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9/1'21
[収束して行く]
(このサイト)

 テストステロンを上昇させる食材ですが,早速出てきました(20131024).でも,そこから少し読み進めましたが,すぐにどうこうということはないみたいです(今持ってるイメージとしては割とすぐ効いた感じでしたが).

 あと,もう8年前の記事ですが,既に今考えてることに近い感じはしますね.ただ,まだ将来は(リタイアしたら)東京に(帰って)住みたいと思ってるみたいなので,その転換点はまだ先ってことですね.

 なので,再新発見的なものはそんなにないんですが,それでも,うまく考えをまとめているというか,再認識する記事もあって(例えば,人間本来の生き方や生活とか),このサイトの記事の中に過去の記事の読み返しというカテゴリーを作って,ぐるぐるまとめていくといいかもしれません.一種の無限ループ(笑)になる気もしますが,それがまさにだんだん収束して行くってことでしょうか.

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 その後,少しフライングして少し先の記事を(読まずにざっと)見たんですが,1か月くらいで「大分いい」ということが書いてありますね.つまり,そのくらいで「効いた」ってことかもしれませんが,単に周期的なものもあるので,今にして思えば,それが全てではない気もします

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 あと,この時期,スマホとかWifiとかの外でインターネットに繋ぐ環境を効率的にどうやって構築するかという記事がとても多いのですが,今はまさにこのとき理想としていた「スマホ1台でオールインワン」なわけで,隔世の感がありますね.でも,これは,Nexus5を買ったときに実現したので,もう大分前の話ではありますかね.

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[ヤクルト1000]
(生活)

 とあるFBで「ヤクルト1000」が爆上がり(笑)してるのですが,不眠で悩んでいて飲んだら一発爆睡とか,飲んだ途端に眠くなるとか,ほんまかいなという感じですが,ものは試しということはあるので,帰り道にあるスーパーに行ってみたんですが,売ってなかったです.

 でも,他のヤクルトは置いてあって,例によって,成分表を見ると,しっかり香料とかの添加物がはいってますね.ということは,ヤクルト1000もそうかと思ってみてみたら,やっぱりそうでした.

 毎日飲まないといけないらしいので,パスですかね.というか,腸内環境が乱れている場合にそれを整えることで安眠に繋がるということで,私の場合,腸内環境が乱れているということはないので,そんなに効果はないと思いますし.

 でも,じゃあ,どうしたらってことなわけで,まあこれも研究対象というか,考えてることはあるので,それを進めていくってことですかね.

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[自分勝手?]

 人間本来の生き方や生活というか,世の中の何の役にも立たなくても,とにかくやりたいこと(があってそれ)を一人(時々みんな)でしこしこやって行けたらそれでいいと思うとか言うと,何て自分勝手なとか,世の中の役に立つことしろよと言う人もいると思うんですが,その実態は,余計で無駄なことをして目先の経済を回して後世に莫大な借金を残していることなわけで,挙げ句の果てには地球温暖化はそれが原因で,それを何とかするためにまた余計なことして経済を回そうとしてるわけで,もうほんと滅茶苦茶で,やっぱり,そんな世の中からさっさと離脱というか,できるだけ距離を置いて,やって行きたいと思いますね.

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 過去の,それも最悪期(というのが今から振り返るとわかる)の頃の記事を読んでると,その頃の心境に引き戻される感じがするということはあるかもしれませんね.でも,今から振り返ると最悪期とは言え,2013年8月の体調が最悪だったときを除けば,それなりに楽しくやってたとも思うんですよね.

 いずれにしても,実際にそこから4年後にリタイアすることはなく,更に,その数年後に大学を移ってきたわけで,現時点ではもう定年前にリタイアすることは全く考えてないというか,そもそももうそんなに時間があるわけでもないですからね.

 逆に言えば,もうほんとに定年後どうして行くかがまったなしになってきたわけですが,世の中から距離を置く的には,そういう生き方ができてきてて,準備は着々と進んでるとも言えます.もちろん,いろいろめんどくさい仕事はあるのですが,準備ができてくると,定年までの話だし,うだうだ言ってないで,ちゃっちゃと片付けようという気にもなるわけです.

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[配当分は使ってよし]
(経済)

 心や生活の準備もあるのですが,定年で給与(−年金)というキャッシュフローを失うわけで,やはり,経済的なことは重要で,もちろん,それなりの貯蓄はありますが,貯蓄では危ういことは何度も書いてる通りです.

 家を(買いたくないけど)買うのか,賃貸ならURか民間の楽器相談のところか,どこに住むかとかいろんな要因があるのですが,まずはとにかく「先立つもの」でしょう.それで,貯蓄(現金)が危ういならそれを守ることが必要で,それは,運用して増やすということではなく,現金(日本円)をものとか違う形態に変えておくことで資産を守るということです.

 でも,年金だけでは(賃貸なら家賃も含めて)足りないのなら,(取り崩して目減りして行くのが嫌なのなら)ある程度「稼ぐ」必要もあって,その辺のバランスを考えることも重要です.

 それで,どこかで書いたと思いますが,「1割則」的に言えば,全資産の1割くらいなら使ってもいいかってことなんですが(例えば,全資産の1割で家が買えるのなら買ってもいいかとか),考えてみれば変な話で,それで誰かが言ってたことを思い出しました.

 その人は,投資家か,起業して自社株をもってる人だったかは憶えていないのですが,要は,なにがしかの株式を保有していて,たいそう儲かってはいるのですが,割とちゃんとした経済感覚をもっていて,その人が言うには,株を売るわけには行かない(なので,起業して自社株をもってる人かな),でも,生活して行くのにお金は必要なので,じゃあ,どれだけ使うかというと,配当分は,使えると考えているということでした.

 どこかで,配当は,(株主還元などではなく)株を保有していても売れない起業した人のために設定された仕組みと書きましたが,まさにその通りということでしょうか.

 これを自分の場合に当てはめてみると,私は,起業して自社株をもってて売るに売れない人ではないのですが,守るべき資産はあるわけで,それを運用というか,守るために他の形に変えることで,なにがしかの利益が得られれば,それはキャッシュフローとして使ってもいいと考えることはできます.

 じゃあ,元手になる資産はいくらあればいいかですが,これは,いくらあればいいというよりは,定年の時点で「いくらあるか」で決まるわけで,そこからスタートするしかないわけです.つまりは,これまでは(定年までは),利益が出てもそれを元手に回して複利で増やす数理モデルということだったのですが,それは定年で終わりというか,必要な分は使うということですね.

 ここまで書くと,なんて当たり前のことって感じもするんですが,重要なのは,やはり,定年時にどのくらいの資産があるかです.つまり,その額と配当というか運用利回りで生活水準が決まるということでしょうか.

 でも,私の場合,収入によって支出(生活水準)が変わることはないので,つまりは,元手と利回りで必要な分を確保できるかということですかね.例えば,資産が1億で3%で運用できれば(資産を全く減らさずに)300万のキャッシュフローが得られるわけで,10億で1%なら1000万,2000万で10%なら200万ということですが,1億で3%なら年金を合わせればまあ大丈夫,10億で1%なら全然余裕だけど,2000万で10%ならちょっと厳しい(けど,資産を切り崩していくことはできる)ということですかね.

 いずれにしても,こういうお金の計算もちょっと面白いというか,もちろん,それで必要な支出を減らすことも節約することも,あるいは,余計なお金を使うこともないのですが,運用には,どれだけリスクをとるかということはあるわけで,そこのところの絶妙なバランス感覚は必要だと思います.

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9/2'21
[vs都心の一等地に賃貸マンションを保有]
(経済)

 運用して利回り分を使うとかより,例えば,都心の一等地に賃貸マンションとかを保有して,家賃収入がある方が楽勝?

 でも,都心の一等地の賃貸マンションもどんどん老朽化して行って,資産価値もとれる家賃も下がりますし,経済が悪くなれば,更に,評価額も家賃も下がりますし,空き室とか,建物のメンテとかは大変で,そういうものを業者に任せるとがっつり手数料をとられるますし,大地震が来たらもっとやばいことになります.

 そう考えると,運用というところまで行かなくても,成長して株価がどんどん上がって行くことはなくても,経済状況によって変動しても,長いスパンでみれば,何とか株価を維持して,年数%程度の配当を出す(実質,平均すると年数%ずつ株価が上がるということ)優良企業の株式をもつくらいの方が分があるような気すらしてきます.

 もちろん,どうやって優良企業を選ぶかが最大の問題なんですが,「都心の一等地」かどうかと同じくらいの判断はできるでしょうし,それこそ,日本や世界を代表する企業のいくつかに分散するというのでもいいでしょうし,時代の流れに合わせて銘柄を入れ替えるのも簡単にできますからね.

 ポイントとしては,この場合,成長性とか,株価の値上がり益は狙わない,配当分は現金化されるので,10年スパンくらいで平均して配当落ちを埋めて株価を維持できればいいけど,保有する不動産評価が減るように多少値下がりしても気にしないということでしょうか.

 まあ,あくまで「都心の一等地に賃貸マンションを保有」するより,そんな風にやった方がまだましなんじゃない?というようなことですけどね.

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9/3'21
[なんて日だ]
(日記)

 今日は,朝9時から夕方19時近くまで,何と6つの会議がほとんど隙間なく連続するという一日でした(昼食の1時間は確保).学内とか学外とかいろんな会議がパズルをはめるように連続していて,なかなかありえないことです.というか,前の会議の終了時刻と次の会議の開始時刻が同じなので,オンラインじゃなきゃ絶対無理ですね.

 繋いできいてるだけのものもあるのですが,議長というか,ほぼほぼ自分がしゃべり続けるものや,かなり発言しないといけないものもあったんですが,ずーっときいてるだけより却っていいのかもしれないというか,思ったほどの徒労感はないですね.

 でも,学生が学会やセミナーの発表前で,パワポや動画を次々と送って来るので,Zoomもミュートにして動画を見たりとか,なかなか大変ではありました.

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(政治)

 Sさん,辞めるんですね.ちょっとびっくりしましたが,まあしょうがないかな.

 新型コロナでこういうことになって,ついてなかったとは思いますが,結局は,番頭は務まるけど,リーダーとしてはってことでしょうが,そのくらいの玉で首相になったんだから,本人としては出来過ぎ? でも,しゃべり方というか,こういう状況で,国民を説得するとかいう感じには程遠かったですし,最初から,A倍政権を継承するとか言ってるようではね.

