベルでプレーできることが目的なはずです.でも,サッカーとかの場合,そういうものが「付いてきちゃう」ので,それは,それで厄介だとは思いますね.法外な報酬をもらうということは,単にサッカーだけやってればいいというわけではないということですからね.

 研究者の場合は,どうでしょうか? 私の場合は,何度も書いていますが,研究できることが全てで,報酬とか地位とかは,関係ありません.具体的には,研究以外の(私でなくてもできる)ことをやらなくてよくて,(私にしかできない)研究する時間があることで,研究費は,あった方がいいですが,そんなに要らないです.あとは,育てながらいっしょに研究して行ける若くて有能な人がいた方が楽しいですね.

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[初めてのペイペイ]
(世の中)

 (3回目のトライで)初めてペイペイを使いました.

 初回は,その場でアプリをインストールしましたが,クレジットカードへの紐づけでパスワードをきかれ,その場では,わからなかったので,使えませんでした.

 2回目は,使おうとしたら,認証するので,パスワードを入れろとなって,何のパスワードかわからず,使えませんでした.

 そして,3回目では,チャージというのがあったので,チャージしようとしたら,銀行口座を登録しろとなって,またまたあかんと思ったんですが,あちこちやってたら,クレジットカードというのがあったので,そこに行って,そしたら,またパスワードをきかれたんですが,今回は,憶えていたので,それを入力したら,使えました.

 キャッシュレスをもっと普及させないと,とか言ってますが,こんな感じでは,普及するわけないと思いました.

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1/13'20
[世の中の縮図]
(世の中)

 結局,世の中の縮図としては,騙す方と騙される方というか,勝ち組と負け組というか,成功する人間とそうでない人間に分かれるということで,割合的には,成功する人は僅かで,そうでない人が圧倒的に多いということなんでしょう.

 でも,一般的には,そういうことになってるんですが,このサイトで再三書いているように,そういう成功者がほんとに成功したとは言えないわけで,有名になったり,金持ちになったり,偉くなったりすることを是として,成功する競争を勝ち抜く人生は,つまらないと思うんですよね.

 なぜなら,成功することが目的なら,やりたくないことも,やるべきとは思わないこと(騙すというのはまさにそう)もやらないといけないわけで,そんな魂を売るようなことをするくらいなら,有名にも金持ちにも偉くもならなくていいというか,むしろ,望むところなわけで,そういう人って,結構いるんじゃないですかね?

 もちろん,魂を売ることなく,やりたいことをやって,結果的に有名になったり偉くなったり金持ちになったりする人もいるとは思うのですが,結果はそんなに出なくて,世の中の表舞台には出てこないけど,思うような人生を送れている人もいると思うんですよね.

 一般的な意味での成功なんかしなくても,時給1000円でも真に世の中に必要なことをして,食べて行く分を稼いで,役割分担的に責任を果たすとともに,騙されて余計なものに散財せず,空いた時間で,やりたいことをしていくということで充分幸せな人生でしょうし,少し頑張ってスキルアップして,時給を2000円とか3000円にするというくらいでもいいと思うんですよね.

 一方で,やりたいことを仕事を重ねられたらいいとは思うのですが,その場合,逆に,難しいことも出てきます.具体的には,仕事というやりたいことをやればやるほど,偉くなったり有名になったり金持ちになったりするかもしれませんからね.そういう場合,重要なのは,何のために仕事(というやりたいこと)をしているのか(偉くなったり有名になったり金持ちになったりすることが目的ではないこと)を忘れないことでしょう.

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[ハングリー精神]

 ハングリー精神がないとだめだと言ってる人がいました.ハングリー精神?

 もう死語みたいなもんですが,そもそも,ハングリー精神って何なんですかね? ハングリーというのだから,お腹が空いてるわけですよね.そりゃあ,食べるものがなくてお腹が空いてるのなら,頑張るしかありません.でも,この飽食の時代に食べるものがないってことはないでしょう.

 お腹が空いてるというのは,喩えだとしても,野球とかサッカーとかがうまくならないといけない,勉強ができるようにならないといけないと「ハングリー」になる必要がないことは,同じでしょう.

 つまり,今のご時世に,ハングリー精神をもてとか言ったって,どだい無理な話なわけです.その代わりに持ち出されてこき使おうとしてるのがってことかもしれません.年収たった300万でいいのか? もっとハングリーになれ,練習してうまくなって年俸3億もらって,いい時計して,高級車乗り回したくないか?みたいな(笑)(勉強していい大学に行って大企業に就職しなさいというのも似た構図).

 そんな戯言に騙されるのも一種の才能というか,成功する鍵?みたいな気もしてきますが(笑),そんな○ホにはなれない人は,どうしたらいいかですが,再三書いてるように,やる気三要素的に言えば,報酬より内的熟達ということでしょう.つまり,お金とか地位とかそんなことなど関係なく,やりたいことを見つけてやればいいということです.

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(日記)

 基本的に調子は悪くないと思うのですが,どこかで書きましたが,ある一つのことがあまり調子よくありません.何なんですかね? 原因は,よくわかりません.ここで書いたら,少しはよくなるでしょうか?

 検索したら,書いたのは,180728ですし,それ以前からそんな感じなので,もう何年もってことですかね.

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[最小公倍数]
(生活)

 思ったんですが,誰かと一緒に住むと,自分は,これは要らないと思っても,一緒に住む人は,要るということもあって,一方では,自分は要るけど相手は要らないこともあるわけで,そうやって,一緒に住んでる人の要望を満たすようにしていくと,最大公約数ではなく,最小公倍数になって,どんどんコストがかかる住み方とか生き方になってしまうんじゃないですかね?

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1/14'20
[また小腰痛]
(日記, 体, バドミントン)

 今日は,練習日だったんですが,昼ぐらいから小腰痛になってしまいました.無理すれば,練習に行けたというか,少し前まで(藤原と練習してた頃)なら行ったと思いますが,もう歳というか下り坂ということで,行かないことにしました(A永さんにガット張りをお願いしていたので,ラケットを取りに行ってその旨を伝えた).

 どうしようか結構迷ったんですが,どうしようか迷ったらやる,から,どうしようか迷ったらやらない,ということになってきたんだと思います.寂しい感じもしないでもないですが,むしろ,やらないんだから楽(笑)というか,それはそれでいっかって感じです.

 そもそも,歳とか下り坂とか関係なく,痛みが出ているということは,やるなというサインですから,素直に従うのがいいでしょう.それを昔は無理やりやってたわけで,そっちの方が問題で,自然になったということですかね.

 小腰痛の原因ですが,例によって,わからないと言いたいところですが,心当たりはあって,というのは,新たな動きを入れて普段から体を動かすことを始めてしばらく経つんですね.前回のときもそうだったと思います.ここまでくれば因果関係は明らかなんですが,ちゃんと普段から体を動かしている「のに」小腰痛になるではなく,ちゃんと普段から体を動かしている「から」小腰痛になるということでしょう.

 でも,ちゃんと普段から体を動かしていると言っても,全然大したことはしてないのですが,そのくらいでも小腰痛になるということは,体がやるなと言ってると思っていましたが,そうではなく,今回,思ったのは,ちゃんと普段から体を動かしていないとすぐ小腰痛になってしまう体になってしまっているというのが正解じゃないかということです.

 つまり,痛みが出たときは,休みますが,痛みがとれたら,普段から体を動かすことも練習もしっかりまた再開すべきということですね.

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[雪不足]
(スキー)

 記録的な雪不足という報道です.でも,記録ってことは,何か記録があるんですかね?

 ニュースでは,越後湯沢は,深刻な雪不足で,客が来なくて,業者を対象に緊急融資をしているとのことでした.

 私個人的には,記録はないですが,記憶はあります.

 スキーを始めてしばらく(1980年代後半から1990年代にかけて)は,ずっと慢性的な雪不足だったと思います.ブッシュとか石で板が痛むのを気にしてるような感じでしたからね.

 でも,いつからか,そういうことは,あまりなくなったというか,要は,ここ20年くらいは,そんなに雪不足ということはなかったんだと思います.

 そして,今年ですが,記録ではなく,記憶によると,スキーを始めてしばらく(1980年代後半から1990年代にかけて)と比べても,その時以上の雪不足だと思います.具体的には,当時は,12月までは,雪不足でも,年が明けると何とか滑れる状態にはなってましたからね.

 今年は,例えば,越後湯沢なら,ガーラは,まだ下山コースは,滑れませんし,ということは,石打も下はだめということです.神立は,全面滑走可能なんですが,人工雪ってことですかね.越後湯沢じゃないけど,ハンターもそうかな.

 ということで,こんな状態でも,行こうと思えば行けるし,そろそろ行っておかないととも思ったんですが,既に修論,卒論シーズンだし,小腰痛になってしまったので,どうなることやらですかね.

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[体が思うように動かなくなった状態]
(体)

 小腰痛になると,何とか歩けはするんですが,運動はできないし,やることが制限されるということもあるんですが,そういうことより,何か気分が落ち込むというか,効力感もなくなります.座ってできることはできるんですが,ピアノは,弾く気にならないですね.

 で,思ったんですが,これって,歳をとって,体が思うように動かなくなった状態に近いんじゃないでしょうか.体が思うように動かなくても,できることは,いくらでもあるとは思うのですが,こんな感じだと,そういうわけでもなさそうで,やっぱり,体をしっかりケアして,できるだけ動けるようにしておくことは,重要なんだと思います.

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1/15'20
[考えてみたら当たり前]
(大学)

 この件ですが,考えてみたら当たり前のことかもしれませんね.

 筑波大の教員の大半は,東大,京大,東工大といった大学出身で,その中でも優秀で博士まで行って,その後も,研究成果をあげて,公募を勝ち抜いて筑波大に来た極めて優秀な人間の集まりなわけですからね.東大,京大以外の旧帝大とか筑波大とか早慶とか,筑波大と同レベルの大学出身の先生方にしても,その大学で圧倒的に優秀だった人達ばかりなわけで,そういう先生達と学生達の間にものすごいギャップがあるのは,仕方ないことなのでしょう.

 そして,そのギャップは,「大学ランキング」が下がるほど大きくなるような気がします.つまりは,学生が自分が通う大学のランキングで,教員とか,自分がやってる研究のレベルを判断しようとすると,ものすごい大きな隔たりが出てきてしまうわけです.

 逆に言えば,学生達にしてみれば,こんな恵まれた環境はないということになります.優秀な学生は,優秀なんですが,そういう学生からの非常に高い要求にも応えられるわけですし,そうでない学生も化ける可能性は大いにあるわけで,自分に変な見切りをつけないで,頑張って欲しいと思うんですよね.

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1/15'20b
[金を使わせる仕組み]
(世の中)

 Windows7がサポート終了というニュースが流れています.(2万くらいかかるけど)10にアップグレードすればいい,あるいは,10が出たときに無償でアップグレードしとけばよかった(でも,このときはいろいろ問題があった)だけの話だと思いますが,何と,10万とか20万出してパソコン自体を買い替える人が多いんだそうです.

 理由としては,今まで走っていたソフトが走らなくなるとか,設定上,いろいろ難しいことがあって,10にアップグレードできない人が大半なんだそうです.

 ほらほらほらー,こうやって,能力がない人を食いものにして金を使わせる仕組みではめて行くんですよ.

 でも,メーカーからすると,一度パソコン買ったら半永久的に使える,では,商売になりませんから,あの手この手を考えてくるわけで,まさに拡大しないパイを騙し合いをしながら食い合ってるってことですが,騙されなければ,ということでしょうか.

 ちなみに(調べてみたんですが)Windows7が出たのは,2009年ですから,10年以上は,サポートしたってことになりますね.でも,実際は,Windows8が出るまでは,7だったわけで,8が出たのは,2013年ですから,実質,7年くらいってことですかね.

 つまりは,パソコン(+OS)は,7年くらいを目処に(メーカーを食わせるために)買い替えてくださいってことでしょうか.そう考えると,それならそれでありな感じもしますが,使えるものを廃棄するのは,ばかげてますから,やはり,これもしっかり対応して行けば,ということですかね.

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 こうしてみると,今の世の中の仕組みって,かなり脆弱というか,危ないところに来ていると思いますね.

 パソコンもそうですが,自動車とか建物とか,ものには,全て耐用年限があるわけです.でも,技術が進んで,耐用年限がどんどん伸びて半永久的に使えるようになったら?

 例えば,パソコンなら,技術が進んで,処理速度がどんどん速くなれば,買い替えるメリットはありましたが,今はそういうことはないですし,自動車や建物は,既にそんな感じです(EVとか言っても,実質,性能は変わらないか,むしろ,劣る.実質的に世の中を変える可能性があるのは,自動運転車くらい).

 つまりは,技術が進めば進むほど,どん詰まりになるようになってるわけですね.

 これは,世の中全体に言えることで,経済をどんどん拡大して行っても,人口が増えない限り(でも,今以上に増えるとリソースが足りない)必ず行き詰るわけです.

 そろそろ,全体の仕組みを考え直さないといけないところに来ていると思いますが,誰もそういうことはやらないわけで,そうすると,やはり,ハードランディング(経済破綻)ということになってしまうんですかね.

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[そういうことにしてる]
(世の中)

 先日,何かの委員会で,タワマンとか免震付きとかの「高級」マンションに,建築関係者とか大学の先生とかは(怖くて)誰も住んでないって話になったんですが,住んでない理由は(怖くてじゃなくて),金持ちじゃなくてお金がないからと言ってる人がいました.

 なるほどー,「そういうことにしてる」んだなあと思った次第です(笑)(ある意味,賢い).

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[これでいいと思えば]
(日記)

 ある一つのことがあまり調子よくないとか,小腰痛になって,効力感とか活動度が下がるってことなんですが,見方を変えると,それでも何とか仕事もして,ちゃんと生きて生活しているわけで,余計な外部要因とかで過剰に無理することもなく過ごせていて,小腰痛もちょっと休めということで,何とか休めるのなら,これでいいと思えばいいという話なのかもしれません.

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[現実的に考えれば]
(世の中)

 ラグビーのトップリーグですが,先日のWCで日本中が盛り上がったとか,そんな嘘までつかなくても,もっと現実的に考えればいいんじゃないですかね.

 具体的には,調べたところ,チーム数は16,試合数は15,つまり,8試合を15節で120試合あるわけで,各試合2万人ずつ集めると,延べ240万人動員しないといけませんが,1節あたりは,16万人でいいわけで,ホーム&アウェイを考えると,ホームの試合だけ,つまり,シーズン7, 8試合くらい見に来てくれてグッズも買ってくれるカモを32万人ゲットすればいいわけで,これなら現実的なんじゃないですかね.

 逆に言えば,日本中が盛り上がる必要なんかなくて,極一部の熱狂的なファン(カモ)が盛り上がればいいわけで,トップリーグが成功したとしてもそれが現実ってことです.

 そして,これは,ラグビーに限らず,野球でもサッカーでも,どんなスポーツでも,更には,スポーツ以外の何でもそうだし,社会が多様化する中では,極自然なことでしょう.でも,何に対してもカモにならない(何かに夢中になることはあっても,お金はそんなに使わない)人も多いですから,そこは簡単な話ではないと思いますが,騙す騙される的には,まだまだ騙される人も多いので,そこに活路?ですかね(なんだかなあ).

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[結果が全て]
(日記)

 やっぱり,あんまり調子よくないですね.家に帰って来てご飯を食べたら,横にならないと,ということはないですが,仕事とか,やらないといけないこと以外は,ほとんどやる気になりません.それで,前回,小腰痛になった頃の記事(190822あたりから)をつらつら読んでみたんですが,そのときも調子よくなかったみたいで,要は,疲れてるからちょっと休めってことなんでしょう.

 でも,何度も書きますが,そんな大したことしてないのに,なんで疲れてるんだ?ってことなんですが,そんなことは,関係なくて,疲れているという結果が全てということでしょう.

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[50代がピーク?]

 今が一番幸せで,過去のどこにも戻りたくないと何度か書きましたが,もちろん,いろいろラッキーがあって,過去に戻って,またここに来られるとは思えないってことがあるんですが,そうでなくても,普通に行けば,当たり前かもしれませんね.

 なぜなら,給料とか社会的地位とかは,関係ないとは言え,実際のところは,50を過ぎて,ようやく,支出をしっかりコントロールすれば,何とかもう働かなくて済むようになって,なおかつ,地位的にも上から理不尽にやりたくないこと,やるべきと思わないことも,その気になれば,断ることもできるし,いざとなれば,仕事を辞めることもできる状況になっては来てるわけですからね.

 そして,リタイアすれば,正々堂々と働かなくてよくて,年金ももらえて,益々幸せになって行く,とは,限りませんよね.それは,研究というやりたいこともできなくなるからですし,キャッシュフローの額も大幅に減れば,そんな呑気なことも言ってられないかもしれません.

 つまりは,人生,(仕事である程度成功すれば)50代がピークということなのでしょうか?

 普通に行けば,そうなんでしょうね.でも,そうならないように,「準備」とか,体と脳をしっかりケアするとかがが必要ということですね.

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1/16'20
[考え続ける]

 でも,50代がピークで,そこから下り坂だとしても(でも,下り坂ならまだしも,定年を断崖絶壁急降下にするのは避けるべき),それを受け入れて,ゆるゆると生きて行けばいいのかもしれませんね.実際,体も脳も下り坂なわけですから.

 基本的には,それでもいいと思うんですが,何というか,何か一つでも,というか,一番大事なものというか,核となるようなものは,大事にしないといけないと思うんですよね.それは,哲学というか,生き方のようなものでしょうか.

 ですから,脳が衰えるのは,やはり,避けたいんですが,機能そのものの衰えは避けることは難しいので,長年の経験とか蓄積とか,分析力,判断力,直観力のようなものでしょうか.そして,そのために必要なことは,やはり,考え続けることでしょう.

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[忙と暇]

 忙しいのと暇なのと,どっちがいいですか? 人類の最大の敵は,退屈であるとすると,忙しい方がいい? 実際,「本日は,ご多忙のところ,お越しくださいまして..」みたいな,「忙しいのを良し」とする風潮はありますし,実際,忙しいということは,芸能人なら,人気があって仕事が多いということですし,一般人にしても,その人の能力が認められて,仕事がいっぱい来てるということはあるのでしょう.でも...

 その仕事,ほんとに必要なことですか? 能力が認められて,とか言っても,おだててめんどくさい仕事を押し付けて,体よくこき使われてるとか,金儲けの道具にされてるってことではないですか?

 要は,再三書いているように,重要なのは,他者評価ではなく,自己評価ってことなんですが,暇だったら,やることなくて,退屈だし...

 暇だったらやることない? そこがポイントですよね.暇だったら,やりたいことをやったらいいじゃないですか.つまりは,いろいろ仕事とかで忙しい状態でなくなると,やることなくて暇になる人は,やりたいことがない人ということになります.そして,そういう人は,定年で仕事がなくなると,まさに「暇でやることない」となるわけです.

 じゃあ,お前はどうなんや?ということですが,私は,暇は,大歓迎ですし,忙しいのは,もうほんとうんざりです.でも,現実には,忙しいわけで,でも,研究とか学生の研究指導を人質にとられてるわけで,そこさえ何とかできたらと思うんですけどね.

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[役に立たなくてもやりたいか]

 再三,やりたいことをやったらいいと書いていますが,そもそも,やりたいことって何でしょうね?

 例えば,いい大学に行って,大企業に入ってばりばり仕事して稼ぎたければ,中央官庁に行って,国の中枢にかかわる仕事がしたければ,起業して,世の中の不便を解消し(て金儲けもし)たければ,芸能界に入って有名になって,いっぱい稼ぎたければ,医者になって,病気の人を助けたければ,ボランティア活動をやりたければ,どれもやりたいことってことですよね.

 でも,それがほんとにやりたいことかどうかは,注意を要するってことで,具体的には,何度か書いているように,じゃあ,その「やりたいこと」は,無償でもやりたいですか?と胸に手を当てて考えてみてください,ということです.そうすると,多くのことは,「やりたいこと」ではなくなるわけで,でも,ボランティアとかは,無償ですし(でも,余計なことが目的の人もかなりいますけどね),医者だって,無給は厳しいけど,生活に必要な分だけ稼げれば,それでいいという人はいるでしょう.

 じゃあ,更に話を進めるというか,もっと条件を厳しくすると,それは,「世の中の役に立たなくてもやりたいか」なんだと思います.報酬もないし,何の役に立たなくてもやりたいのなら,まさにほんとにやりたいことですよね.そして,これは,やる気三要素で言えば,報酬,人との繋がりではなく,内的熟達ということになります.

 そして,その代表格が学術,芸術,スポーツでしょう.世の中的には,これらも世の中の役に立つということにすることが(特にスポーツで)行われていますが,これらは,どれも,基本的に世の中の役に立たないことです.でも,それでもやるのは,ほんとにやりたいからでしょうし,そのことをゆめゆめ忘れるべからずということです(実際は,多くの人が忘れてて,地位や名誉や報酬のためにやってる人もいる),そして,役に立たなくてもやりたいくらいやりたければ,とにかくやるでしょうから,結果的に世の中の役に立つ(レベルまで行く)んだと思います.

 そして,やりたいことがない人は,こういう世の中の役に立たないものの中から探せば,ほんとにやりたいことが見つかるかもしれません.

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[昔は(実際は違うのに)真面目だった?]

 何度か書いているように,私は,真面目でも勤勉でもなく,怠け者だと思うんですが,いつ頃から,そういうことを自覚し始めたのかなと考えました.

 自分がどう思ってるかってこともありますが,第三者からの客観的評価?としては,青山・小谷研時代,つまり,学生時代に助手をしておられたT才先生(現,横浜国大)に「境君は怠け者だからなあ」と言われたのを覚えてますから,その時は,既にそうだったのでしょう(笑).

 じゃあ,その前の中学とか高校では,どうだったかですが,自分でどう思ってるかはともかく,真面目な方だと思われてたんじゃないですかね? でも,これは,勉強ができる=真面目(成績がいいのは,勉強してるに違いない)という図式ですかね.

 他者評価ではなく,自己評価ということでは,どうでしょうか? 実際に勉強したかはともかく,勉強しなきゃいけないとは思っていたと思います(真面目).

 一つ記憶に残ってることとして,当時よく読んでた本の種類の一つとして,心理学というか,そういうことに基づいた方法論的なものがあったんですが,確か(頭の体操で有名な)多湖輝先生が書かれた本に,効率のいい勉強の仕方というのがあって,20分勉強したら10分休むべしと書いてあったんですよ.

 それを読んで,そのときは,そんなに怠けられるかと思ったと思いますから,やっぱり,今よりは,真面目だったのかなあ.今なら20分仕事して10分休めるのなら,ラッキーって思いますからね(笑).

 でも,結果として,じゃあ,当時,そんなに勉強したかというと,全然なわけで,そんなことなら,20分勉強したら10分休むでもちゃんと勉強していたら,とは,思うわけです.

 そして,いつの頃からか,自分が怠け者ということに気づき,(仕事とか他人に迷惑をかけることではなく,全て自分に返ってくることなら)できもしないことを計画したり,やりたくないのを我慢してまでやろうとすることはなくなったんですが,その前後では,結果が全然違うわけで,もちろん,勉強は得意じゃなかったけど,研究は得意だった(というか,勉強は面白くなかったけど,研究は面白かった)ということもあると思いますが,自分を知ることが重要ということかもしれません.

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[郷土愛]

 ちらっと見ただけですが,昨日のHンマデッカで,福岡出身の芸能人がたくさん出てきて福岡のことやってましたね(でも,日本の三大都市の一つが名古屋じゃなくて福岡というのは,いくら何でも思い上がり).福岡出身者は,郷土愛が強すぎるとか言ってましたが,そうなんですかね?(でも,T田さんが福岡人は大阪人と似てると言ったら,全然違う,東京に近いとKンニングのT山が噛みついてましたが,それはそうだと思います.とにかく東京志向が強いですからね).

 そもそも,郷土愛って何ですかね? 自分が育ったところだから愛着がある?

 私の場合だと,小二の4月まで大牟田で,そこから大学に入るまでが福岡ですが,福岡にいたのは,せいぜい10数年です.大牟田に至っては,7年くらいだし,記憶があるのは,数年です.