 じゃあ,次は誰がなるかというと,いつものようにほんと人材がいないですね.K田さんは,しゃべってても何が言いたいのか全然わからなくて,発信力がないのはSさんと似てますし,I破さんは,やっぱり,ちょっとエキセントリックで心配だし,K野さんは,ちょっとはましな感じはするけど,守旧派に取り入ってのし上がってきたT市さんは問題外だし,それこそ,一番受かる確率が低いN田さんが一番まともなんじゃないですかね.

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[30分]
(経済)

 Sさん退任のニュースの後の「今日のニュースの一覧」で,東証が取引時間延長を検討していて,もしそうなれば70年ぶりとか言ってます.大そうな扱いですが,延長されるのは,たった30分です.そして,システムの変更とかが大変で,実現は数年後とか言ってます.

 なんでこんなにしょぼいんですかね.24時間とは言いませんが,本気で顧客を獲得したいのなら,海外との時差を考えれば,祝日とか欧米の昼時間も開けるとか,どうして考えないんですかね?

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[ニュートラル]

 最近は,4.5時間で一度目が覚める感じで,睡眠はあまりよくないんですが,体調とか調子的には,悪くないと思います.確かに忙しくて否応なしってところはありますが,内的に安定してる感じがします.

 じゃあ,いい状態かというとそういうわけでもなくて,一言で言えば「ニュートラル」ってことですかね.つまりは,外的にいいことがあっても,よくないことがあってもあまり関係ないというか,もういいことなんかないと思うので,そうすると,よくないことやめんどくさいことがない方が重要で,そういう意味では,人生の残り時間が少なくなって行くのも悪くないというか,それはそれでOKで,まさに「ニュートラル」な感じです.

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9/4'21
[ベスト4]
(バドミントン)

 パラリンピックのバドミントンに出場していた藤原ですが,シングル,ミックスともに予選ラウンドを抜けて準決勝まで行ったのですが,そこで敗れ,シングルは,三決も敗れて,ベスト4ということになりました.でも,世界のベスト4ですから胸を張っていいと思います.

 ここでも何度も書いてますし,彼にも何度も言いましたが,1つの試合の結果とか,この日のためだけにバドミントンをやってきたわけではないし,普段の練習とか,生涯を通してどうバドミントンと向き合っていくかが遥かに大事なわけで,彼のバドミントンライフの中の(大きな)1ページということでしょう.

 明日は,ミックスの三決が残っていますので,最後まで楽しんで欲しいです.

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9/5'21
[総合防災合宿]
(大学)

 金曜の夕方,土曜の朝から夕方まで,そして,今日(日曜)の昼までと総合防災研究グループの合宿でした.こういう状況なので,全てオンラインになったのですが,延々とD3からB4までの発表があって,発表は全部英語で,なかなかしんどいですね.中身的にも,私がやってることとは,ちょっと(大分)違ってて,考え方というか,取り組み方もかなり違います.

 総合防災研究グループというのは,その名の通り,防災を総合的に研究するってことで,私が所属する社会防災研究部門と巨大災害研究センターからなるのですが(組織図),中身としては,文系とまでは行かなくても,計画系,ソフト系,情報系,行政,社会科学,人間心理,つまりは,どうやって実際の防災に繋げていくかということがメインで,物理とか力学的な話はほとんど出てこなくて,概念的というか,もやっとしてるというか,対象とする災害も多岐にわたるんですが,地震はほどんど出てこなくて水害とかがメインな感じですかね.

 学生の半分は留学生で,発表は全部英語で,でも残り半分は日本人で,留学生もnativeではないので,英語を聴く練習?にはあまりならない(笑)というか,中身的なこともあわせてなかなかしんどい,でも,逆に傍観者的な感じでそれなりに楽しませてもらった(全く他分野の発表は意外と参考になるところもある)という感じでしょうか.

 で,思ったのは,「人がもつ興味は様々」ってことですかね.彼ら(という言い方が傍観者的)の興味というか,熱くなるポイントというのがあって,でも,それは,彼らの興味で,それ以外の分野の人は,全然違うところに熱くなるわけで,傍観者的には,それはそれで面白いんですが,当事者になると,そのポイントによって評価基準が全く変わっくるので,ちょっとやりにくいですかね.

 私が所属しているのは,社会防災研究部門なのですが,これ以外に,総合防災研究グループ,そして,防災研全体とか,吉田(というか桂)の建築学科との関係で建築系とか,いろんな枠組みがあって,それぞれでかなり雰囲気も違ってて,いろいろ複雑というか,ちょっと大変なところもありますね.

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 総合防災合宿と似たような経験を過去にしたことがあって,それは,若手地震工学研究者の会のセミナーです.そこは,地震工学,いわゆる地震動(がどうやって生成されるか,つまり,震源や伝搬経路や表層地盤)や土木系の人が多くて,建築はそんなにいなくて,彼らが熱くなるポイントとかが違うと思ったのもそうですね.そういう意味では,地盤震動の世界もそうかな.

 彼らは彼らの中でプレゼンや議論をするので,それ以外の分野の人にわかりやすく説明しようとはあまり思ってなくて,それは,今回の総合防災合宿もそうでした.こっちとしては,地震動や土木系や総合防災系にもわかりやすく説明しようとしているのに,不公平というか,なんだかなあという感じで,若手の会では,そういうことを言ったこともありました.

 でも,結果として,私個人的には,建築に限らず,地震動や土木や地盤震動の人達と交流できて,まさにものすごく人脈(という言葉は好きではないが)が広がって,挙句の果て?には,評価されて重宝されるようになったわけで,何がどうなるかわからないもんだとは思いますね.

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 じゃあ,これからは,総合防災系にも範囲を広げていくのかというと,うーん,どうかなあ.上で書いたように,私のテリトリーは,既に非常に広い範囲に広がってて(建築の中でもRCから木造に対象は広がってるし),防災研に来た理由の一つとして,地震動研究者と連携してどういう震源や地盤の組み合わせが建物の大きな被害を引き起こす地震動を生成するかをやりたいと思ってるということがありますし,そもそも,もう風呂敷を広げるよりは,畳んでいかないといけない段階ですからね(定年という制度が問題ということ).

 でも,知的好奇心に勝るものはないので,総合防災的なこともやりたいと思えばやるんでしょうね.そして,既にそういうこともやっていて,具体的には,防災システムの精度の低さが却って被害を拡大させている(例えば,津波警報が出ても津波は来ないということを繰り返すとオオカミ少年のように人々は避難しなくなる)ということの問題をどうするかなんですが,今回,総合防災合宿での発表で,直接そういうことをやってるようなものは,なかったですかね.

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[銅メダル]
(バドミントン)

 パラリンピックバドミントンのミックス三決ですが,藤原のペアが勝って,ブロンズメダリストとなりました(総合防災合宿で見られなかったけど,朝からバドミントンの中継はしてて,ミックスの試合は中継されたのかな?).彼の本職はシングルなのですが,こういう形になって,確かに彼のバドミントンライフの中の(大きな)1ページということではあるんですが,結果が出れば,嬉しいものです.

 メダリストと言っても,3位以上はみな同じわけはなくて,1位(金メダル)と違うのは当然なのですが,どこかで書いたと思いますが,3位というのは,一度準決で敗れて思い直して獲るものなので意味は大きいと思います.

 そして,3位とそれ以下の間に,メダリストかそうでないかという歴然とした差があるのも事実で,でも,3と4という数字にそれほど有意な差があるとは思えないので,これは,社会というか,オリンピックとかパラリンピックの評価システムがそうなってるということなんですが,そういうルールの中で銅メダルを獲得できたのは,やはり,大きいということでしょうか.

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 藤原の試合の前というか,朝方(総合防災合宿に行く前),車いすのシングルをやっていたので,ちらっと見たのですが,驚くほどレベルが上がっていてもうびっくりです.私が藤原と練習していたころ,何度か全日本の試合で車いすの試合も見ましたが,半面でも物理的にコートが広すぎる感じで,さすがに車いすでバドミントンをやるのは無理があるなあという印象だったのですが,今日の男子シングルの決勝は拾いまくってめちゃめちゃラリーも長くて,普通にシングルやってる感じでした.

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 バラリンピックの最終的なメダルランキングというか,正しい定量的評価は,以下のようになりました.

 

 オリンピックは惨敗だったバドミントンでメダルラッシュになったこともあり,少し順位を上げて,前回のリオの大惨敗からは大分回復したんですが,地元開催の割には,という感じでしょうか(確か,JPCの目標は,金20個じゃなかったかな).

 それにしても,中国の独走がすごいんですが,もちろん,単純に人口が多いとか,強化策がとられてるということはあるでしょうが,それは,オリンピックも同じなので,何か別の理由がありそうです.で,単純に障がい者が多い(人口が多いことに加えてその割合も多い)ってことじゃないんですかね.

 と推論して調べてみたら,やはり,そのようです.数にして1億いるとも言われてるらしいです.そして,その背景的なものも何となく想像はつきますよね.

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9/6'21
[2013年が大きなターニングポイント]

 最近忙しくて(と言っても,最近以外は暇なわけはないんで,最近特に忙しいってことですかね),あまり,読み進められなかったんですが(でも,寝るとき読んでるんだから,忙しいかどうかは関係ないはずですが,忙しいと疲れててすぐ眠くなるってことですかね),2013年の記事を読み終わりました.結論から言うと,この年が大きなターニングポイントになったのは間違いないですね.実際,重要な記事も多いですし.

 特に11月に「何かが起こった」わけで,でも,それは外的要因(は何も変わっていない)ではなくて,内的要因,もっと言えば,体調でしょうか.要は,ある食材を摂取するようになったということですが,当時の記事にもあるように明確な因果関係があるかは不明で,更に言えば,体調というか好不調は周期的に変化するわけで,実際,2013年から今までずっと好調なわけはないし(実際,そこから少し読み進めると,2014年1月は○○長打診騒動もあって,体調が悪くなってる),なんだよ,単にそういうことかよという感じもしてきます.

 でも,言えるのは,そういう中で,その都度その都度よく考えて対処して行く,そして,周期的にぐるぐる変化しながらも元のところに戻って来るのではなく,らせん階段のように上がって何かに近づいていくことですね.そういう意味では,2013年を境に全てが一瞬にして変わったわけじゃなくて,その後,どうなって行ったかも読んで行こうと思います.

 あと,思ったのは,2013年くらいと今も(自分の内的な)雰囲気が似てるということでしょうか.状態がいいというよりは,ニュートラルというか,何でもありというかどうでもいいというか,そんな感じですかね.でも,それじゃあ,8年前と変わらないわけで,でも,実際のところは,今と8年前は違うし,ぐるっと何周かして今は当時より高いところにいるとは思いますからね.