 福岡の10数年は,時間としては,そんなに長くはないけど(東京は,20年以上いたし,つくばも20年近くになる),成長期を過ごしたことは大きい?

 うーん,どうなんですかね? 成長期ということは,親の保護下にあるので,できることとか行動範囲とかも限られますよね.でも,それでもいろんなことをしたとは思いますし,楽しかったことも多かったですが,10代は,どちらかと言うと勉強しないといけない(けど勉強しない)みたいなしんどいことの方が多かったかな.

 そういう意味では,東京に出てきて,自由になって,勉強とは全然違う研究というものに目覚めた20代の方が断然楽しかったし,30代は,辛いこともあったんですが,それでも楽しかったし,今にして思えば,意味もあったし,東京で過ごした時間の方が懐かしいというか,郷土愛が何かはわかりませんが,そういうものを感じるとしたら,東京ですかね.

 つくばに来て,ずっと東京に帰りたいと思ってたと何度か書きましたが,そういうことがあったのかもしれません.でも,その東京に帰りたいという思いも,今はなくなってしまいました.じゃあ,どこに帰りたい?

 わからないですね.というか,どこかに帰るという概念がなくなって,むしろ,どこでも行くぜという感じでしょうか.

 回りを見ると,福岡とか,郷土に帰る人もポツポツ出てきている中で,全く正反対のことになってるわけで,何だか不思議ですね.

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1/17'20
[暮らしたという実感]
(生活)

 と書いて思ったんですが,つくばに来て,20年近くになるんですね.信じられないというか,そんなことになるとは思わなかったという感じでしょうか.

 住んでるのが一番長いのは,東京で,だから,一番愛着を感じるというだけかもしれませんが,次に長いのは(福岡ではなく)つくばということになります.これまた驚きですが,じゃあ,つくばに愛着とか郷土愛みたいなものを感じかると言うと,全然(笑)です(逆に,サンフランシスコというかバークレーで暮らしたのは,1年だけですが,そこで暮らした実感はあるので,懐かしさや郷土愛みたいなのは感じます.頑張れ,49ers!(笑)).

 じゃあ,つくばで過ごした時間が楽しくなかったかというと,全然そういうことはなくて,まさに一仕事できた時期を過ごしたわけですし,私のこれまでの人生の中で,青山 ・小谷研時代と並んで,最も重要で充実した時間だったことは,間違いないでしょう.

 でも,つくばという街には,愛着は感じませんね(ごめんなさい).それは,人工的で元々あまり好きなところではないということもありますし,つくばの街で暮らしたという実感がないんですね.

 要は,家と大学と仕事とかで東京とか出張とかだけの生活とは言いませんが,逆に言えば,それだけしっかり仕事できたと言えるのかもしれません.でも,そういう意味では,東京時代もそうですが,東京は,しょっちゅう周辺のいろんなところに出かけたし,そこで暮らしたという印象が強いんですよね.

 でも,時代の流れで,出かけるところもなくなってきてるわけですから,今東京に住んでも,住んでる実感は感じられないのかもしれません.でも,「内的熟達的に生活」すれば,どこに住んでも関係ないわけで,どこでも行くぜというのは,そういう生活ができるようになって来たというか,目指しているということかもしれません.

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[確実に風化]
(防災)

 1995年兵庫県南部地震から25年ということで,思うことは変わらないのですが,感じるのは,確実に風化しているということでしょうか.そうならないようにということで,いろいろやってるのだとは思うのですが,半減期ではないですが,時間が経てば,記憶が薄れるのは,どうしようもないし,実際,今の若い人達は,もう全然知らないわけですからね.

 でも,人々の記憶からなくなって行くからと言って,私自身がどうこうということは,全然なくて,記憶は,全く風化してないどころか,鮮明に残り続けていますし,研究とか情報発信も含めて,私がやるべきと思うことは,やってると思います.

 でも,実際には,世の中は,変わらないわけで,このままでは,まずいでしょうね.でも,これもどうしようもないですかね.国とか誰かが守ってくれる,ではなく,結局は,自分自身の問題ですからね.

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 1995年兵庫県南部地震というか,1.17と言うと思い出す人がいます.その人は,1995年兵庫県南部地震をきっかけに防災というか建築構造の世界に入り,非常に優秀で,他大学でしたが,大学院の博士課程まで行って,連絡を取り合ったり,研究の話をしたりしましたし,とにかく1995年兵庫県南部地震に対する思いが強くて,何らかの形で,ずっと付き合って行く人になるだろうと思っていました.

 でも,ある日を境にという感じで,連絡が来なくなり,気づいたら,もう10年以上経ったでしょうか.確か大手ゼネコンに就職したと思いますが,どうしてるのかな,というか,あの1995年兵庫県南部地震に対する思いは,今はどうなったのかなとは,思いますね.

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[思惑以上?]
(世の中, 経済)

 年金2000万円問題ですが,金融庁の当初の思惑から大きく外れて,年金批判に化けてしまったということなんですが,年金がやばいということで,投資とか運用とかして資産形成しなきゃという機運が高まってる来てるとの報道です.これって...

 真偽のほどはわかりませんが,ほんとにそうだとしたら,まさに当初の思惑通りってことじゃないですか.しかも,飛んで火にいる...なわけで,思惑から外れるどころか,あれだけの大騒ぎになって,思惑以上というか,シナリオ通りというか,最初からこの作戦だった?

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[目指すことで]

 この記事この記事を書いて思ったのは,そういう生活を目指すというか,そういうことで,意識そのものが変わるということでしょうか.

 ポイントとしては,実際にそういう生活ができれば,ということもありますが,目指すだけでも意識というか,自分の中の何かが変わる感じがすることです.

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[まさに衆愚]
(世の中)

 コンビニですが,うまいパンの開発競争が激化とWBSで言ってました.

 いやいやいや,危ない添加物まみれのうまいパンとかじゃなくて,安全なパンとか食品の開発競争をしてもらえませんかね?

 そんなものを○ホな庶民は,求めてない? まさに衆愚ですね.

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1/18'20
[一体,何が新しく?]
(世の中, 大学)

 「今日から大学入試センター試験が始まっています,来年から新しくなるので,今年が最後です」と報道しています.でも,英語外部検定利用や記述式が頓挫して,一体,何が新しくなるのでしょうか?

 上?が無能で,世の中がどんどんグダグダになっていく象徴のような感じがするのは,私だけでしょうか?

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[考えるというよりは]

 方法論的なこととか,なるほどと思ういい話とかありますし,そういう話がうまい人とか,名言とか,ビジネス書とか.

 でも,そういうのって,実際に役に立ったことってありますか? いや,活かすかどうかは,自分次第?

 そうですね.そういう側面はありますが,言えるのは,役に立つというか,実際に何かが変わらなければ,意味はないということです.それは,それが「いい話」かどうかというよりは,結局は,自分がどう考えるかというか,そういう意味では,やはり,自分次第ということで,そこのところは,自分で考えるしかありません.

 考えるというよりは,実験というか試行錯誤かもしれませんね.考えてわかることもありますが,好き嫌いとか,その気になるならないとかは,人によって違うし,いろいろやったり考えたりして,どういうやり方というか,考え方が自分にしっくりくるか,心が動くかってことでしょう.

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1/19'20
[キラキラネーム]
(世の中)

 キラキラネームですが,学生とか,私の周りには,未だにほとんど全くいないのですが,テレビとか見てると,時々出てくるようになりました.試験監督とかしてもほとんどいませんね.このことが意味することとしては,そんな名前を付ける親(に育てられた子供)は...ってことでしょうか.

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[調子がよくなくても]
(日記)

 調子がよくなくても,気にしなければいいんだと思います.

 もちろん,やらないといけないことは,調子がよくなくてもやらないといけないんですが,ほんとにやらないといけないことは,そんなにあるわけでもないし,ほんとにやらないといけないことでなければ,無理してやらなくてもいいし(調子がよくないのは,無理するなというサイン),それで自分に不利益なことがあるとしても,甘んじて受け入れればいいだけの話でしょう.

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1/20'20
[見極める必要]

 問題は,調子がよくないというか,体がしんどいとか,やる気にならない時に,体や心が疲れていて,休息が必要なのか,単なる怠惰なのかを見極める必要があるということでしょう.

 でも,これは,難しいですよね.年齢とともに変化しますし,そもそも,勤勉か怠け者かというように,人によっても変わってきますからね.

 私が活動度を記録しているのは,そういうことがあります.調子が落ちてくるときは,活動度が高くなってることが多いので,納得して,この辺で休まないといけないんだと思うことにしています.

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[一種の幸せな状態]

 このときもそうだったんですが,人が認知症になるのは,理にかなってると言う人がいます.歳をとると,いろんなものが衰えたり,死が近づいたりするわけで,そういう恐怖がわからなくなって,一種の幸せな状態だと言うのです.

 言ってることはわかりますが,全くもって自分勝手な話です.回りの人はどうなりますか? 病気なんだから仕方ないとも言えますが,だからと言って,幸せになるために,人に迷惑をかけてでも病気になっていいという考え方をすべきではありません.

 見方を変えると,そういう考え方をしていると,認知症になってしまうということもあるんじゃないでしょうか.いざとなったら,回りの人が面倒を見てくれると思ったら,真剣になって,認知症にならないように対策をしたり,労力をかけたりしないみたいな(ほんとは,回りに面倒を見てくれる人がいるからこそ,迷惑をかけないように頑張るべき).

 このことが意味することとしては,家族とか,いざという時に,面倒を見てくれる人がいようがいまいが,(食事とか身の回りのこととか)誰かに何かを依存するのではなく,しっかり自活することが重要という気がしてきます.

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 同様のことは,体についても言えますね.飲んだくれたり,食べたいものを食べたいだけ食べたりして,ブクブク太って,病気になって,ぽっくり行ければいいんでしょうが,ほとんどの場合,そうは行かないわけで,そうすると,病気になって苦しむのは,本人なんですが,回りに迷惑をかけることになる点は,認知症と同じです.

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[「その程度」の過ごし方]

 何度か書いた老後の過ごし方の一つとしての大学入学ですが,いろんなパターンがあると思います.何らかの事情で大学に行けなかったということでなくても,大学卒業後,何十年も過ごすうちに違う分野に興味をもったとか,自分の仕事の分野のことでもあらためて学びなおしたいとか,もっと極端には,例えば,講座制なら,自分が主宰していた研究室に大学院生とかPDとして入るとか.

 でも,現実には,全然そういうことにはなってませんよね? 少なくとも,私の回りには,学生の中に,60とか70を過ぎたような人は,全くいません.でも,カルチャースクールとかは,年寄りでいっぱいなんですよね?

 敷居が高い? 年寄りの脳ではもう付いていけない? お金がかかる? 大学自体もそういうことを推奨してない? そもそも,大学は,将来ある若い人達,せめて現役の社会人が学ぶ場で,年寄りがパイを奪うべきではない?

 よくよく考えると,どれもおかしな話です.少子化でパイは,余ってる状況でしょうし,学ぶのに年齢なんか関係ないはずです.

 結局は,本気度の問題なんじゃないですかね? カルチャースクールくらいでいいやと思うのなら,結局,その程度のことしか学べないわけで,それでいいと思うのなら,それでいいということですが,老後自体も「その程度」の過ごし方になるということでしょう.

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 上の記事を書いて,思ったんですが,例えば,大学院というか,研究室に入ったとして,普通は,修了して,就職というか,どこかのポストにつくのですが,年寄りの場合は,そのポストがないわけです.だったら,また「入学」しなおして,ぐるぐる回ればいい? というか,そういう問題?

 そう,つまりは,これって,本質的には,定年後問題というか,定年で大学をクビになった後,どうやって研究を続けて行くか問題なわけです.だとすれば,大学院というか,研究室に入らなくても,どうやって,研究を続けて行くかを考えた方がいいということになったりします.

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 単純に言えば,定年で大学をやめても,(社会という枠組みの中という他者評価での話になりますが)必要とされるのか,ということでしょう.○○大学の先生だから,ということで,必要だったのだとすれば,大学をやめれば,必要とされないということになります.

 つまりは,(あくまで他者評価ですが)本質的に必要とされる人間であること,そうあるようにすべきということですかね.定年で大学をやめても,仕事を続けたいのであれば,ですが.

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[お金なんかあってもどうしようもない時代]
(世の中)

 景気がよくて?人手不足と言われています.人手が足りてたら,事業を拡大してもっと儲かるのに? そうなんですかね? 実際は,全く逆で,資本主義が壊れ始めている,お金なんかあってもどうしようもない時代になって来てるってことはないんですかね?

 具体的には,お金持ちなら,豪邸に住めるし,高級車を乗り回せるし,豪勢な食事ができる? でも,豪邸を建てたり,工場で高級車を生産したり,食材を育てているのは,お金持ちじゃない人達ですよね.そういう人達がお金なんかいくらもらってもしんどい思いまでして仕事なんかしねーよってなったら?

 もっと身近なところでは,いつでも引っ越しできる状態でなくても,今は,お金があれば,おまかせコースとかで,引っ越し屋に丸投げできるんですが,先日,そういうので引っ越しをした人からきいた話ですが,荷物をつめる人間とほどく人間が別々で,しかも引き継ぎもできておらず,グダグダだったそうです(以前はそんなことは,なかったらしい).

 更には,既に書きましたが,年老いて,要介護になっても,金さえ積めば,立派な施設に入れると思いきや,人手とか物資とかいろんなものが足りなくて,あるいは,介護職に就く人がいなくなって,いくら金を積んでも,物理的にそういうところが足りなくなって,姥捨て山状態になりませんかね?

 じゃあ,どうしたらいいか,ですが,体や心を削って働いて小金を貯めこんで要介護になるのではなく,自分のことは,自分で面倒みられるように,体や心をしっかりマネージメントして行くことでしょう(要は,働き過ぎないで,やりたいことをやればいいってこと).

 でも,今の世の中,無駄な仕事を作って,余計に働かせて経済を回すことに終始しているわけで,何が自分にとって大事かをよく考えて,いかにして,そういうところから距離を置くかでしょうか.

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[47〜48歳で最低]

 人生の幸福度は,47〜48歳(日本では49歳)で最低で,全体としては,Uの字を描くという調査結果とのことです.つまりは,若い頃は,(希望があって)幸福度が高いが,どんどん不幸になって行って,47〜48歳で大底となり,そこを過ぎると,一転してどんどん幸福になって行って,82歳で再び,若い頃のように幸せになるということらしいです.ふーん.

 私の実感とは,違いますかね.でも,大底の年齢を過ぎた身としては,これからどんどん幸福になって行くというのは,まあめでたい? 実際,そんな気はしますしね.

 何度か書いていますが,私は,人生の中で今が一番幸せで,過去のどこにも戻りたくありません.でも,振り返ってみると,ずっと右肩上がりだったわけではないですね.ざっと書くと...

 小2までの大牟田時代は,幸せだったと思いますが,福岡に転校してからの小学2〜3年生は,あまりよくなかったかな.4〜6年生は,悪くなかったと思いますが,今から考えるとそうでもないかも.中学は,私立の学校(と森田)に行ったんですが,最初の頃は,そうでもなかったですが,2年生くらいで勉強が楽しくなって成績が急に上がって,でも,高校受験前は,よくなかったです.高校時代は,2年生のときは,楽しかったと思いますが,そういう中で突然父が亡くなり,やる気もなくして,辛くてしんどい高3と浪人時代を過ごすことになります.

 でも,浪人時代は,何度か書いているように自由になって,意外と幸福度は高かった気がします.大学1,2年は,現代物理に失望し,進路を見失って苦しかったんですが,東大ピアノの会に入って,ピアノを弾いてるときは,楽しかったですね(バドミントン部の練習は,最初はしんどかったけど,3年くらいから楽しくなった).建築学科に進学してからは,まあまあでしょうか.そして,研究室に入って,4年,大学院時代は,楽しかったし,東大地震研に職を得て,やりたいことを見つけてそれを仕事にするということを達成して,幸せの一つのピークを迎えます.

 でも,数年は,よかったんですが,このサイトで何度か書いてますが,やることを見失って,30代は苦しくてしんどかったですね.でも,バドミントンとかスキーとか相場研究とかは,この時期に一番やりましたし,そういうときは,楽しかったですかね.

 でも,30代後半になると,いよいよもってどうしようもなくなり,そういう中,南先生が亡くなってしまって,かなり大変でした.でも,何が起こるかわからないというか,その直後,1999年台湾集集地震が起こって,それをきっかけに活路を見出したことは,何度も書いてる通りです.

 筑波大に移ってからは,仕事も順調で,楽しかったですが,バドミントンは,それまでそんなことなかったのに,怪我ばかりするようになり,どんどんだめになって行きました.スキーも準指はとったんですが,だんだん行かなくなりました.でも,いろいろ考えて,このサイトに文章を書くようになったのは,この頃からですね.

 そして,50になったときに,突然,鐘が鳴って,人生が終わりました(そう感じました).でも,そこから第二の人生というか何かが始まって現在に至るということですかね.

 こうして見ると,私のこれまでの人生での大底は,30代後半ですかね.つまり,調査結果とは,大分違うことになります.

 あと,振り返ってみて思ったのは,辛くてしんどい時も,いろんなことをしていると,何かは楽しいというか,そういうことに助けられてる感じはしますね.

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1/21'20
[「人生50年」に対応]

 自分のことは,ともかく,全体の傾向としては,上で書いたようなことなのでしょう.要は,若い時は,夢や希望に満ち溢れているものの,成功する人間は,僅かで,現実は,成功する競争に敗れて脱落して行って,40代後半で「はい,終了ー」ってことです.一方,ある程度,成功した人間も,それが一体何だったんだ?と気づくのもそのくらいなんじゃないですかね.

 そして,40代後半というのは,このサイトで再三書いている「人生50年」にほぼ対応するわけで,やっぱり,このくらいで,実質「人生が終わる」んですよ.

 そういう意味では,私も例外ではないのかもしれません.実際,50くらいのときに人生が終わったと思いましたからね.幸い,私は,「成功する競争」に(あまり)参画しなかったので,競争に負けたとも勝ったとも思わなかったのですが,人生が終わったとは思いましたからね(でも,いい人生だったと思えたし,終わってほっとするところもあって,そんなに悪い感情ではなかった).

 でも,終わったということは,何かが始まるわけです.

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 そうすると,どうしたらいいでしょうね? 道は2つあって,成功する競争に参画するかしないかです.私がお勧めするのは,しない道ですが,参画するとして,50くらいまで勝負して,負けてどん底になっても,そこから新しい人生が始まって,そこからU字回復すると思えば,いいんじゃないですかね.

 逆に,成功する競争に参画しないとすると,私のように50くらいが底ということもないんですが,50くらいで人生が終わったと感じて(感じれば),新しい人生を始められるのは,同じだと思います.

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[また別の道]

 また別の道というか,50を過ぎても勝負を続けるというか,死ぬまであきらめないというのもある?

 でも,会社員とか公務員とかは,定年があって,60とか65だとしても,50くらいには,だいたい勝負がついてるわけです.だとすれば,そこで見切りをつけて,起業するとか,何か新しいことを始める? でも,それもまた第二の人生ってことじゃないですかね? じゃあ,定年がない仕事だったら?

 ありかもしれませんが,体と心は,衰えて行くので,多少の延長戦がせいぜいで,その後のことを考えると,さっさと次の段階に行くという考え方もあるとは,何度か書きました.

 でも,成功する競争とかは,どうでもいいんですが,仕事はリタイアしても,生き方とか哲学とかにリタイアはないので,そういう意味では,死ぬまであきらめないってのは,いいんじゃないですかね.

 いずれにしても,50くらいを境にメンタリティーが変わるというか,変えるというのは,悪くないと思います.

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[本音じゃない?]
(このサイト)

 本音?ですが,このサイトに書いてることは,本音というか,嘘はないんですが,全世界に公開している以上,書けないことはあるわけで,じゃあ,それがどのくらいの割合かなと考えました.

 あくまで感覚的にですが,半分くらいかもしれません.そういう意味では,本音を書いてないってことなんですかね?

 ということで,本音を知りたい人は,直接,本人にお問い合わせください(笑).

 でも,更に言えば,対面でも,言えることと言えないことはあるわけで,これも半々といったところでしょうから,結局,私の本音を知る人は,ごく僅かというか,ほとんどいないということかもしれません.

 でもまあ,このサイトもそうですが,割と本音で話をする方だとは思いますけどね.でも,それでも半分がせいぜいということでしょうか.

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[初回マックス]
(世の中)

 私は,ドラマはほとんど見ないのですが,好きな女優が出てるとか,疲れて何もできないときにたまたまちらっと見たりすることはあります.

 で,気づいたんですが,ドラマって初回マックスですよね.つまりは,面白いのは,初回か,せいぜい数回で,どんどんつまんなくなって行って,最後はもうグダグダです.理由は,明らかで,見てもらう,つまり,視聴率が全ての商業主義だからです.そう言えば,商業音楽とかも,冒頭にいきなりサビが来たり,イントロマックスみたいな曲も多いですね.

 わかりやすい比較対象としては,例えば,(商業的ではない)小説とかの文学作品ですが,若い頃,そういうものをよく読んでいたころの記憶をたどると,最初の方は,「しんどい」です.でも,頑張って読んでると,どんどんすごいことになってきて,みたいな感じでしょうか.

 つまりは,レベルが高いものは,受け手にもある程度のレベルの高さが要求されるってことなんですが,今のこのご時世というか,資本主義,商業主義的には,そんなことでは,顧客はどんどん逃げるわけで,これも一種の衆愚主義というか,世の中がどんどんだめになって行く仕組みですかね.

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[感じがしてしまう]

 何か職というかポストに就いていて,会社とか役所とか大学とかに来て,あるいは,外で会議とか打ち合わせとか外回りとか,実質的に意味があろうとなかろうと,何となくギョームをこなして,給料がもらえてたりすると,仕事をしてる感じがするというか,それなりに意味ある形で過ごせている感じがしてしまうんじゃないですかね.

 給料もらえてるんだし,てことは,何らかの形で社会に貢献というか,関わってはいるわけだし,それでいいと思えばいいのかもしれませんが,なんだかなあというか,他にやることがあると思ってしまうんですよね.

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[余計なことしてる場合じゃない]

 じゃあ,やることは何かと言うと,2つしかなくて,それは,やりたいことか,やるべきと思うことです.そして,やるべきと思うことの最たるものは,その人にしかできないことでしょう.やりたいこともないし,自分にしかできないこともないのなら,上で書いたように何となく過ごせばいいとも言えるんですが,私には,やりたいことはあるし,自分にしかできないと思うこともあるわけで,だから,なんだかなあと思うわけです.

 と書いたんですが,やりたいことは,それなりにやってるし,自分にしかできないと思ってること(研究)もやってるわけで,まあいいんですかね.でも,もっとできると思いますし,余計なことしてる場合じゃないとも思うんですよね.

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1/22'20
[寂しい晩年?]

 とある芸能人が80代後半で亡くなったんですが,10年くらい前に妻に先立たれ,表舞台にはほとんど出てこず,ずっと家賃12万のマンションで一人暮らしで,食事は,3日に1回コンビニ弁当をまとめて購入して済ませ,毎晩,2kmを(健康のために)歩いて飲みに行くという生活をしていて,最期は,自宅で倒れているのを発見されて,との報道です.どう思いますか?

 メディア的には,「寂しい晩年」という報道の仕方なんですが(ほんと余計なお世話というか,有名にはなりたくないもんだ),こういうのも全然ありというか,むしろ,いい晩年の過ごし方,そして,亡くなり方をしたんじゃないですかね.

 個人的には,多少「修正」すると,3日に1回コンビニ弁当をまとめて購入→生活クラブで調達した食材で自炊,毎晩,2kmを(健康のために)歩いて飲みに行く→何かやりたいことをやる,ですかね.妻に先立たれ,というのは,コントロールすることは,できませんが,それ以外は,自分次第で,できることだと思いますからね.

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[自分にしかできない(と思う)こと]

 自分にしかできないと思うことですが,私には,研究(震源から構造物被害に至る現象を物理的に解明し,それを地震災害軽減に結びつけること)があるというのは,レアケースかもしれません.でも...