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[どうしようもない世の中]

 あと思ったのは,2013年というと,もう8年前ですが,そのときこれからどうなるという予言のようなことがことごとく当たってるわけで,そして,それは世の中的にはどんどんおかしな方向に行ってるってことで,予言が当たったからOKとは行きません.でも,そういう予測のもと,いろいろ対策はしてきたわけで,それはそれで(私にとっては)よかったと思います.

 あとは,その時の雰囲気と今がよく似てるということでしょうか.具体的には,当時は,リーマンショックで行われた量的緩和を解除して行く段階で,今はまさに新型コロナで行われた量的緩和を解除して行くことが議論されてるわけですからね.経済というか株価も当時はAベノミクスで大きく上昇して,そこからどうなるかで,今もまさにそうですからね.

 いずれにしても,世の中的には,どんどん借金をして目先の経済を回して,莫大な負の遺産を後世に付け残すわけで(今回の総裁選でK田さんは,大きな経済対策を打つと言ってますし,T市さんに至っては,債務上限を撤廃とか言ってて,壮大なバブルを作ることになるので,株式関係者は色めき立ってる),世界恐慌は,確実に近づいて来てる気がします.ずっと,そういいながら,なかなかそうならないじゃないかというのがまさに罠で,先送りするほど,壮大にバブルは崩壊しますよ.

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 思うのは,どいつもこいつも自分のことしか考えてないってことですね.

 J民党のSさん下ろしも,結局は,Sさんが選挙の顔では,「自分が」選挙で落ちるから,つまり,自分のことしか考えてないわけで,新型コロナや経済や日本という国をどうするかとか全く考えてないというか,どうでもいいわけです.

 国会議員にしてこの惨状ですから,国民はなおさらで,実際,「選挙の顔」が変わることで,もうJ民党が負けることはないということで,そんなことであっさり騙されるわけで,株はどんどん上がってるわけです.何度も書いてますが,ほんとこんなどうしようもない世の中からさっさと離脱したいし,とにかくできるだけ関わり合いをもたずにやって行きたいですね.

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 いやいや,(しっかりマネージメントしながらも)大きなリスクをとった取引もそうですし,資産を守るということは,全財産を(かなりリスクは抑えて)ぶっこんでるわけで,言ってることとやってることが全然違うんじゃないの?と言う人もいるかもしれません.

 でも,それは全く逆で,だからこそそういうことをしてるわけで,例えば,バブルがはじけたり経済破綻が起こったりするのを指をくわえて見てるだけだと,逆に巻き込まれて不利益をこうむるわけで(ものすごいインフレとか財政破綻で年金がなくなるとかお金が紙くずとか),そういうことから自分の資産を守るということがあるわけです.

 そんなめんどくさくて大変なこと,と思う人もいるでしょうが,これも一種の研究で,それそのものが面白いし,「めんどくさく関わりたくないこと」に関わることなく,まさに内的熟達的にできるというのが大きいですかね.

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9/7'21
[何がめんどくさいと思わないか]

 すぐ上の記事を書いて,変な感じがして,読んでそう思った人もいると思います.

 具体的には,一番最後のパラグラフですね.「めんどくさいと思う人もいるでしょうが,これも一種の研究で,それそのものが面白いし,「めんどくさく関わりたくないこと」に関わることなく,まさに内的熟達的にできる」とあって,一見すると矛盾するんですが,要は,めんどくさいと思う人もいるだろうけど「私は」めんどくさいと思わないということなわけです.

 つまりは,何がめんどくさいと思うか思わないかは,人それぞれということでしょうか.実際,こんなめんどくさいしょーもないことやってどうすんだ?(と私が思う)ことを嬉々としてやってる人もいますからね(それが本質的に価値があるかはよく考えるべきですが,とりあえず,それは置いておきます).そして,それをよく考えて,めんどくさいと思わないことをやるべしということでしょう.

 でも,話はそう単純ではなくて,何がめんどくさいと思うか思わないかよくわからないところもありますし,わかっても0か100ではなくて,そこのところのミックスバランス的なことはあるわけです.

 更に言えば,理想と現実は違うというか,実際の状況も勘案しなくといけなくて,もうここまで来ると,判断は非常に複雑です.そして,複雑になればなるほど,単純に考えることも重要で,言い換えると直感的に判断するというか,でも,それはやっぱり難しいんですが,それができるかできないか,どれだけ実現できるか,現実の中でどう折り合いをつけるかが大事ということでしょうか.

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9/8'21
[ピアノの取り組み方とかメトネルとか]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,例のやり方で(短い曲群の中から食事のメニューのようにそのとき弾く気になる曲をぐるぐる弾く+新曲(メトネルの悲劇的)を30分だけ)まあ何とか弾いてます.でも,そういう感じに収束してから1か月半くらい経ったのですが,ちょっとしんどく,というか,飽きてきました(どこかで書きましたが,7の法則,つまりは,いろんなことが周期的に変化していて,この場合は,7週間に対応).

 でも,とにかく弾くということだと,今のやり方に拘らずに相対的に一番弾きたくなくはない曲を弾けばいいし,もっと言えば,弾きたくなくなれば,弾かなくてもいいわけです.そういうことでは,メトネルを30分というところを昨日は,メトネルだけを弾いてました.

 なので,その日その日どうするか考えて何とかやって行けばいいのでしょう.

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 メトネルの悲劇的ですが,1回30分だけなので,さすがに進まないのですが,それでも1か月半で半分くらいまでは来ました.と言っても,譜読みに毛が生えた程度で,暗譜はおろか,譜面を見ながらでも所々通らない段階ですから,ゴールは遥か彼方ということですが,思うのは,今年はピアノプロジェに出ないので,いつまでにとにかく弾けるようにならないといけないとか考えなくていいのはいいってことでしょうか.

 でも,よくよく考えてみたら,普段からそうすればいいってことですよね.つまりは,演奏会で出すために,とか考えるからしんどくなって弾く気がなくなるわけで,そういうのと関係なく練習して,気づいたら人前に出しても何とかなるかなと思ったときにエントリーすればいいってことでしょうか.

 もちろん,そんな単純な話ではないというか,ピアノプロジェの場合は,エントリーが9月で演奏会が11月とか12月なので,9月の段階であと2か月あればどのくらいまで行くかは何となくわかるわけで,でも,これまでは,7月くらいに曲を決めて練習を始めて,年末の本番に間に合うかどうかわからないというか,かなり際どいというか,結局間に合ってない状態で弾いてしまってたわけで,それはやっぱりあんまりよくないですね.

 いや,違うか.9月のエントリーの段階で何とか間に合うというか,間に合わせるつもりで強行するからしんどくなるわけで,その段階での甘い見込みをやめるというか,演奏会で出せる判定基準の大幅な修正が必要ということですね.

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 メトネルの悲劇的ですが,最初にきいたのは,もう20年以上前だと思うので,例えば,シューベルトのD.960のソナタやゴドフスキーのジャワ組曲のように再発見というか,再認識だったんだと思います.そういう意味では,カプースチンも最初にきいたのは,もう20年以上前ですが,そのときは,まさに「発見」で,なおかつ,すぐにとりかかったというところが大きく違うわけです.

 最初にきいたときは,すぐに弾こうとは思わず,何十年も経ってから弾こうと思うのは,不思議な感じですが,逆に言えば,そういうことがないと弾く曲がもうないということになってしまって,ここ20年くらいずっと「弾く曲がない」状態で苦しんできたとも言えます.

 でも,最近,別のやり方というか,最初に「発見」したときに弾こうかなと思ったけど,他にもっと弾きたい曲があるとか,そのときはなぜかはまらないとか,今は弾けそうにないというかしんどいとか,いろんな理由で「棚上げ」されている「いつか弾きたい曲」,つまりは「好きな曲」が結構あって,そういう中から相対的に一番弾く気にならない度が低い曲を弾いていくことならいくらでもできるし,残り時間を考えると,もうそれでいっぱいいっぱいどころか,もう全部はムリーということにも気づいたりしたわけです(要は,そういう曲をしっかり整理して全体像を把握したということ).

 で,話をメトネルに戻すと,つらつらといろんな情報を集めてると,世間一般のメトネルに対する認識が浅すぎるというか,具体的には,音楽の近現代が進んでる中でそれに真っ向から抵抗して,頑ななまでにロマン派の流儀を通したというのは,違うと思うんですよね.

 そういう感じなのは,むしろラフマニノフで,彼の音楽は,彼らしさというか,彼独特の雰囲気や格好よさはありますが,音楽的に新しいところは,ほとんどありません.でも,メトネルには,何かの新しさが感じられます.

 そして,それが何かというのは,なかなか表現が難しくて,簡単に言ってしまえば,聴けばわかるでしょってことです.でも,聴いてわかる人は多くない(ほとんどいない)とも思うんですよね.だからこそ弾く価値があると思うのですが,表現が難しいものを表現するのは,やはり難しいわけで,しんどいっちゃあしんどいですかね(でも,そういう意味では,悲劇的は,わかりやすい方だとは思う).

 実際,音の作りはものすごく複雑,かつ,どうしてそうなっているのかが直感的に理解しがたくて,でも,結果として出てくる音楽は,独特というか新しさを感じるわけで,まだ,捉えきれてないところも多いですし,暗譜も至難だと思います.

 そんな感じで,メトネルの悲劇的も,いつどこで挫折するかわからないところはあるんですが,いつまでに弾けるようにならないといけないということはないので,それが救いと言えば救いですが,いつでも勝手にやめられるとも言えるわけです.そこのところのメンタルがどう影響するか,観察というか実験ですかね.

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 一つ考えられることとしては,いつもだと,弾こうと思って弾いてて,でも,どこかで,頭打ちになってくるというか,こんな感じだと演奏会までにちゃんと弾けるようにならない感じがして挫折するんですが,演奏会までにちゃんと弾けるようにならなくてもいいということになるとどうなるのかてことですかね.

 どこかで書きましたが,一番楽しいのは譜読みの段階で,つまりは,弾ける度合いは関係ないというか,むしろ,一番弾けない時なわけで,「こんな感じだと(演奏会までに)ちゃんと弾けるようにならない」からやめるというのは,何か変な気もしていて,じゃあ,「ちゃんと弾けるようにならない」状態が続いたときにどうなるかってことでしょうか.