 例えば,ピアノにしても,バドミントンにしても,スキーにしても,研究に比べたらてんで大したレベルではないですが,(何度か書きましたが)ピアノは,知られざる近現代曲を紹介したり,この曲はこう弾くべきという演奏をしたり,バドミントンやスキーは,自分にしかわからない運動原理を見出したいと思ってますし,運保についても,自分にしか見通せないと思う経済の見通しに基づいてやっていますし,何より,哲学というか生き方研究についても,自分で考えて自分に適合したものを見出したいと思っています.

 でも,これらもまたレアケースということなら,例えば,ここのところ,荷物の整理をライフワーク的にやっているのですが,何が必要で何が要らないかは,自分にしかわからない,つまり,お金を出して業者に頼むわけにはいかないので,まさに自分にしかできないことでしょう.

 これ以外にも,安全な食材を調達して,お手伝いさんとかの赤の他人に自宅に上がり込まれることなく,そのとき食べたいものを作って食べたいのなら,これもまた自分にしかできないことです.

 子供がいるのなら,彼らを責任をもって育てられるのは,最終的には,親以外にはいないわけですし,誰かを支えようと思って,それができるのは,自分しかいないとしたら,まさに自分にしかできないことでしょう.

 つまりは,何か秀でたものがなくても,自分にしかできないことは,日常生活の中にいくらでもあると思いますし,ほんとに自分にしかできないかというよりは,自分にしかできない「と勝手に思う」ことがポイントかもしれません.

 そして,そう思うことで,(めんどくさい荷物の整理も)やろうという気に(少しは)なろうというものです(逆に.自分じゃなくてもできることは,その気がなくなるけど).

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[暖冬]
(世の中)

 暖冬との報道です.確かにスキー場に雪はないし,朝夕もすごく寒いと思うことは少ないです.でも...

 先月〜今月の電気代は,例年より数千円余計にかかっています.理由は,明らかで,エアコンの設定温度が上がった(22→24度)からです.だって,寒いんだもん.

 歳のせいか?寒さに対する耐性がなくなってきたと書きましたが,暖冬じゃなくて,例年通りの寒さだったら,もっと電気代がかかるってことですよね.まあ,月数千円程度で寒さがしのげるのなら,まさに「金の使い途」ですが,私個人はともかく,全体としては,暖冬で燃料をたかずに済んで,その分,CO2が発生しないということにもなってるわけで,でも,そういうことは,言わないわけです..

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[国旗]
(世の中, スポーツ)

 テニスの全豪オープンをやってるんですが,ちらっと見ただけですが,テレビのスコアの名前のところに国旗が表示されています.要は,この選手は,この国の人ですよということですが,この情報要りますか?

 オリンピックなら,国で代表選考をするので,わからないでもないですが(でも,それもいつかなくなればいいと思う),プロテニスの個人戦は,そういうのは,関係ないわけですからね.

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[いいこともそうでないことも]

 いつもと変わらない日常が続いているようでも,実際は,突然,思いもしないことが起こったりするものです.それは,いいこともあるし,悪いこともある.でも,人間万事塞翁が..じゃないですが,いいことと思っても,ほんとにそうかはわからないし,それは,悪いことも同じです.

 つまりは,何が起こってもというか,そういう外部要因に右往左往してもしょうがないというか,(一見)いいこともそうでないことも受け入れて淡々と過ごして行くことなんだと思います.

 でも,いいとか悪いとかは,それでいいんですが,起こったことに対処はしないといけないわけで,でも,それも,めんどくさいとか,そうでもないとかあるんですが,それも含めて,やって行くということですかね(抽象的?).

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1/23'20
[と勝手に思う]

 自分にしかできない「と勝手に思う」ってことかもしれませんね(勝手に人との繋がりとちょっと似てる?).「勝手に思う」というと,そんなんで大丈夫か?と言う人もいると思いますが,これって,再三書いてる「他者評価ではなく,自己評価」ってことで,他人や世の中が何と言おうと,自分が正しいと思うものを信じるということです.

 それでは,独りよがりで大したことにならないということもあるかもしれませんが,そういうものの中から,今までにないものが生まれるわけですし,他者評価を優先して世の中に迎合しても大したことには,ならないわけで,そもそも,どういう結果というか評価になっても,それは,所詮他者評価なわけで,だったら,自分が正しいと思うことを貫けばいいと思うんですよね.

 そもそも,震度では,被害が推定できない,もっといい方法があると思ったら,近現代の知られざるいい曲を見つけたら,世のピアニストの演奏を聴いて,そうではなくこう弾きたいと思ったら,バドミントンやスキーやゴルフのよりシンプルで本質的な運動原理が見出せそうな気がしたら,経済の専門家が言うことが滅茶苦茶だと思ったら,もっと気分よく楽しく過ごして行きたいと思ったら,やらずにはおれないと思うんですよね.

 それで,結果的に大したことにならなくても,例えば,自分が正しいと思う研究をして,それが認められなくても,自分の経済に対する見通しに基づいて取引をして損をしても,自分に返ってくるだけの話で,甘んじてそれを受け入れればいいだけの話でしょう.

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 でも,世の中の主流?とは違う「自分が正しいと思うこと」なんか,普通の人は,思いつかないし,考えもしないもんだよ,と言う人もいるでしょう.

 わかるんですが,そうでもないと思うんですよね.

 世の中には,いろんな人がいて,いろんな考えや能力をもってるわけで,具体的に言えば,これには,興味があるしやりたいけど,これには,興味がなくてやりたくないというのがあって(私自身まさにそう),何とか興味があってやりたいことを見つけられれば,必ず「はまる」し,適材適所というか,そういうことをうまくはめて行くのが「上」の仕事なんですが,そこがグダグダなわけですから,自分で何とかするしかないとは思います.

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 そういうものが見つけられなくて,何かに「はまる」ことがなくても,世の中の主流?は,そういう人達を騙してこき使って搾取しようとしてるわけですから,騙されずにそこのところだけでもちゃんとやるだけでも全然違うことになると思うんですよね.

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[国籍とか関係なく]
(世の中, スポーツ)

 この件ですが,例えば,MLBでは,選手は,出身国の国旗なんか付けてませんよね.CLとかのヨーロッパサッカーもそうです.

 つまりは,国籍とか関係なく,世界のトップ選手が集まって,最高のパフォーマンスを見せる,それでいいじゃないですか.

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 でも,テニスもそうですが,確かゴルフもテレビのスコアボードには,国旗が表示されていたような気がします.つまりは,個人競技と(まとまる必要がある)団体競技の違いってこと? つまりは,MLBなら国はアメリカ(とカナダ)で,それ以外の選手は「助っ人」,それは,ヨーロッパサッカーでも同じ?

 どこかで多国籍化しているプロスポーツが世の中を「先行」してると書いたと思いますが,そういう事情だとすると,まだまだってことですかね.

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[近現代音楽の境目(再々)]
(音楽)

 何回か書いたと思いますが,近現代音楽とそれ以前の「境目」がずっと気になっています.

 一つの明確な境目は,最初の十二音音楽とされるシェーンベルクの5つのピアノ曲Op.23のワルツですが,それより前の境目として,ラヴェルの水の戯れという結論に達しましたが,これは,その後,K子さんにきいたところ,音楽史上もちゃんとそうなってるらしいです(勉強不足).

 で,更に気になってるのは,その前の話です.平たく言うと,誰が最初にデフォルメというか,音楽を崩し始めたのか,ということです.

 これについても,何度か議論しました.最初は,ここですね(もう,10年以上前なんですね.ちょっとびっくり).その後,ここでも書いてるんですが,どんどん遡っていくとバッハまで行っちゃうんですが,個人的には,ショパンの第2ソナタとかスケルツォの3番の出だしとかに影響を与えたベートーヴェンの最後のピアノソナタ(32番)は,1つの境目かなあとは思います.

 あとは,意外と言われてないものとしては,やっぱり,ムソルグスキーの展覧会の絵ですかね.この曲についても,K子さんにもきいてみたんですが,音楽史上もそうなってないみたいで,彼女も調性的にしか聞こえないと言っていました(彼女は,リストの後期のものの方が無調に聞こえると言ってたけど,時期的には,展覧会の絵が先).

 でも,もちろん,部分的にですが,私には,明らかに調性的に聞こえないというか,崩れ始めてると思うんですよね.何度も書いてるように,小人とかバーバヤーガとか,おどろおどろしい曲を書いたらそうなったということはあるんですが,卵の殻をつけた雛の踊りは,そういう状況ではないですからね.

 そもそも,調性って何ですかね?

 理論的には,ともかく,要は,音列の「偏り」ですよね.全く偏ってないのが十二音で,音階で言えば,半音階,全音階(半音階の一つ飛ばし)は,無調ということになります(厳密には,全音階は,「一つ飛ばし」なので2種類の「調」があるとも言えるか).そして,「崩す」というのは,偏りの解除というか,調性から無調への変化の「途中」ということになりますね.

 でも,「途中」なので,明確な境目はないわけですが,水の戯れと同様に,私の中で何となく境目はあるんですね.

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 厳密にというか,逆に,私の中での感覚で言うと,調性は,そんなに関係ないかもしれません.一言で言えば「新しいか」でしょうか.そういう意味では,バッハは,当時は,新しい音楽のオンパレードだったでしょうし,その後のモーツァルト,ベートーヴェンも,明らかに新しい音楽でした.そして,ロマン派,印象派,近現代と続いて行くのですが,私が気になっているのは,ロマン派と印象派の境目ということですかね.

 いや,印象派というのは,ドビュッシーとかのある特定の音楽をイメージさせるので,19世紀前半のロマン派が19世紀後半を経て,20世紀初頭の近現代音楽にどう変貌したか,ですかね.

 そういう意味では,20世紀初頭の近現代音楽の一つのポイントがラヴェルの水の戯れだとすると,ラヴェルが展覧会の絵のオーケストラの編曲を手がけているのは,たまたまかもしれませんが,興味深いです.

 確か,バーバヤーガと何かに興味をもった(それ以外には,それほど興味をもたなかった)という話をきいたことがありますが,(絶対言わなかったと思いますが)先越されとるやん,て思ったってことはないですかね?

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 もちろん,(当時の)「新しい」音楽というのは,いろんな要素があるでしょうが,「新しい」と感じるのは,リズムや構成もないことはないですが,やはり,和声や音列だとは思っていて,そういう意味では,調性は,大きいとは思うのですが,これをちゃんと分析することが境目をはっきりさせることになるかもしれません.

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[単なるバラエティー]
(世の中)

 先日,?HKのCコちゃんに叱られるをたまたまちらっと見たとき,専攻のK藤先生が出ておられました.こんなことして何の役に立つのか?ときかれて,今役に立つことは,将来役に立たないけど,今役に立たないことは,将来役に立つかもしれない,と言われたのは,さすがですね.要は,目先役に立つことばっかやんなってことですよ.

 テーマ?は,水が落ちるとき,ぽちゃんと(2回)音がするのは,なぜかというものです.番組では,100年以上解明されてないと言ってましたが,そんな訳ないやろと思って,K藤先生にきいたところ,いろいろ勝手に編集されたと怒っておられました.

 そうなんですよね.私の場合,最終的にどうなるか確認させてもらうことにしてるんですが,そうすると,だいたい尻尾巻いて退散するので,最近は,このやり方でやってます(笑).

 あとは,この番組,単なるバラエティーとしては,面白いんでしょうが,今回の件に限らず,嘘や変な脚色が多くて問題ですね.まあ,メディアの言うことは,嘘ばっかりということではあるんですが.

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[名言]

 名言ってありますよね.すぐ上の記事ですが,K藤先生の,今役に立つことは,将来役に立たないけど,今役に立たないことは,将来役に立つかもしれない,というのを番組では,名言だと言って持ち上げていました.他にもいろんな場面でいろんな名言が紹介されていて,それを金科玉条のように大事にしていると言う人もいます.でも...

 名言と言ってしまった瞬間,正常化の偏見のように,思考停止に陥るというか,大事なことをメモして安心して忘れるみたいな,逆効果的なことが非常に多い気がします.要は,わかった気になって,全然わかってないわけです.

 実際,今役に立つことは,将来役に立たないけど,今役に立たないことは,将来役に立つかもしれない,というのを名言だと言っておきながら,実際の世の中は,目先役に立つことばかりがもてはやされるグダグダ状態で,紅白見ればわかるように,?HK自体も視聴率至上主義にまっしぐらなわけですからね.

 名言ってことは,所詮は,他人が考えたものであるわけで,その成り立ちというか,実感までは,わからないというか,結局は,自分の頭でしっかり考えろってことですかね.

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1/24'20
[充電と放電]

 「活動と休息」ってことなんですが,「充電と放電」の方が定量的にマネージメントしやすいような気がします.

 充電というのは,休息と対応しているのですが,やりたいときにやりたいことをやることは,活動であるとともに(休息ではなく)充電的要素もあるので,充電と放電の両方が起こってる感じでしょうか.若い頃は,充電的要素が大きかったんですが,歳をとるとだんだん放電的要素も出てきて,今のイメージは,イーブンか放電に近いと思います.

 じゃあ,充電的要素がなく,放電だけが起こるのが何かと言うと,補集合的にやりたくないときにやりたくないことをやることとなります.具体的には,面白くもなく,自分でなくても誰かができて,やり甲斐もないことです.

 日中そういう仕事が続くと,夕方までに放電してしまって,残量がなくなり,やりたいことができる時間があっても,何もすることができません.

 こうして書いてみると,マネージメントの基本は,睡眠時間を確保してしっかり充電することと,面白くもなく,自分でなくても誰かができて,やり甲斐もないことをできるだけやらずに放電しないこと,となります.

 あとは,やりたいことの充電と放電の割合を見極めることですかね.活動と休息もそうですが,しっかり活動して適度に疲れることで,しっかり眠れて休息できるわけですからね(実際,バッテリーもしっかり放電しないと充分に充電できない).そういう意味では,面白くもなく,自分でなくても誰かができて,やり甲斐もないことをやることは,大して活動もしないのに放電するだけ(疲弊するだけ)なので,何もいいことがないです.

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[これも「近く,時々,遠く」]
(生活)

 片付けですが,着々と進んでいると思います.というか,そう思えるようになったということでしょうか.

 ライフワークとか,自分にしかできないことと考えるようになって,ということもありますが,それ以外にも,部屋の様子とか見ても,目に見えて進んでる実感はないのですが,これも「近く,時々,遠く」というなのでしょう.

 つまりは,部屋の様子がさほど変わらないという「遠く」(結果)を見るのではなく,ほんの少しでも何かを片付ければ,確実に少しは前進しているわけですからね(近く).

 そうやって,遠くを見ずに,近くを見て,日々過ごしていたら,気がついたときには...というなんだと思いますし,これは,片付けに限らず,何でもそうでしょう.

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[少しでも可能性があるのなら]

 内的熟達に目標とか目的は,要らないんですが,片付けるのには,片付けるという目的はあるわけで(片付けること自体を楽しんでるわけではないので(でも,創意工夫の余地はあるので,それなりに楽しんではいるけど)),片付けに限らず,目的というか,こうなったらいいなということがあるとして,そういう状況で,それになかなか届かないとしても,少しでも可能性があるのなら何とかやって行けるような気がします.

 それそのものに効力感が見いだすようなことが難しいもの,例えば,金儲け自体は面白くないけど,(ある事情で)お金が必要で働かないといけないとか,他者評価を得て偉くなるとか,好きな人がいるけど,振り返ってもらえないとか,何か障害があるとか,漠然と幸せになりたいとか,そういう場合は,少しでも可能性があると思えるか,ということでしょうか.

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[五輪まであと半年]
(世の中)

 五輪まであと半年で,高まる期待との報道です.つい先日は,あと200日とか言ってたような気がするし,あの手この手で盛り上げて行こうとしてるんだと思います.てことは...

 実際のところは,全然盛り上がってないってことなんでしょう.つまり,全然盛り上がってないから必死こいて盛り上げようとしてるわけです.そして,それは,盛り上がらないと困る人たちがいる,つまり,東京五輪で金儲けをしようとしてる人達なわけで,乗せられて盛り上がるのは,搾取される人達ということになります.

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1/25'20
[こういうのでもいいじゃん]

 この記事(寂しい晩年?)ですが,ほんと何気なく書いたんですが,「見えた」というか,ものすごくほっとした感じがします.もちろん,実際にどうなるかは,わからないのですが,別にこういうのでもいいじゃんみたいな.

 具体的には,いつまで働くかですが,面白い,自分にしかできない,やり甲斐がある,のどれかを満たして,かつ,自分が必要とされるというか,そういう話があるのなら,できる範囲で仕事を続けて行けばいいでしょうし,そういうことがなければ,体と脳と心の健全を保つことを心がけて,しっかり自活した中での気ままな一人暮らしで,やりたいときにやりたいことやって,過ごしていくみたいな感じでしょうか.

 「一人,時々,みんな」が理想ではありますが,私に会いたいという人が誰もいなければ,仕事と同様,仕方ないというか,それはそれでめんどくさくない面もあるわけで,自分からしゃしゃり出るようなことはないと思います.

 問題は,いつ頃,そういう生活になるかですが,大学の定年は65ですし,多少の延長戦があれば70といったところでしょうか.もちろん,私が必要とされて,かつ,面白い,自分にしかできない,やり甲斐がある,のどれかを満たすのなら80でも90でも頑張って働きたいとは思いますが,そうでなければ,70くらいでそういう生活になることも考えられるわけです.

 でも,70なら90まで生きても,そこから20年なので(70が更に伸びて,75とか80になれば,15年とか10年),そのくらいなら,結構,あっという間という気もしますし,最期の20年をそうやって過ごすことになったとしても,それでもいいじゃんと思えたのが,ほっとしたということでしょうか.

 もちろん,面白い,自分にしかできない,やり甲斐がある,のどれかを満たして,かつ,自分が必要とされる,ということがなくても,研究を続けて行きたいとか,打ち込めるものに打ち込んで行くとか,何か新しいことを見出して,ということもありうるでしょうし,そうなればいいなとは思いますが,そういうことがなかったとしても,それはそれでいいじゃん,と思えたということですかね.

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 と書いたのですが,こうやって書くと,何かみょーな感じもしてくるのは,何なんですかね? 単なる本能的というか,感情的なことだとは思うんですけどね.

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 仕方なくとかではなく,ちゃんと考えれば「これでもいい」のですから,これでもいいわけで,本能とか感情に流されないことが大事なんだと思います(本能とか感情に流されると,実質的というか大事なものを失う).

 あとは,これは,当たり前のことですが,やりたいことができるうちは,具体的には,大学で学生達と楽しく研究ができるうちは,それを大いに活かして,最大限研究するということですね.

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1/26'20
[自分で決められないから]

 ほんとは,自分で決めたいけど,そうは行かないというか,自然の流れに従うしかないところは,あるわけです.自分が社会から必要とされなくなるのがいつなのかもそうですし,いつ死ぬかわからないというのもそうです.

 50を過ぎたあたりで鐘が鳴って,実質人生が終わった(と感じた)というのは,いろんな意味があって,生物学的に人生50年ということもありますが,社会的にだいたい結果が出たとか,(やりたくないめんどくさい仕事をするくらいなら,しっかり支出を制御することにすれば)食べて行くためだけに働く必要がなくなったということもあるわけです.

 だとすると,もう仕事をやめて,やりたいことやって,悠々自適に過ごしていくという道もあったはずですが,大学をやめると,研究というやりたいことができなくなるので,やめることはできず,つまり,自分で決められずに,自然?の流れに従っているとも言えるわけです.

 あるいは,何かめんどくさい仕事が来た時に,面白い,自分にしかできない,やり甲斐がある,のどれも満たさなければ,断ることもできるんですが,いろんな事情を勘案して,断れないこともあるかもしれません.

 そして,振り返ってみると,自分で何かを決めたことは,ほとんどなくて,ほとんどは,自然の流れでそうなった感じがします.そして,これからもそうなのでしょう.つまりは,上で書いた通りなわけで,じゃあ,そのときの自然の流れに身を任せればいい,ではなく,自分では決められない,どうなるかわからないので,どうなってもいいように,しっかり準備をしておくということになります.

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[具体的な準備]

 具体的な準備ですが,何度か書いてると思いますが,まとめておくと,まずは,経済的なことでしょう.ある程度のお金がなければ,食べて行けませんからね.でも,資本主義にいろいろ批判的なことを書いていますが,ある程度のお金があれば,何とか食べて行けるのは,資本主義のメリットとも言えます.

 経済的なことと言うと,できるだけ稼いでおくことと思われがちですが,それより遥かに重要なのが経済感覚で,世の中の金儲けしたい奴らに騙されず,真に価値あるものかどうかをしっかり判断して,余計なものに散財しないことでしょう.そうすれば,やりたいことによほどお金がかからない限り,年200万くらいあれば,全然楽勝だと思いますよ.

 ただし,今の時代の特殊事情として,来るべき経済危機に備える必要があるということがあります.具体的には,やばいと思ったとき,日本円を外貨や商品に変える準備をしておく(FXや商品先物の口座を開いて,何回か練習しておく)ことですかね.FXや商品先物の口座を開いておくというと,めんどくさいと思う人が多いと思うのですが,ということは,大多数の人は,準備ができていないわけで,それは,そういう準備をしておくことで「抜け駆け」できるということを意味しています.

 家を買って,住む場所だけでも確保しておくというのも一つの考えですが,不動産は,額が大きく,かつ,老朽化して価値が目減りして行くとともに,市況による値下がりリスクが大きい(下手すりゃ1/5とか1/10)のが問題です.そういう意味では,1ドル20円とか10円になるとは,考えにくいので,どちらがリスクが大きいかは,明らかでしょう.

 次は,自分が社会から必要とされなくなっても,大丈夫なように,やりたいことを見つけておくことです.経済的なことが何とかなれば,お金にならなくてもOKですが,仕事と同様,社会的なことが必要なものだと,そういうことに影響されるので,一人でも大丈夫というか,内的熟達的にできるものがいいですね.

 そして,「やりたいのなら今すぐやる」はずですから,定年になってから始めよう,では遅いというか,それは,ほんとに「やりたいこと」ではない可能性が高いので,定年前からやるという意味での「準備」が必要ということです.

 そして,何より重要なのが,体と脳と心の健全ですかね.これさえあれば,最初の経済的なことが準備できていなければ,働き続けることもできるわけですからね.でも,そうすると,体や心を壊してしまうことになる可能性もありますから,そこのところのマネージメントは,重要で,具体的には,面白い,自分にしかできない,やり甲斐がある,のどれも満たさない状態で,働くのは,非常にリスクが高いと思います.

 つまり,しっかり準備しておこうと思って,いっぱい働いて,体や心を壊してしまっては,元も子もないということです.

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(日記, バドミントン)

 今日は,筑波大バドミントン部の総会と優勝報告会でした.優勝報告会ってことなんですが,インカレの団体戦が台風で中止になったので,香山のインカレシングル二連覇一点だと,彼女にプレッシャーが集中しちゃうんじゃないかと思ったんですが,そう言えば,東日本の団体戦でも優勝したので,それと併せてということでした.

 総会は,今日は,途中から行ったんですが,一頃,こういうことの負担が増えすぎてる感じがあって,少し心配していたんですが,今日の感じだと,かなり大丈夫になってきてる感じがしたので,それは,よかったです.

 優勝報告会では,学生達も含めて,いろんな人達と話ができて楽しかったんですが,「本日の主役」の香山にこのことをきいてみたんですが,彼女自身,ちゃんと気づいていたようでしたし,メンタルのマネージメントもできてたようですが,じゃあ,どうしたら,ということを少し話したので,次当たった時(もう3回やってて全てファイナルで香山が勝ってる)が楽しみですね.

 というか,ということより,つまり,大学でどうこうと言うより,そういう枠を取っ払って,つまり,総合とかランサーとかで(今年は大阪インターナショナルも)結果を出すことが重要で,これも彼女自身よくわかっているようですが,結果を出さなきゃというよりは,しっかりプレーすれば,結果はついてくるという気持ちでやってくれればと思います.

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[自ずと結果は付いてくる]
(スポーツ)

 この記事もそうですが,東京五輪(を盛り上げようとする人達)に批判的なことを書いています.でも,それは,東京五輪を利用して,金儲けとかよからぬことを考える人達に向けたもので,選手達,あるいは,そういうところを目指して頑張ってる人達には,純粋に頑張って欲しいです.