 要は,結局,ピアノに限らず,何に効力感を見出せるかってことで,もちろん,譜読みの段階は,新鮮だし,どんどん弾けるようにもなって行くってこともあるんですが,ある程度弾いてると,だんだん飽きてくるし,弾けるようにもなって行く度合いも落ちてくるんですが,そこでどうするかですね.

 一つは,今やろうとしているのは,まずは暗譜することにしてやることを増やすこと(暗譜することで弾ける度合いが増すのなら,ちゃんと弾けるようにならない壁の1つを突破できる可能性があるということ),今まで適当に弾いてたところを(少しは)ちゃんと練習すること,そして,そのためには,動きを洗練して単純に指を動かして音を正確に再現することに効力感を見出すこと(ゲーム感覚)でしょうか.もちろん,最終的には「音楽」にしないといけないわけで,でも,それは自然とそうなる(私の音楽的才能次第)とも思うんですよね.

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[とにかく我慢してやるのではなく]

 ピアノもそうですが,こうして考えてみると,どういうことがめんどくさいと思うかもそうですし,どういうことに興味をもてるか,やり甲斐を感じるか,飽きが来ないかという,自分の性質を知ること,そして,現実の中にどう折り合いを付けて最適解を見出すかってことで,なかなか難しいのですが,言えるのは,そこに注力すべき,具体的には,やりたくないけどとにかく我慢してやるのではなく,(こんなことやってどうすんだ?というような)やりたくないことをどうやって最小限にするか,やらないといけないのなら,どうやって多少は我慢しないで済むかよく考えて創意工夫することだと思うんですよね.

 とは言え,とにかく我慢してやった方が手っ取り早いこともあるし,なかなか難しいのですが,やっぱり,そういう中での究極のマネージメントだし,そういうこと自体に効力感を見出せるのかということでしょう.

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[デフォルト]

 結局,やりたいことなんかないし,自分が誰かから必要とされることも,世の中の役に立つこともなくて,人生は退屈でつまらないものであるというのがデフォルトなんだと思います(まさに人生所詮退屈しのぎ).

 でも,そういう中で,ちょっとでも,あるいは,一瞬でもちょっと面白いというか,退屈しのぎならやってもいいかと思えるようなことがあったり,自分のことが必要だと言ってくれる人がいたり,少しは世の中の役に立つと勝手に思えるようなことがあれば,それは大ラッキーなわけで,ありがたくやらせていただくということでしょう.

 定年後問題も然りで,定年で今の仕事をクビになっても,それは,本来というかデフォルトの「やりたいことなんかないし,自分が誰かから必要とされることも,世の中の役に立つこともなくて,人生は退屈でつまらないものである」に戻るだけの話で,いろいろめんどくさいこともなくなるわけですし,そういう中で少しでも楽しくやって行けばいいのでしょう.

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[南先生が亡くなった歳]

 今日は,南先生の命日なんですが,てっきり,去年のこのサイトの誕生日のあたりで,彼が亡くなった歳になったと書いたと思っていたのですが(ざっと見ただけですが),書いてないみたいです.

 もちろん,ずっとそういうことは認識していたので,単に書くのを忘れただけですが(引っ越し直前でばたばたしていたのもあるか),父が亡くなった歳を過ぎ,南先生が亡くなった歳になったわけで,つまりは,父や南先生より+αの時間をいただいたわけで,感謝しないといけませんね.

 とか書いて,もう一度読み返したら,ちゃんと書いてました(笑).

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9/9'21
[マスク]
(世の中)

 緊急事態宣言が延長ということですが,もう別段そんなにニュースにもならないというか,なんなんでしょうね.

 でも,相変わらず感染対策はグダグダで,それは,政府とか自治体がというよりは,一般市民もそうですかね.マスクをはずさずずらしている人はとても多いし(ずらして戻すと顎に付いてるかもしれないウィルスを口に引っ張ってくるってことがどうしてわからないのでしょうか?),逆に意味なくかたくなにマスクをしてる人も多いです.

 電車に乗りたくないから自転車で通勤してるって人がいたんですが,マスクをして自転車を漕ぐのがしんどいとか言ってます.はぁ? 自転車に乗ってるときにマスクをする必要がありますか? 「密」の中で自転車が漕げますか?

 でも,正しい正しくない関係なく,多数派が正しいのが衆愚的民主主義です.対面で話をするとき以外は,マスクをすることはほとんど意味がないので,私は,必要なとき以外はマスクをしていません.でも,廊下に出てトイレに行くときは,みんなマスクをしてますし,それは,外を歩いているときも同様です.

 で,思うのは,私がマスクをしてないと回りは私をどう見るかです.彼らは(たとえそれが間違っていても)常にマスクをするべきだと思ってるわけで,私のことを非常識だと思うかもしれません.そして,余計な波風は立てないに越したことはないでしょう(ほんとめんどくさい).

 ということで,廊下を歩いてトイレに行くときはマスクをするようにしています(時々忘れるけど).外を歩くときもそうですが,この場合は,見ず知らずの人が相手なので,必ずではないですね(もちろん,スーパーで買い物をするとか電車に乗るときは,人との距離が近づくので,マスクをしています).

 なんだかなあという感じですが,まあこれもできる範囲で(歪んだ)現実に対応するってことですかね(ほんとめんどくさい).

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[絶対に無理]
(世の中)

 いつだったか,男女平等ランキングというのが出てて,日本は,世界百数十カ国中最下位に近くて,わかりやすい例として,女性国会議員の割合が1割くらいで世界の中でダントツに低いわけで,でも,そんなこと言ったら,大学教員の女性割合なんかもっと悲惨ですけどね.

 そのとき誰かが,国会議員はみんな年寄りなので,彼らが世代交代すれば変わるんじゃないかと言ってましたが,私はそうは思いません.なぜなら,そういうことは,ずっと昔から,つまり,私が子供のころから言われてたわけで,つまり,そのときの「若い人達」が今の「年寄り」なわけで,若いから考えも若いということにはならないし,歳をとると考えも歳をとるということもあるでしょう.

 実際,日本のような激烈な男女不平等社会(ですよ)にどっぷりつかってると,多くの人がそれが当たり前と思ってて,それは女性ですらそうで,メディアやインターネットなどでの何気ない発言の中に露骨な男女差別が腐るほどあるのに,みんなフツーにスルーしてるわけで,よほどのことがない限り,この国の男女差別はなくならない,少なくとも,自然の流れにまかせていては絶対に無理だと思います.

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[びっくり]
(スキー, ゴルフ)

 私は基本的にはFBは使ってないのですが,連絡用などで何人かの「お友達」がいます.それで,その何人かを登録した後,いろんな動画とか広告が勝手に流れるようになったんですが,なぜかよく出てくるのに,スキーとゴルフの動画があります(「お友達」の誰かの趣味?).

 まず,スキーの動画は,結構いいです.多くはポールの動画で,後ろから付いて撮影しているものですが,どういうタイミングで切り換えてポールにどう入って行くかがとてもよくわかります.要は,とにかく早めに仕掛けろってことですけどね.

 ゴルフは,そんなに参考にならないのですが,先日,PGAのトッププロのスイング軌道をトレースしたものが出てて,びっくりしました.何にびっくりって,結構みんな滅茶苦茶なんですよ.

 滅茶苦茶というのは,言い方がどうかと思いますが,要は,バックスイングとダウンスイングの軌道がばらばらで,何か規則性があるわけでもありませんでしたし,切り返しのところで(シャフトをしならせるために)軌道が乱れる感じもしました.どこかでいつか賞金王になった鈴木愛さんのスイングが昔「すごかった」ことを書きましたが,彼女の昔のスイングほどひどくはなくても,とにかく「すごかった」です.

 問題は,このことが何を意味するかですが,要は,バックスイングでどういう風に上げても,ヘッドスピードが上がってインパクトが一定してスクエアに入ればいいってことなんでしょうか.

 確かにゴルフに限らず,バックスイングとダウンスイングが同じ軌道を通るわけはなくて,というか,それでは,切り返しで力が溜まらないのかもしれませんし,向きが逆なので,同じ軌道を通ることにあまり意味はないのかもしれません.

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[棚おろし]
(ピアノ)

 昔,いい曲だなと思って弾こうかなと思ったけど棚上げになってる曲ですが,理由はいろいろですが,私の場合,やりたきゃすぐやるわけですから,弾かない理由は,単純にちょっと厳しいというか,弾けるようにならないかもってことですかね.でも,いつ頃からか,そういうことはなくなったというか,よほど至難な曲でなければ(例えば,フィニッシーのEnglish country tunesとか(笑))完成度はともかく,やってやれないことはない感じになったと思います(弾けないのに無理やり弾いてるだけかも).

 それがいつかは,だいたいわかってて,大学2年か3年くらいのときだったと思います.実際,大学2年の春にヴィラ=ロボスの野性の詩,秋に春の祭典のピアノソロ版というとんでもない曲(笑)を弾いてますし,4年のときは,リストの超絶技巧練習曲を弾きましたからね.

 でも,大学に入るまでは全然そんなレベルではなかったと思います.つまりは,東大ピアノの会に入ってからの数年間で何かが起こったわけで,具体的には,めちゃめちゃ上手い人がゴロゴロいる中で,いつの間にかそれが当たり前というか,自分もそんな気になった(笑)ということなのかもしれませんが,そんなことで何かが変わるというのはちょっと不思議です.

 まあ,それはいいとして,ここで取り上げるのは,「棚上げになってる曲」に2種類あるのではないかということです.つまりは,「何でも来い」状態になる前に出会った曲とそうでない曲です.具体的には,大学に入るまでは,ケンプのベートーヴェンピアノソナタ全集から,ルービンシュタインのショパン全集,ロマン派,印象派,近現代という感じで,様々な曲を開拓して「発見」したきたわけですが,その頃は,まだ「何でも来い」状態ではないので,いい曲と思ってもとても弾けないと思った曲がほとんどだったと思います.

 そして,棚上げになってる曲の大半は,そういう曲であることに気づかされます.つまり,「何でも来い」状態になった以降は,そういう曲をやろうと思えばできたわけで,実際,超絶技巧に初めて出会ったのは,中学のときのベルマンのLPで,その時は,とても弾けるとは思えませんでしたから,あとになって大学4年のときに「棚おろし」をしたことになります(ショパンのスケルツォの1番とかも).

 でも,実際は,そういう曲を弾くことはほとんどなく,「何でも来い」状態になった後も,「新曲」というか,まだ知らない曲の「新発見」を続けたわけです.これは,今にして思えば,ちょっと不思議な感じもして,もう粗方開拓しつくした中でいくらなんでも無理があるというか,「棚上げ」になってる曲は,それこそ名曲のオンパレードですから,おとなしく「棚おろし」すればよかった気もするんですよね.

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 と思ったんですが,そうでもないですかね.具体的には,これを見ると,「棚おろし」というか,ずっと以前に出会った曲も結構やっていて(例えば,シューベルトのD.960のソナタとか,フランクとか,プロコフィエフとか,ベートーヴェン−リストの田園とか),でも,思うのは,その多くは,「棚上げ」された曲ではなくて,そんなにいい曲とも弾きたいとも思ってなかったけど,その時突然,なぜか弾きたくなって弾いたって感じですかね(そういう意味では,ショパンのスケルツォの1番もそう).

 そして,気づくのは,そういう曲って「弾きっぱなし」なんですよ.レパートリーとして定着してないという意味では,ほとんどの曲がそうなんですが,少なくとももう一度弾くということもなくて,勿体ない感じもしますし,一時の感情に流されてはいけないというか,そういう意味では,ずっと弾き続けていってレパートリーになる曲という意味では,ちゃんと「棚上げ」になってる曲から選んだ方がいいのかもとは思いました(ということで,そういう取り組みを始めているということもあります).

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 つまりは,これからは,もうよほどのことがない限りは「新曲」はやらないということですかね.そういう意味では,メトネルの悲劇的は,新発見ではなく再発見ですが,新曲ではあるわけで,でも,弾いてるということは,いつかどこかの演奏会で弾いた後もレパートリーにするつもりですし,これからは,もうそういう曲しかやらないということですかね

 うーん,でも,実際どうなるかわかんないですかね.つまりは,とにかく弾く気になることが優先なので,弾きっぱなしにするような曲しか弾く気にならなければ,結局,そうなるし,実際,ずっとそうだったわけですからね.つまりは,今新しいことにチャレンジしてるけど,それが成功するとは限らないってことでしょうか.

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 なんか,逆によくわからなくなってきたんですが,要は,再発見も含めて(弾きっぱなしになっても)ずっと「新曲」をやって来たんですが,それに行き詰まりを感じてて,その一方で,数多くの「棚上げ」した弾きたいと思った曲があることに気づたというか,整理すると何かが見えた気もして,後者の方が質的にも揃ってるし,一度フィルタをくぐり抜けているので,弾きっぱなしにならず,ずっと弾いていけるかもしれなくて,だったら,そういうやり方もあるということでしょうか.

 でも,そうすると,同じ曲を繰り返し弾くことになって,新鮮味は落ちるわけですが,ある程度の量を用意しておけば,食事のメニューのように2週間とか1か月とかでぐるぐる回せば行けるかもということもありますし,繰り返し弾くことで完成度を上げること(というか,今までろくに練習してなかったってこと)にどれだけ効力感を見出せるかというチャレンジでもあるわけです.

 なので,まあやってみるんですかね.ていうか,実際,やってて.今のところ2か月くらいは何とか続いていて,ちょっと飽きてきたんですが,新曲(メトネルの悲劇的)も並行してやってるので,それもうまく利用するということですかね.

 要は「やりたいことがない」というか「やる気なし」という中で,効力感を引っ張り出すのに必死ってことですが,ピアノは一つの実験で,これがうまく行けば,同じようなことをバドミントンやスキーやゴルフにも適用してみようと思っています(いつも書いてるように,やる気がないところを我慢してやるのではなく,というか,私にはそれはできないので,いかにしてやる気を引っ張り出すかということ).

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[死ぬのを待っている]

 やりたいことなんかないし,自分が誰かから必要とされることも,世の中の役に立つこともなくて,人生は退屈でつまらないものであるというのがデフォルトってことですが,言い方を変えると,(やることやって)死ぬのを待っているって悪くないかもしれませんね.もちろん,そうするには,やることやったと思える必要がありますし,ある程度,経済的なことも必要で,認知症や要介護にならないようにということもありますが,私の場合,やることやったと思ってますし,経済的なことももう何とかなるでしょう.そもそも,人生って本質的にそういうもの(死ぬのを待っている)ですしね.

 もちろん,早く死にたいということではなくて,「死ぬのを待っている」というのがデフォルトというか基本という中で,+αでできることをできる範囲でやって楽しみながら,その時が来るのを淡々と待つというのも悪くないということです.

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9/10'21
[既にそういう感じ]

 ていうか,既にそういう感じなんだと思います.実際,もう(2013年11月あたりから)第二の人生ですからね.

 でも,実際のところは,仕事は忙しいし,いろいろめんどくさいこともあるのですが,仕事も仕事以外も全部ひっくるめて,というか,仕事とか仕事以外とか関係なく,ちょっとでも興味とかやり甲斐とか私が(ほんとに)必要とされることがあるなら,それは大ラッキーで(と考えて)喜んでやらせていただく(と考える)ということですかね.

 逆に言うと,それ(人生所詮退屈しのぎ)が(哲学的には)人生のデフォルトだったはずが,2013年11月までは,そうでもなかったってことは,ようやく2013年11月から,本来?の人生が始まったというか,第二の人生こそが人生なのかもしれませんね.

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[実験]
(ピアノ)

 「そういうやり方」なんですが,平たく言えば,これまでは,ピアノプロジェに向けて新曲(今までほとんど練習してなかった曲を新たに弾くこと)を練習(というかただ弾くだけ)して演奏会で弾いて終わり(弾きっぱなし)を繰り返してきたことを見直して,既に弾いたことがある曲,あるいは,新曲でも「弾きっぱなし」にせず,ある程度,繰り返して弾いていく,でも,そうすると新鮮味がなくなるのをどうするかということで,動きを洗練して練習して弾けるようになることに,ある程度,ちゃんと弾ける状態で弾くことに効力感を見いだせないかということですかね.

 もし,私がプロのピアニストなら(でも,何度も書きますがプロって何?)ある程度のレパートリーをもってないといけないので,否応なしで,つまり,プロのピアノストは,ある程度,こういうことをしてると思うんですよね.

 あるいは,ピアノプロジェもそうですが,私も人前で弾くことはあるわけで,その気になれば,そういう機会はいくらでも作れますし,ある日突然,そこにピアノがあって,ちょっと弾いてみてと言われることもあるかもしれませんし,実際,そういうことは何度もありましたし(でも,いつでも暗譜で弾ける曲はハチャトゥリアンのトッカータくらいしかなくて,あまりうまく対処できないことが多かったですし),それこそストリートピアノだってあるわけですからね.

 でも,そんなことより重要なのは,やはり,全体のほとんどを占める普段の練習でしょう.つまり,そこで効力感をもって弾けることが最優先なんですが,レパートリーというか,何とか弾ける曲をある程度キープして,それを(ベートーヴェンのピアノソナタを1日1曲弾いて過ごして行くように)ぐるぐる回せば,普段の食事のように,そんなに飽きずに弾いていけるのではないかという実験ですかね.

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 具体的には,食事と同様に,どれくらいの「メニュー」があれば行けるかということがあります.とりあえず,ここで書いた曲群(全曲弾いても40分くらい)では,2か月くらいで飽きてきたということですかね.つまり,40分くらいじゃ全然足りないわけで,でも,そりゃあ当然ですよね(練習時間が1日40分なら結局毎日弾くことになる).でも,実際のところは,これらの曲群もまだまだ「いつでもどこでも弾ける」には程遠いわけで,そうなるには,まだまだこれを続けないといけなくて,そのためには,効力感的に何かが必要なわけです.

 他にやってることとしては,シューベルトのOp.120のソナタを2週間に1回弾いてます.演奏時間は20分くらいですが,うまく弾けなかったところ,暗譜を忘れたところを何回か繰り返して弾くと30分くらいにはなります.少しずつ弾けなくなってる感じはするのですが,意外とキープできてる感じもして,もしどこかの演奏会で弾くことになったら,1か月くらい練習すればって感じでしょうか.

 じゃあ,ここで仮に二週一で行けて,練習時間を1日1時間とすると,単純計算で14時間分ということになって,現状40分+シューベルトの20分の1時間に練習部分を付加して1.5時間,これに新曲(今はメトネル)の30分を加えると2時間になって,必要分のまだ1/7,月一なら1/14しかないってことですね.

 ということで,ぼちぼち「拡大」していくってことですが,おそらくどこかで「収束」する感じはしていて,二週一か月一か,あるいは,もっと短い間隔で弾く気になるか,弾ける度をキープできるかは,難易度とか曲によって変わってくるでしょうし,意外とそれほど必要ないというか,少なくとも今の7倍とか14倍とかにはならない気もしていて,でも,それはやってみないとわからないってことでしょうか.

 ちなみにベートーヴェンのピアノソナタの全曲演奏時間は10時間くらいなので(ブレンデルの全曲演奏↓最初はなぜかいきなりハンマークラヴィア(笑)),

1つの目安になる?かもしれませんが,そこまでは必要ないような気もします.

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 ちなみに「棚上げ」した曲をリスト化して整理したということですが,具体的に言うと,一作曲家一曲に限定したら,何を弾くかは意外とあっさり決まるものが多かったということがあります.いくつかあげると以下のような感じです(近現代が多いけど(笑)).

バッハ=ブゾーニ/シャコンヌ
ベートーヴェン/ピアノソナタ23
ショパン/ポロネーズ5
リスト/ピアノソナタ
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー−フェインベルク/交響曲6〜スケルツォ
アルベニス/ラ・ヴェーガ
ゴドフスキー/ジャワ組曲
スクリアビン/ファンタジー
シェーンベルク/組曲
メトネル/ピアノソナタ悲劇的
ストラヴィンスキー/春の祭典
ヴィラ=ロボス/野性の詩
プロコフィエフ/ピアノソナタ7
ヒナステーラ/ピアノソナタ1
カプースチン/8つの演奏会用エチュード

 どれも大変な難曲ですが,演奏会で出したものや出さなくても練習したことがある曲が大半ですし,どこまで弾けるようになるかを気にしなければ,弾くことはできると思います.でも,これだと総計5〜6時間にしかならないので,これでは(多分)足りませんね.

 でも,モーツァルトとかドビュッシーとかラヴェルとか一作曲家一曲に限定できなかった作曲家もいますし,一作曲家一曲に限定する必要もないわけで(そういう意味では,リストはソナタを1曲よりは,超絶技巧練習曲を何曲かの方が現実的),この数倍くらいは行けるんじゃないですかね.