 でも,それでも敢えて言うなら,やっぱり,もっと競技というか,スポーツそのものを楽しんで欲しいと思うんですよね.何度も書いていますが,スポーツ自体は,本来,何かのためとか,何かに役に立つものではなく,やりたいからやるもので,ましてや,国を背負ってとか,そういうものでは,断じてありません.

 トップレベルに行くほどきつくてしんどくなるのは確かにそうですが,オリンピックとか全国のトップレベルで競技できるなんて,それだけで,ほんとに最高だし,そういう幸せというか,そういうことを感じられることが大事だし,そうすれば,自ずと結果は付いてくると思うんですよね.

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1/27'20

 振り返ってみると,自分で決めたことはなくってことで,具体的には,どんな感じだったかと言うと...

 小さい頃は,親の影響を強く受けます.父親のことは(もう亡くなってるということもあって),よく書いていますが(例えば,彼が楽しそうに仕事をしているのを見て,自分も大学の先生になりたいと思ったとか),母親の影響も大きかったと思います.

 ピアノとか音楽とか天文とか宇宙とか英語とか力学とか理論物理とかいろんなことに興味をもったのですが,結果として,建築に行くんですが,小学校時代に,父親にガウディの展覧会とか連れていかれて,何となく刷り込まれていたような気もします.

 つまりは,大学に入って,理論物理に失望して,進路を再検討して,建築構造に辿り着いたんですが,「建築」というキーワードは,小さい頃から何となくあったのかもしれません(でも,建築構造という建築と力学を結びつける分野を見つけたのは,やはり,大きかった).

 東大に行ったのは,大学の先生になるためだったんですが,だったら九大じゃなくて東大に行けと父親によく言われてました.こうして書いてみると,父親の影響が大きい感じがするんですが,実際は,母親の影響も大きかったと思うんですよね.

 就職は,Q大の話を(あろうことか)断ってしまったのは,「自分で決めた」と言えないこともないですが,その後,話は来なくなり,絶望的な心境になっていたところに,南先生から電話がかかってきて,うちに来ないかと言われて,ホイホイ行きました.

 その後,迷走するのですが,道を開くきっかけになった1999年台湾集集地震についても,纐纈先生にいっしょに被害調査に行かない?と誘われたからですし,筑波大に移るときも,金久保先生や福山さんが声をかけてくださらなかったら,移ったかどうかわからないし,やっぱり,自分では決めてないというか,いろんな人に声をかけてもらって,何とかここまでやって来られたって思うんですよね.

 そして,これから起こったことがこれからも起こるとは,限らないんですが,そうだとすると,これからも自分でどうこうと言うよりは,回り次第というか,自分が必要とされれば,それに(できる限り)応える,そうでなければ,それはそれで,やりたいようにやればいいというか,そういうことになるんだと思います.

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1/28'20
[単純な話ではない]

 基本的には,そう↑なんですが,じゃあ,自然の流れというか,回りに言われるがままにやってきたかと言うと,(特に私の場合)全然違うわけで,結局,「単純な話ではない」ということです.

 小さい頃だって,親や回りの言うことをいく「素直でいい子」には,程遠かったというか,むしろ,真逆で,言うことをきかないわがままで自分勝手な子供でしたし,学生時代もそうでした.

 それは,社会に出てからもうそうだったと思います.実際,いろんな人がいろんな話をもってきてくださる中で,受けたものが多いですが,例えば,南先生の葬儀の次の日に来た話とか,(2回目の)Q大の話とか,どうしても受けられずに断ってしまったものもありますからね.

 ですから,「自然の流れ」というのは,「ただ」流れに身を任せるということではなくて,自分でどうすべきか判断するということも含めての話なわけで,「単純な話ではない」ということです.

 名言がまさにそうですが,そういうことで全てが語りつくせるわけではなく,そういうものの背景にある広大な概念が重要ということでしょう.

 自然の流れに..の反対の考え方として,このサイトで再三書いている,他者評価ではなく自己評価があると思いますが,これも,実際は,そんな単純な話じゃないし,それは,人生所詮退屈しのぎ,とか,全ては137億年前に決まっている,とかもそうです.

 そういう中で,やる気三要素とか,近く,時々,遠くとか,一人,時々,みんなとかは,割とわかりやすい考え方なんですが.これらは,いずれもそういう「二面性」(やる気三要素の場合は,三面性),そして,各要素のバランスの重要性を表しているということでしょう.

 じゃあ,どうしたら,ということですが,言葉とかではなく,そういう概念を理解するというか,やはり,自分でしっかり考えるということでしょう.言語化することは,大事なんですが,その逆の概念化は,もっと大事で,でも,それは,言語化できない「感覚的」なものなので,余計に重要というか,ここで大きな差が付くような気がします.

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[気になる人]

 気になる人というか,平たく言うと,好きな人っていますよね.でも,今すぐ会いたいとか,話がしたいとか,ずっといっしょにいたいとか,「そういうこと」をしたいとかいうのとは,全然違う.でも,その人のことを考える.でも,だから,どうこうしたいということはない,みたいな.何なんですかね?

 一つ言えるのは,本能ではないということでしょう.本能なら,「そういうこと」をして,子孫を残さなければ,意味ないですからね.

 だから,よくわからないんですが,どうこうしたいということはないわけで,つまりは,何も起こらないわけで,別段何も問題はないんですが,やっぱりちょっと苦しいというか,心の平穏が乱される感じはするのですが,まあそれもよしということですかね.

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[疲れる]

 何だかやっぱり疲れます.面白くもなく,自分にしかできないことでもなく,やり甲斐もないことをやると疲れるのは,当然ですが,そうでもないものも,やっぱり,ある程度は,疲れます.

 疲れたら休めばいいし,ちゃんと休めれば,疲れもとれるのですが,そうすると,大したことはできないというか,やりたいことをやりたいだけ,とまで行かなくても,せめてこのくらいはやりたいというのにも程遠いことになってしまいます.

 でも,これはもうしょうがないんですかね.もし,やりたいことをやることを,疲れて休むことに優先してやれば,体や心を壊してしまって,やりたいことをやりたくてもできなくなってしまうでしょうからね.

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 これは,見方を変えれば「準備」ができて来てると言えるかもしれません.だって,やりたいことをやる時間と疲れて休む時間を合計すると「足りない」わけですからね.

 具体的には,例えば,ピアノを弾くのは,1日1時間がせいぜいだとしても,1時間ピアノを弾いたら2時間休まないといけないのなら,合計3時間かかるわけで,研究とか,他のいろんなことを合計していくと,あっという間に満杯になってしまうかもしれません.

 ただ,今は,仕事が多くの時間を占めていて,これを何時間やると何時間休みが必要かの合計時間がすっぽり抜けると,どうなるかは,わかりません.というか,ほんと仕事の中のやりたいこと(研究関係)以外の部分をやってる場合じゃないと思います.

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[優先順位]

 こんな感じだと,現状というか,現実を考えて,しっかり優先順位を決めておく必要があります.

 つまりは,最初に来るのは,体と心と脳の健全ということでしょうか.たとえ,他に何かもっと重要な,やりたい,やるべきと思えることがあったとしても,体と心と脳の健全を失えば,もっと重要な,やりたい,やるべきと思えることをすることができなくなってしまうわけですからね.

 でも,一方では,そんなことなんか超越するというか,こんな感じでやってたら,体や心を壊してしまうと思っても,やらずにおれない状態になってしまうこともあるわけで,実際,過去にそういうことは,何度もありました.

 でも,それは,若かったんでしょうね.実際,体を壊すこともなく,こうして生きながらえているわけですから.

 そうすると,もう歳なんだから,ということかもしれませんが,やらずにおれない状態になってしまうかどうかは,(多分)歳は,関係なくて,でも,そうなったときに,体や心がもつかどうかの問題なわけです.そして,(多分)もたないから,何かのセンサーが働いてブレーキをかけているのかもしれません.

 「実質,人生が終わった」と感じるのは,そういうこともあるのですが,これからどうなるかはわかりません.つまり,また,どこかで,体や心がもつかどうかなんて関係なく,やらずにおれなくなるかもしれないわけです.

 そして,そうなったら,ブレーキなんか全然効きませんから,体や心を壊すことになるのかもしれませんが,それはそれでしょうがないというか,自然の流れに従って,ということですかね.

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 こういう記事,どこかで書いた気がするなあと思って検索してみたら,いくつかありました.2005年, 2007年, 2010年に書いてますが,昔のものだと,20070828に集約されてる感じですかね.

 面白いのは,2005年の時点では,生きて行かないといけないから,仕事が1位と書いてることです.それは,ある意味,当然で,でも,今は,仕事をしなくても生きていけるように何とかなったわけで,この変化は,大きいです.そして,そういうことで,自分にとって,何が重要なのかが見えてくるということもあるわけです.

 ただ,私の場合,仕事は,生きて行くための手段ではありましたが,それだけではないので,そういう意味では,今でも重要なものであることに変わりはありません.でも,1位かと言うと,他にもっと大事なものがあると思うようになりましたし,歳をとって体を壊してまでやることは,本末転倒になったということでしょうか.

 「人生を楽しんで気分よく過ごしていくこと」が大事というのは,確かにその通りで,それは,今でも変わりません.でも,そのためには,体と心と脳の健全が必須ということでしょうか.つまり,10年以上前は,そういうことを気にかけずに済んでいたけど,そういうわけには行かなくなったということですかね.

 つまり,こういう状況は,年月とともに変わっていくので,やはり,考え続けることが大事ということですかね.

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[○代はこんな風に]

 「準備」ではないですが,将来,こんな風に生活して行きたいとか,生きて行きたいとか,生きて行くのかなとか考えるわけですよね.そして,それは,これまでもそうだったのかもしれません.

 と書いて気づいたんですが,例えば,20代のときに,30代は,40代は,50代は,こんな風に,とか,考えたことなかったと思います.でも,20代とか30代の私が50代の私がこんな風に生活したり,人生を送ったりしているとは,夢にも思ってない気がします.

 そういう意味では,今は,60代は,70代は,80代は,とか,何となく想像するというか,かなり明確にイメージするというか,準備するようにしているわけですから,今までと全然違うということになりますね.

 何だか不思議な感じがしたんですが,考えてみたら,これまでは,割と連続的に人生が繋がっていましたが(私の場合,学生の延長みたいな感じで就職したし),仕事を辞めるときは,これまでにない大激変,しかも,向きが逆のことが起こるので,当然ですかね.

 でも,20代とか30代の私が50代の私がこんな風に生活したり,人生を送ったりしているとは,夢にも思ってないってことは,今,いろいろ想像したり,準備したりしても,実際は,全然違うことになるかもしれないってことかもしれません.

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1/29'20

 変なことを書いたような気もするのですが,そういう人がいたとして,でも,気になるとか,好きとかいうのは,私の勝手な感情なわけで,でも,そうであるのなら,私としては,その人には,幸せになって欲しいというか,その人の気持ちを優先したいわけで,そうすると,私がどうこうしたいということには,ならないということです.

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1/30'20
[はめられる]
(社会)

 自分で決められない(面もある)背景としては,「はめられる」ってことがあるんだと思います.本能的なものもありますし,社会的なものもあります.

 本能的なものとしては,根源にあるのは,生きるってことで,そのために働くしかないわけで,でも,今の世の中,そんなに働かなくても食べては行けるので,その辺のところが,かなり怪しくなって来てる(有能な若い人達が気づき始めている)のですが,そうすると困る人がいるので,メディアとかを使って必死で洗脳してるわけです.

 性欲についても,自分が生きるだけではなく,人類が繁栄するようにDNAに書いてあるということですし,有能な雄が雌をゲットするので,雄は頑張るみたいなことにもなってるわけです.

 人類が社会を形成するようになってからは,社会的なものも大きいです.そんなに働かなくても食べては行ける状況では,これで「はめていく」ことになります.有名になるとか,金持ちになるとか,偉くなるとかいうのがそうですね.そういうものに興味がない人もいると思いますが,そういう人も,役割分担というか,社会的責任を果たすべきという形で「はめられて」行く感じがします.

 逆に言えば,そういう「はめられる」状況をどのくらい解除できるか,そういう世の中と距離を置けるか,ほんとは自分がどうしたいか,より本質的に価値があるものを見出せるかが重要だと思うのですが,現実的には,うまくバランスをとることかもしれませんね.