 あと,思ったんですが,もしこれがうまく行ったとすると,(今のシューベルトのOp.120のように)ある程度,弾ける状態をキープしないといけないので,二週一くらいは「弾かないといけない」状態になって,それはそれで「やらないといけないこと」を作り出すことにもなるかもしれません.

 まあ,ぐだぐだ書いてますが,簡単に言えば,今まで弾いたことがない「新曲」だけではなく,既に弾いた曲や開拓した曲を見直すことを考えたということと,もっとちゃんと練習した方がいいというか,意欲が低下してきてる中で,既に弾いた曲をある程度弾ける状態にする方がハードルが下がるとか,それ以外の優位性もあるかもということでしょうか.

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 もちろん,うまく行くかどうかはわからないのですが,うまくはまって,合計40分くらいのいろんな曲がいつでもどこでもそこそこ弾ける状態で,更には,合計10時間くらいの曲が1か月とか数週間さらえば,これも一応出せるような状態になって,これを常にキープしているとしたら,それは一体どういうことでしょうね?

 少なくとも,そのとき練習してる「新曲」とハチャトゥリアンのトッカータくらいしかいつでもどこでも出せる曲がない状態(しかも,新曲は練習中なので,出せるタイミングは非常に限られる)とは雲泥の差で,第三者から見ると単純に「ピアノが上手くなった」ってことになりませんかね?

 だとすると,逆にそんなに簡単にうまく行くわけない気もしてくるのですが,逆の逆に言えば,練習の仕方というか取り組み方によって,そういうことは劇的に変わるとも言えるわけで,そういうことを確かめたいということもありますかね.

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9/11'21
[ピアノに留まらない]

 でも,グダグダ書いてますが,やっぱり,そんな単純な話でもなくて,これまでは,ずっと新曲を弾きっぱなしではあったんですが,弾く気にならない曲ががほとんどの中,雷に打たれた(笑)とは言いませんが,なぜかピンポイントでこの曲やってみようかなということはあったわけで,そして,それは,往々にしてものすごい難曲かつ長大な曲が多くて(具体的には,ゴドフスキーのジャワ組曲とか,ベートーヴェン−リストの田園とか,シューベルトのD.960はそんなに難しくはないけど長大だし,遡れば,大学時代の野性の詩とか,春祭(は編曲までした)とか,リストの超絶技巧とか),よほどいろんな条件が重ならないとそういう非常に高い壁は越えられないわけで,基本的にやる気なしの私としては,なぜかその気になったとき,そういう気持ちを抑えられないということもありますが,そういうチャンスを逃したくなかったわけで,実際,そういうことで得られたものは大きかったと思うんですよね.

 ですから,結局は,やっぱり,これからもそういう感じというか,自分の「その気」に従って,というか,その気にならないと何もしない私なので,その気になるのに必死で創意工夫してるということなんですが,「その気」の傾向に「変化」を感じてるのは事実で,それは,やはり,第二の人生ということもあって,つまりは,取り組み方という各論というよりは,もっと大局的なことで,ピアノ一つとってもそれは,例外ではないということです.

 つまりは,こういうことは,ピアノに留まらないわけで,ピアノの具体的な取り組み方について,これまで弾いた曲を見直すとか,グダグダ書いてますが(でも,グダグダ書いて具体的に細かく研究してるということ),これは,ピアノ以外や仕事とか研究にも当てはまって,例えば,研究なら,これまではとにかく風呂敷を広げる拡大路線で,まさに「やりっぱなし」だったわけで,でも,過去の研究を振り返ってみると,膨大な「やりっぱなしの宝の山」があることに気づいたりして,それらをまとめるというか,形にしていくだけでも,もう定年後も含めて時間が足りないくらいで,そういう意味では,下り坂の人生も捨てたもんじゃないということでしょうか(でも,私の場合,やっぱり,めんどくさいってのが).

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[全然足りてる]
(ピアノ)

 グダグダ書いて研究の続きですが,このくらいの曲では全然足らないと書きましたが,そんなことないんだと思います.ていうか,ここで書いたような曲をそれなりに「キープ」してるしたら,それだけでとんでもないことで,でも,そんな状態になるわけないですからね.

 つまりは,そこまで全然行かないわけで,てことは,全然足りてるってことですよね.ていうか,足りないとかほざくのなら,そこまで行ってからやろってことで,余計な心配なんかする必要ないわけです.

 実際,今は,総計40分の短い曲群+新曲(メトネルの悲劇的)30分+シューベルトのOp.120を二週一でいっぱいいっぱいなわけで,総計40分の短い曲群に少し飽きが来て,何か新しい(と言っても過去に弾いた)曲を入れるとしたら,という感じで,少しずつ足して行けばいいと思うんですよね.

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 でも,やっぱり,「変化」は大きいと思っていて,それは,気力の低下で新曲がしんどくなったってこともあるんですが,過去に弾いた曲を弾き直して思うのは,これまでいかにいい加減に弾いてたかってことです.

 例えば,ハチャトゥリアンのトッカータですが,これならいつでもどこでも出せると書いてましたが,ちゃんと細かく弾き直してみると,これまでにいかにいい加減に弾いていたかがよくわかります.

 これは,全ての曲に当てはまって,でも,きちんと細部まで見直すのはまさに膨大な作業で,それこそ,私の練習時間では,限られた短い曲でしかできないってことで,問題は,そこに効力感が見いだせるかってことなんですが,そこがチャレンジということですかね.

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[人材がいない]
(政治)

 J民党の総裁選ですが,昨日,K野さんが出馬表明して,K田さん,T市さんの3人に絞られたのかな.うーん,でも,やっぱり,ぱっとしないというか,人材がいない感じがしますね.

 K田さんは,再三書いてるように「凡人」でしょう(辛辣).T市さんも再三書いてるようにJ民党の重鎮に胡麻擦りまくってここまで来たわけで,実際,推薦人20人集められたのは,A倍さんに尻尾振りまくったからです.

 でも,彼女の政策は,結構,評判がよくて,それは,ばんばん借金して後世に付けを回して経済を活性化するってことなんですが,とんでもないことですよ.そりゃあ,例えば,今回の新型コロナで困ってる人に国債刷ってばんばん補助金出せば,(大半の○カな)国民は喜ぶわけで,でも,そんなことでいいわきゃありません.

 ばんばん金配れば,みんなハッピーになるとか,そんな簡単な話というか,うまい話があるわけないじゃないですか(経済以前の話).そして,一番問題なのは,国民が「国が何とかしてくれる」と思うことで,いやいや,何とかするのは,国じゃなくて国民自身であって,国はそれをバックアップするものですよ.

 次の総理大臣は,ちょうど100代で,そんなことはどうでもいいんですが,日本で初の女性首相がT市さんということになったら,結局,じーさんに尻尾振ればいいのかみたいなことになって,女性の社会進出にとって,おかしなことになりかねないのですが,ほとんどの国民は,T市さんがどういうことをしてきたかなんか知らないわけで,初の女性首相誕生で,日本も女性の社会進出で大きく前進したとか思うんでしょうね(しょぼいな).

 もし,そういうことになれば,K池さんやN田さんはどう思うでしょうね? 歯ぎしりを通り越して○○(笑)? でも,K池さんは,T市さんと似たり寄ったりというか,ある意味,もっとひどいので,N田さんですかね.彼女は,T市さんと同期ですし,頭角を現したのも早かったですからね.普通に見れば,N田さんの方がT市さんより遥かにまともで,日本初の女性首相ということだと,N田さんならとは思いますけどね(でも,どうやら今回も推薦人20人すら集められない模様).

 でも,現実的に考えれば,T市さんが受かる確率は低いでしょうから,実際は,K田さんかK野さんってことですかね.K野さんは,国民受けもよくて,選挙で受かりたい若手の支持もあるようですが,この人は,ずっとJ民党の中で異論を唱え続けてきた人で,それが総裁選出馬ということになって,いきなりトーンダウンしてるのは,ある程度は,しょうがないとしても,戦略的にどうやったんやというか,バランス感覚とか調整能力が高い感じはしません.

 それでも3人の中では,一番ましなんでしょうが,K泉さんと似てるところはあって,何をしでかすかわからなくて(でも,大分トーンダウンしてるので,そこはまあ大丈夫なのかな.しょぼい話だけど),安全牌ということなら,K田さんなんでしょう.つまりは,大したことはできない「凡人」が本命ということで(笑)(でも,今の流れだとK野さんが勝ちそうだけど),まさに人材がいないってことで,冒頭に戻るわけですが,余計なことするくらいなら,大したことはできない方がましかもしれません(世も末).

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[そういうことに関わらない]

 どうなるかは,わからないのですが,結局は「運」って感じもするんでうよね(全ては137億年前に決まっている).

 例えば,A倍さんは,体の具合が悪いということで,途中で辞めたんですが,その後,新型コロナが大変なことになって,途中で辞めずに続けていたら,Sさんように叩かれまくって,失意の退陣になったわけで,彼は内心ラッキーというか,危ねー危ねーと思ってるでしょうし(そういうことを見越してた?まさかね),じゃあ,Sさんは,アンラッキーか言うと,そんなわけでもなくて,番頭の玉だったところ,A倍さんがああいうことになって,番頭(官房長官)の論功行賞で首相になれたわけですからね.そして,それは今回の総裁選も然りなわけです.

 じゃあ,結局,運を天に任せるしかないのかってことですが,まあそうなんですが,人事を尽くして天命を待つということはあるわけで,でも,人事を尽くしたからと言って天命が下るとは限らないわけです(努力は報われる「わけではない」).

 でも,私が思うのは,そんなことじゃなくて,「そういうことに関わらない」,つまり,何かを目的に嫌なことを我慢して努力なんかしないことですかね.具体的に言えば,首相になるかならないかがその人にとって100か0なら,そういう世界に入らないということですし,入ったとしても,首相になることは目的としないということです.

 実際,私は,お金とか社会的地位とかより,とにかくやりたいことがやりたかったので,お金とか社会的地位とは無縁の世界に入りました.いやいや,お金もそこそこもらってるやろし,社会的地位もあるやろというのは全然関係なくて,そんなものがなくても,やりたいことやって,研究成果をあげられればそれでよかったわけで,結果的にいろんなものが付いてきたとしても,あーそうですかってなもんです.

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[週に一度は休まないと]
(日記)

 今日は,久しぶりの休日な感じで,いつ以来からと思ったら,先週末が総合防災合宿だっただけで(しかもオンライン),2週間ぶりでした.もちろん,平日がずっといろいろ忙しかったということもありますが,思うのは,やはり,週に一度は休まないとだめってことです.まさに「7の法則」ですね.

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9/12'21
[デフォルトに戻るだけの話]

 死ぬのを待っているというか,既にそういう感じってことをデフォルト的に言えば,生まれてくるまではいなかったわけですから,元々死んでる(笑)わけで,死ぬこと自体,デフォルトに戻るだけの話ってことですね(何とも当たり前の話).

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[終の棲家]

 芸能人の誰かが〇億円の高級マンションを購入して,おそらく終の棲家ということなんでしょうとか言われてて,まあそんなことはどーでもいいんですが,その人は50代だと思うので,私が何を考えたかというと,終の棲家は購入(するのなら)いつかってことです.

 このサイトで何度も書いてますが,私は家なんか一生買いたくないんですが,年寄りには貸してくれないところが多いとか,そうするとURに限られて条件に見合うところがないかもとか,防音室付きのグランドピアノが入れられるかとか,仕事をやめたら家で過ごすことが多くなるだろから,そこを快適な空間にするには,(めんどくさいけど)家を設計して建てた方がいいんじゃないかとかあるんですが,これも書きましたが,もうそんなに生きるわけでもないのに,今更家買ってどうすんのとも思うわけです.

 今の家は,耐久性が向上していて50年はもつでしょうし,そうすると,効率的にももう買ってないと割に合わないことになります.具体的に言えば,上で書いた芸能人のように50代がリミットなんじゃないですかね.

 じゃあ,(一応まだ50代なので(笑))今すぐ買うかと言うと,そうはならないわけで,実際,京都に来ることになって,リタイアしたら何となくこの辺に住むだろうというところとはかけ離れたところに住んでるわけで,でも,今の仕事をやめるときは,今住んでるところは職員宿舎なので出ないといけないし,何らかの事情で(例えば,こっちで何か仕事があるとか個人的事情とか)この周辺に住み続けることになったとしても,それまでは今のところに住み続けるでしょうからね.

 じゃあ,逆に,例えば,東京とかつくばに住んでるときに,そこに住み続けると決心して(終の)棲家を購入したら,いい話があったときに機動的に移ることができなかったというか,家族がいたら単身赴任とか,買った家はそのままで誰かに貸して,みたいになったんでしょうから,だったら,やっぱり,家を買わなくて正解だったということになるんですが,これからというか,今の仕事を定年でやめるときにどうするかは考えないといけないわけです.

 要は,めんどくさい(笑)ってことなんですが,でも,どこかで家を買っていたら,経済的なこともそうですが,もっとめんどくさいことになってたわけで,つまり,そういうことをちゃんと考える必要があるってことですかね.

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 もし家を買うことになってもそこから何年住むかわからないから割に合わないとか,経済的なことを考えるのなら,じゃあ,今すぐ買うかというとそうはならないわけで,それは,これから長期的に不動産市況が上昇して行くという相場観を持ち得ないということがありますかね.

 それどころか,どこかで経済危機とか世界恐慌が起こるかもしれないし,大地震だって来るでしょうし,しかも人口はどんどん減って行くわけで,10年くらいしたら下手したら只でもいいから誰か引き取ってみたいなことにもなってるかもしれないわけで,少なくとも全然慌てる必要はないわけですからね.

 一方では,お金を抱えて死んでもしょうがないというか,死ぬ時に全てのお金を使い切るのが効率がいいわけで,だからと言って,余計なことにお金を使うことはないのですが,使い途があるとすれば,それこそ,日常をより快適に過ごせる住居ということはあるわけです.

 つまりは,いろんな要素があるわけで,そういうことを総合的に判断するってことですが,それは,細かい分析というよりは直感で,そういう意味では,どう考えても,少なくとも今家を買うことはないですかね.

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[本がない]
(生活)

 こういう状況なので,私の大学の部屋に来る人はそんなにいないんですが,来た時に思う人もいるでしょうし,そういうことを言う人もいますし,オンラインで繋がるときとかに映る後ろの背景とか見て思う人もいると思うんですが,私の部屋というか,棚には本が一切並んでいません.まだ,引っ越しの片付けというか,荷物を出して棚に並べるのが終わってないというか,めんどくさくてそのまんまになってると思う人もいるかもしれません.

 でも,これが「平常時」なんですよ.つまりは,ずっと書いてますが,まさに「いつでも引っ越せる状態」を(ある程度)実現したということですね.もちろん,こんなところいつでも出て行ってやるぜってことじゃなくて(でも,既に第二の人生なので広義にはそうですが(笑)),そういう状態で平常時を過ごすことが気分がいいということになります.

 じゃあ,本はどこに行った?ということなんですが,このサイトをずっと読んでくださってる方はおわかりでしょうが,一昨年,昨年と少しずつ進めて,ほぼ全て電子化しました.なので,敢えて言えば,PCの中にあります.それは不便じゃない?と言う人もいるかもしれませんが,すぐに取り出せるし,そっちの方が全然便利ですよ.

 でも,こういう状態になって気づいたんですが,「本」を参照することってもうそんなにないですね.それをすぐ近くのすぐ取り出せるところに綺麗に並べているのは,もうあまり意味がないと思いますね(でも,かく言う私も,去年の引っ越す前までは,そういう状態だったんですけどね).

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[ずっと続けた方がいい]
(世の中)

 2013年から14年の記事を読んでて,いろいろしんどかったということもありますが,そのときは,シーズンで2回風邪ひいたみたいです.そういうのは記憶にないと書いてあるというか,私はそんなに風邪ひく方じゃないと思うのですが,最近というか,新型コロナが流行り出してからも全くそういうことはないです.

 でも,新型コロナ対策じゃないですが,そういうことをしてるので,当たり前っちゃあ当たり前ですよね.だって,新型コロナはもちろんのこと,ちょっと熱出しただけでものすごくめんどくさく大変なことになるわけですからね.何が言いたいかというと,普段よく風邪をひく人も,ここ1年以上風邪ひいてない人って結構いるんじゃないですかね,ってことです.つまり,やればできるってことで,今みたいな状態は少しやりすぎかもしれませんが,やっぱり,ある程度,ずっと続けた方がいいんじゃないですかね.

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[欲と飽きのコントロール]

 なんか当たり前の話のような気もするんですが,結局は,欲と飽きのコントロールってことなんじゃないですかね.若い頃は,やりたいことがいっぱいあって,欲をかき立てる必要はないのかもしれませんが,歳をとると,そういうのはどんどんなくなって行きますからね.

 もちろん,老若に関わらず,欲をかき立てなくてもやらずにおれないこともあるわけで,例えば,私の場合,中二のときの英語とか,高二のときの力学とか,中学から大学にかけての音楽の開拓とか,東大ピアノの会時代の近現代音楽の開拓を含めたピアノとか,研究室に入ってからの研究とか,30代のバドミントンとかスキーとか相場研究とか,30代後半でやるべきことに辿り着いてからの研究とか,このサイトとか,50代なら,生活の質の向上とか片付けとか,こうして書いてみると,結構あったような気もするんですが,どれも一瞬とは言いませんが,ピーク時の状態を持続することは難しいというかできないと思うんですよね.

 それでも,どれも何とか続けてきたわけで,それは我ながらすごい(笑)と思うのですが,問題はこれからというか,定年で今の仕事を失った後のことを考えると,やりたくないことを(何かの報酬とか目的のために)我慢してやるのではなく,やりたいことをやりたいというか,何をやるにしてもやりたい状態でやりたいってことなわけで,それは今までもそうで,定年で仕事を失った状態でもその状態を続けて行きたいわけで,でも,それを制御するのは難しいのですが,そこをいろいろ研究してやって行くということですかね.

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[とにかくやることにする]

 そして,手始めというか,とりあえず今はピアノについていろいろ研究してるのですが,ポイントとしては,「とにかくやることにする」ってことかもしれません.

 別に仕事じゃないんだし,やりたくなきゃやらなくていいじゃんってことなんですが,そうすると,(怠け者の私は)生きていくのに必要な最低限のこと以外ほんとに何もやらなくなる(笑)と思うんですよね.今は研究も含めて仕事があるんですが,仕事なので「とにかくやる」しかないわけで,そういうところに助けられてるところはあるわけです.

 いや,ほんとに何もやらずに自堕落にだらだら過ごしてもいいんですが,要介護とか認知症にはなりたくないですし,そこまで行かなくても,脳力が低下したり,体が思うように動かなくなるのは嫌ですからね.

 でも,それを目的として,例えば,毎日散歩したりトレーニングしたり脳トレしたりとか,やりたくないことを我慢してやるのは嫌なので,やりたいことをやるでやって行きたいわけで,そのために「考える」んですが,その「考える」こともやりたいことということですかね.

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[一人で内的熟達的にできる]

 そして,できれば,一人で内的熟達的にできることがいいですね.もちろん,人と関わりたくないってことじゃなくて,でも,人と関わる必要があると,やりたいときにできないとか,やりたくないときにやらないといけないことがあって,やりたいときにやるとか,やりたくないときはやらないというわけに行かないと思いますからね.

 そして,私がやってることの多くは,ほぼ一人でもできることで,でも,例えば,バドミントンとか,そうでもないものもあるんですが,そういうものも普段一人でできる方法を模索していきたいと思いますし,私の理想は「一人,時々,みんな」なので,普段は,体を動かす的なことをして,時々,練習に行くとかでもいいと思うんですよね.

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9/13'21
[新生銀行除外]
(短運)

 日運ではなく短運なんですが,SBIが新生銀行(8303)に対してTOBということで,pfから除外ということになりました(このファイルも変更).pfの構成数は結構あるんでまあいいんですが,こういう経済全体の流れと関係ないことって,ほんと迷惑なんですよね.

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[理にかなってる]

 今日の記事がこれ↑だけだと何だかなあということで,何か書こうと思ったんですが,もちろん,書くことはいくらでもあるのですが,ちょっと長くなりそうな気もしてめんどくさくなって,という感じですかね.

 そうですね.何だかいろいろめんどくさいですね.でも,めんどくさくて助かってるところもあると思うんですよね.

 例えば,寂しいとか思っても,じゃあ,それを解除するためにどうにかしようとすると,それはそれでめんどくさいわけで,だったら,寂しい方がめんどくさくなくていいとも思えてくるわけで,歳をとると,いろいろ寂しくなってくるけど,その一方でいろいろめんどくさくなってくるというのも理にかなってるのかもしれませんね.