 私自身のことを言えば,そういうこととは,距離をとって来たと思いますが,昇進という形で筑波大に移ってきたわけで,それは,社会的責任を果たすべきと思ったことが大きかったですし,それは,教授に昇進した時もそうですかね.

 でも,筑波大に移った時は,自分がやるべきと思う研究ができる(かも)という思いは,かなりありましたし,実際,そうなりましたが,教授になったときは,忙しくなって,研究できる時間は減るとは思ってましたから(そして,実際そうなった),自分の信念?を貫けば,昇進を断ることもできたわけです.

 でも,そうしなかったってことは,やっぱ「はめられてる」ってことですね(情けない).

 でも,准教授のままだと,いろいろ社会的に不都合なことがあるのも事実ですし,教授と准教授には,「上下関係」がありますから(例えば,人事権は,教授にしかない),そういう「状態」のまま過ごすのは,やっぱり,あんまり気分はよくないですよね.

 ということで,結局,バランスの問題というか,ある程度,現実的に考えるってことなんでしょう.自然の流れというか,「はめられている」とは,言っても,これは,どうしても受けられないということは,受けなきゃいいし,実際,私は,そういう話を断ったことも何度かありましたからね.

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[勝ち残り組]
(社会)

 上の記事と関連するような気もするのですが,東大建築のMLにO川が某大手商社(個人的にも短運や資保で使わせてもらってるところ.つまり,大手五社)で代表取締役になって,おめでとうというメールが流れています.彼は,そういう世界でやって来たわけで,そこでそういう結果が出たわけですから,おめでたい話だと思います.

 思うのは,50くらいでだいたい結果が見えた人もいる一方で,延長戦というか,まだまだ可能性がある「勝ち残り組」もいるということでしょうか.私はどうなのかなあ?

 再三,50くらいで人生が(実質)終わったと書いていますが,それは,そういう意味でないのは,明らかです(もっと,本質的な意味).でも,時期的に,昇進して,もう上がなくなって,そこから何年かしたところで50ですから,時期的には,重なります.関係ある? たまたま?

 いやいや,上はまだまだあるやろ,学部長とか学長とか目指せばいいじゃんというのは,大学の実情が全然わかってない人の言うことでしょう.でも,私が○○大学の学長になったら,おめでとうって言われるのかな?(全く興味なし.ていうか,絶対やりたくない)

 でも,上の記事で書いたように,これからそういう話が来るかどうかは,わからないですが,めんどくさいことになりそうだと思っても,受けるべきと思うものは,受けるんでしょうが,今いるところよりやりたい仕事(やるべきと思う仕事)ができるというのが条件なのは,言うまでもありません.

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 何度か書いてると思いますが,研究者というか,大学の教員って,やっぱり,特殊ですよね.

 商社とかの民間企業,あるいは,中央官庁なら,いい仕事をしたら昇進して,給料も上がって,仕事も責任はあるけど,より大所高所からでかい仕事ができるわけで,そういう世界で,偉くなりたいと思うのは,ある意味,当然というか,理解できます.

 でも,大学の教員の場合,研究業績を上げないと昇進はできませんが,研究業績を上げれば,昇進できるかと言うと,そんな単純な話ではないし,昇進して給料は上がるけど,大所高所的なでかい仕事(研究)とは真逆の大学内部の仕事が増えるわけで,一体,どうなってんの?って思いますね.

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[卒研配属]
(研究室)

 卒研配属の希望調査が行われているのですが,研究室ができて17年目にして,初めて配属0ということになりそうです.どうしてこんなことになってしまったのか,と言いたいところですが,実は,そういう風に誘導しているところはあります.

 具体的には,説明会に来る場合は,連絡するように,というようにハードルを上げたんですね.それでも,結果的に数人の学生が話を聞きに来てくれたんですが,他の研究室を志望しているようです.

 ハードルを上げた理由は,詳しくは書けませんが,どうしてもこの研究室に来たいという学生がいれば何とかするというか,そうでない学生は,他に行ってくださいということがあります.

 私の研究室は,10人近くの学生がいて,一人一人に研究テーマを与えて,面倒を見ているんですが,10人近くという数は,しっかりケアするのには,私一人では,もうちょっと厳しいということもありますし,詳しいことは,もう少ししてから書きます.

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(日記)

 私個人的には,必要以上のお金は要らないというか,そういうお金を,面白くもなく,私でなくてもできて,やり甲斐もない仕事をしてまで稼ごうとは思わないというか,そんな仕事はしたくないし,これ以上,偉くなるのも勘弁して欲しいというのが偽らざる心境です.社会的責務があるということなら,それは,私でないとできない仕事ということになるでしょう.

 もちろん,大学で給料を貰っている以上は,応分の分担をするのは,当然ですが,面白くもなく,私でなくてもできて,やり甲斐もない仕事をするのは,ほんとに疲弊しますし,こんなことやってる場合じゃないのにという大きなストレスを感じます.

 私は,お金はもう要らないので(そういう仕事をするくらいなら,支出を切り詰める方が遥かにいいので),ただ,私にしかできない研究を学生達と楽しくやりたいだけなんですよね.

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1/31'20

 この記事ですが,心にもないことを書いたとは言いませんが,再三書いているように,私の場合,勝ちとか負けとか,そんなことは,意に介さずにやってきたわけで,どのみち,関係のない話です.

 真意は,すぐ上に書いたように,研究して未だに明らかになっていないことを解明したい,真理に近づきたいというだけなんで,それが評価されるとかは,大した問題ではないんですね.

 もちろん,評価されれば,悪い気分はしないですが,それが研究できる時間が増える(研究以外の仕事が減る)とか,よりよい研究環境が得られることに繋がらないどころか,実際は,真逆になってるわけで,でも,世の多くの人がそういう事情を全く認知していない(特に文科省)のが問題ということですね.

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 ということで,全然違う世界の話ではあるんですが,どこかで書いたと思いますが,O川って,共通一次(今のセンター試験)で全国1位だったわけで,高校は開成だし,まさにエリートコースというか,そんな感じで走ってきた,ということなんでしょうが,実際は,そんな単純な話なわけないと思うんですよね.

 そもそも,建築に来たわけですから,最初は,意匠をやりたかったわけですよね.でも,大手商社に行ったってことは,そこでおそらく挫折してるわけです.

 挫折したことがない奴が挫折すると,立ち直れないとよく言われるんですが,挫折したことがない奴なんかいるんですかね?

 ですから,そういうことも含めての能力というか,人間力ということでしょう.

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 あとは,MLで,激務とかストレスとか体に気をつけてとかいうキーワードが何度も出てきたことが印象的?でした.そうだと思うのですが,じゃあ,どうして,そんなことまでしてやるのかってことですよね.給料も地位も上がるってだけではないのは明らかでしょう.

 具体的には,会社や官庁で昇進させると言われれば,断る人は,まずいないのでしょうし,それは,大学も然りです.でも,実際は,いいことばかりじゃない.でも,はめられてる感じもありますが,評価されたのは嬉しいし,自分に期待してもらってるのなら,やるしかないということでしょうか.

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[指を動かす必要がない曲]
(ピアノ)

 いつぞや,ピアノ入門というか,バッハの平均律の最初の曲とか(フェデラーでも弾ける),ショパンのプレリュードのいくつかとか,技術的には,バイエルレベルで弾ける曲をいくつか紹介しました(このあたりからですね).その後,サティーとか,それ以外にもいくつか紹介したかな.

 これらは,(当然ですが)いずれも「指を動かす」必要がありますし,親指をくぐらせる必要があるところもあります.

 で,気づいたんですが,指を(ほとんど)動かす必要がない曲があるんですよ.敢えて言えば,指の形は,ほぼほぼ固定で,腕だけを動かす感じですかね.ある意味,動きが打楽器的というか,指は速く動かせなくても,腕を速く動かせば弾けるみたいな.

 その曲というのは,ドビュッシーのプレリュード第2集の第11曲「交差する3度」です.その昔,私が出だしを携帯の呼び出し音として使ってた(笑)曲です(今でもPCのアラームとして使ってる).

 リンクを貼っておきます.

 どうですか? 弾けそうですか?

 動きは速いし,技術的に易しい曲ではないですが,原理的には,指はほとんど動かす必要は,ありません.指を変えるのが面倒なら,左右とも2と4(人差し指と薬指)に固定してもいいと思います.

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[人生の全貌]

 思うんですが,ようやく「人生の全貌」が何となく見えてきた気がします.そして,それは,悪くない感じです.

 何度か「残り時間」のことを書きました.基本的には,今まで生きてきた時間で,人生の全体の長さを測るしかないので,だいたい半分まで来ないと,全く先の感覚がわかないってことなんですが,40代では,まだ見えてなかったと思います.

 つまり,50を過ぎて(人生が実質終わって)ようやく全貌が何となく見えてきたということでしょうか.

 それは,若い時のような漠然とした不安というよりは,期待というか希望の方が大きい感じですかね.でも,それには,体と脳と心の健全が必要ですけど.

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 見方を変えると,もし,人生が50年とか60年なら,30くらいで人生の半分くらいまで来ているので,そこで人生の全貌が見えたか,ってことなんですが,そんなわけないですよね.それは,20くらいまでの成長期とそれ以降の活動期の中身とか時間感覚とかが全く違うからで,結局は,そういうこと,つまり,50を過ぎて,実質人生が終わったというか,先が見えたってことなんですかね.実際,50代くらいまでに経験したこと以外のことがそれ以降起こることは,ほとんどないと思いますからね.

 いや,だったら,全く経験していない新しいこと始めれば,いいじゃんってことなんでしょうが,そういうハードルをもう越えられなくなってしまうのが50代ということなのでしょうか?

 そうかもしれませんが,50代くらいまでに経験したこと以外のことがそれ以降起こることは,ほとんどないと書きましたが,定年で仕事を失って年金を貰って悠々自適?な生活ってまさにそう(50代くらいまでに全く経験してないこと)ですよね.そういう意味では,後退とも思えることでも,考えようによっては,一種の冒険というか,そこを何とかして,いいものにすることだと思うんですよね.

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[チームのため?]

 広島の鈴木誠也が,最初は,自分のために野球をやっていたけど,結果が出なかった.でも,自分のためではなく,人のため,チームのためと考えるようにすると結果が出るようになったというようなことを言っていました.どう思いますか?

 その人の性格にもよると思いますが,自分のためと考えると頑張れないけど,人のため,世の中のためと考えると頑張れるということはあると思います.そもそもそう(個人ではなく人類が繁栄するように)プログラムされてますからね.でも,そう考えると頑張れるということは,人のためとかチームのためってことですかね? 結局は,自分のためってことでは?

 でも,人のためとかチームのためというのは,やる気三要素的には,自分のため(報酬)から,人との繋がりにワンランクアップしたことには,なるかな.でも,更に,その上の内的熟達までは,行ってないってことでしょうか.

 野球というのは,本来的には,世の中の役に立たないものですから(人に感動を与えるとか言ってるのは,そういうことにして金儲けしてる奴がいるということ),プロ野球というものが存在して,それで飯が食えてるうちは,人のためとかチームのためでも頑張れるかもしれませんが,そういう状況では,なくなったときに真価が問われるということで,もし,内的熟達的に野球をやっているのなら,それで飯が食えなくても,別の仕事をして生活費を稼いででも続けるものでしょうからね.

 話を敷衍すると,これは,まさに定年で仕事を失った後も仕事(研究)を続けるのか,ということになります.もし,続けないのなら,報酬(生活費を稼ぐ)や人との繋がり(世の中の役に立つため)でやってたけど,研究本来の内的熟達的なものでは,なかったということになりますね.

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 対照的に車いすテニスの国枝慎吾が,テニスが面白くてしょうがない,バックハンドのフォームをこう変えると,こういう球が行ってとか,そういう新しい発見が延々と出てきて,そういうのがどんどん積み重なって行って,いくらやっても全く飽きないし,情熱を持ち続けられると言ってました.

 そうですね.これが本来の姿じゃないですかね.

 でも,世の中的には,人のため,チームのためと言った方が受けがいいというか,そういうことにして,いろいろよからぬことを,ということがあるわけで,まあ,選手の立場としては,本来役に立たないもので,飯を食っていくためには,致し方ないところもありますが,そういうことを真に受けて,騙されてしまうのは,滑稽ですかね.

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