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9/14'21
[何か変な感じ]

 寂しいというのは,何か違う感じがしますね.実際,寂しくはないですから.孤独というのも違うかな.孤独でもないですからね.じゃあ,何?

 よくわからないのですが,基本的には,「一人,時々,みんな」で楽しくやってるのですが,時々「何か変な感じ」がするんですよね.じゃあ,そのとき,誰かがそばにいたらいいのかというとそういうわけでもなくて,「一人,時々,みんな」ならいいけど,ずっと「みんな」なのはめんどくさいですからね(そばにいて欲しい時だけいてくれるのが理想と言う人もいるでしょうが,相手も人間なので,そんなことでうまく行くわけない).

 なので,現状でOKなんですが,時々何か変な感じがするのがうざいってことなんですが,おそらく個を犠牲にして人類を存続させるための刷り込みというか本能なんでしょう.なので,そんなのほっときゃいいんですが,本能なので簡単な話でもないわけで,でも,それを超越することが仙人(久しぶりに出た(笑))への道ということでしょうか.

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[誰かといっしょに住む]
(生活)

 「一人,時々,みんな」ということなんですが,おそらく,ずっと一人暮らしをしていくことになるのでしょうし,だったら,そういうことを受け入れて,そういう中でどうして行くかということで,いろいろ準備をしているわけです.でも,一方では,何があるかわからないわけで,そうならない準備も必要なのかもしれません.

 そうすると,誰かといっしょに暮らすということになるんですが,ふつーにいっしょに住むのは(「ずっとみんな」は)しんどいとすると,どういうのがいいでしょうね.

 すぐに思いつくこととしては,シェアハウス的なやり方でしょうか.具体的には,居間などの共用スペースと各自の個室があって,基本,各自の部屋で過ごすけど「時々」共用スペースでいっしょに過ごすということですかね.これってまさに「一人,時々,みんな」なので,全然行けると思うんですが,重要なのは,やはり,基本,それぞれが独立ということでしょうか.

 でも,共用スペースの掃除はどうするのかとか,多少は役割分担を決めないといけないので(食事とかは,各自が好きなようにすればいいですが,都合が合えば,いっしょに作っていっしょに食べるって感じですかね)完全独立というわけではないですね.

 そういう意味では,マンションとかの隣の部屋,あるいは,一軒家なら二世帯住宅的な方が独立性は高いですが,当然,その分,費用はかかります.でも,逆に言えば,お金で解決できる問題とも言えますね.

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[やりたいときにやりたいことをやるでやって行きたい]

 最近のピアノの取り組みについて,ある人にメールで書いて,折角書いたというか,一通りまとまってると思うので,一応,ここにも貼っておきます(と言っても,結局,長文(笑)ですけどね).

 でもまあ,要は,もう第二の人生だし,ピアノに限らず,やりたいときにやりたいことをやるでやって行きたい,そのためにどうするかってことですかね.

■ここから■

 ピアノに限った話じゃないけど,私の中では,もう第二の人生なので,何をどうしたいということはなくて,「その時」が来るまで,毎日を楽しく過ごせればいいんだよね.

 つまりは,ゲームでも数独てでもジグソーパズルでもテレビやインターネットを見るだけでも何もせずぼーっとしてるのでも,それで楽しければ,それでもいいんだけど,今のところはまだそこまでではない.

 そういう中で,仕事は定年が来たら終わりだし,ピアノは,結構「使える」と思っていて,これにどうやって取り組んでいくかをいろいろ考えてる.

 でも,上で書いたように,もう何をどうしようということはなくて,つまりは,上手くならなくても人前で弾かなくてもいいわけ.ていうか,人前で弾く時間なんか,普段,家で弾いてる時間に比べれば,極僅かだから(そんなに練習しない私ですら),普段,家で弾いてる時間を楽しくする方が私にとっては,遥かに重要なわけです.

 それで,これまでは,知られざる近現代曲を開拓してきて弾くことを中心にやってきたんだけど,もうこれはという曲は見つからなくなっていて,大分前から行き詰り始めてて,ここ10年くらいは,近現代に限らず,再発見的に,既に知ってる曲の中に弾く気になる曲を探してきたんだけど,これもかなり厳しくなってきた.

 そうやってるうちに,気づいてみると,かなりの量の曲が「弾きっぱなし」,つまりは,演奏会で弾くために何とか弾く気になる曲を探して弾いて,演奏会が終わったらもう弾かないとか,演奏会に向けて少し練習しても途中で投げ出したりとかいう「弾きっぱなし」になっていて,それってどうなのよと思い始めた.

 そして,そういう「弾きっぱなし」の曲をあらためて弾いてみると,ろくに練習せずに演奏会で弾いたり投げ出したりしていたことがわかって,そういう曲をちゃんとそれなりに練習したらどうなるのかなとも思い始めた.

 ヒントは,スキーにあって,スキーも大分低迷してたんだけど,何年か前にターンという単純な動きをひたすら洗練することに効力感が見いだせるようになって,ピアノも(太鼓の達人のように(笑))鍵盤の上に順番に指を置いていくゲームと非常に単純化して考えると,それはそれで,効力感を見出せる気もしてきた.もちろん,最終的には「音楽」にしないといけないんだけど,それ以前に,音をちゃんと並べるのは,大前提だしね.

 よほどの難曲というか,例えば,左の45の高速のトリルとかのメカニカル的に難しいところでもない限りは,指が動かないということはないわけで,じゃあ,どうして弾けるようにならないかと言うと,ミスタッチを放置してるだけの話で,それは,(音を並べるだけなら)単に練習が足りないだけということになる.

 弾いたことがない「新曲」を譜読みから始めて弾いていくと,新鮮だしどんどん弾けるようになって楽しいんだけど,ちゃんと弾けるようになる前に演奏会で出して,それが終わったらもう弾かないとか,演奏会に出す前に途中で放り出すとか,勿体ない気もしてきたんだよね.

 そして,そういう曲は,一度は弾く気になった曲だから,新しく探し出す曲より選りすぐりにもなってて,更には,近現代曲に限らないので,曲の質も非常に高かったりする.

 でも,日々楽しく過ごすことが第一なので,弾けるようになるためにやりたくない練習はしたくないわけで,でも,今まで弾いた曲やそのうち弾きたいと思ってた曲を絞り込んで弾く気になるときにぐるぐる弾いてると,それなりに弾けるようになるわけで,そこに活路が見いだせるかもと思い始めてやってて,でも,2か月くらい経って,ちょっと飽きてきて,そこでどうするかというか,日々楽しく過ごすことが第一だし,仕事でもないので,弾きたくなければ弾かなきゃいいんだけど,その日その日で何とか相対的に一番弾く気にならないことはない曲を弾くことで何とかやって行くのかなという感じかな.

 もちろん,既に弾いた曲は,「新曲」ほど新鮮味はないけど,逆にある程度は弾けるというハードルの低さはあるわけで,そことの天秤というか,その日その日で弾く気になる曲の対象を広げると考えてもいいかも.

 でも,実際のところは,そんなに大きな変化ではないのかもしれない.新曲というか,たまたまちょっと弾いてみたい曲が(再発見だけど)見つかって譜読みからやってる曲(メトネルの悲劇的)もあるし,でも,今まではそれだけだったけど,これまで弾いた曲も,その日に弾く気になったら弾くというのもしてるってことかな.

 で,そういう曲はある程度弾けるわけだから,練習するのは「そこから」になるので,そうすると,今まで全然やらなかった弾けないところを弾けるようになるまで繰り返し練習するというのもちょっとやる気になって,そうすると,弾けるようになったりもしたり,暗譜もする気になったりもする.

 当たり前なんだけど,それなりにちゃんと弾いてる人ってみんな暗譜して弾いてるんだよね.それは,暗譜しなきゃいけないってこともあるけど,ちゃんと練習したら暗譜くらいするだろというか,そこまで練習するのが当たり前というか,私の場合,全然そういうところまで練習してなかったんだなとも思い始めた.

 でも,練習したくないのに練習はしたくないから(日々楽しく過ごすことが第一なので)我慢して練習することはなくて,でも,「新曲」を譜読みから始めて演奏会で弾いてそれで終わりを繰り返すだけではなく,弾く気になったとき既に弾いた曲を弾くのも気が向いたときにやってみてるってことかな.

 何となくのイメージとしては,そういうのを続けていくうちに,いつの間にか,いつでもどこでも弾けるレパートリーみたいなものになればと思ってて,でも,人前で弾くことはもう目的とはしないので,あくまで結果としてということでしょうか.

 でも,今までは,そういうことがあっても,それこそハチャトゥリアンのトッカータくらいしかいつでもどこでも弾ける曲がなかったわけで(その時,取り組んでる「新曲」も演奏会間近でないと厳しいし暗譜もしてない)それもどうよという感じで,でも,このハチャトゥリアンのトッカータもあらためて練習すると,今までめちゃめちゃいい加減に弾いてたことに気づいたりするわけです.

 ピアノプロジェがなくなったというか,今年はあるんだけど,たまたま行けなくて,そういうのも関係あるような気もするし,関係ない気もする.どのみち,いつ演奏会があるから,それまでにある程度出せるようにしないといけない,というのは,もうしんどいかな.それに,その日その日を楽しく過ごすというか,弾く気になる曲を弾くのなら,演奏会という締め切りは無用だしね.

 なので,そんなの関係なく弾いてて,気づいたら出せる状態になってたら,演奏会で弾くって感じでしょうか.

 そして,こういう取り組みは,ピアノに限らなくて,例えば,バドミントンは,新型コロナで体育館が使えなくて練習が止まってるんだけど,バドミントンってどのみち,一人ではできないわけで,ほんとは,自分がその気になったら自分一人でもできるのがいいと思っていて,バドミントンも,あるいは,それ以外のいろんなことも,そういう風にやりたいと思うので,いろいろ研究して行こうかなと思ってて,ピアノの取り組みもその一環ということです.

 ○○さんもいろんな取り組み方をしてるみたいで,そういう意味では(今は方向性は逆かもしれないけど)同じなのかもね.

 でも,一つ言えるのは,私の場合は,「とにかく弾く」ってことかな.つまりは,ピアノを弾こうかどうしようかとは考えないというか,もちろん,疲れてるとかして全くピアノに触る気にならない日はしょうがないけど,とにかく何でも弾く気になる曲があれば弾く,もし弾かないのなら,代わりに何をするかを考えて,相対的にピアノを弾く方がましなら弾くってことでしょうか.

 結局は,人生所詮退屈しのぎってことだね.そして,同じ退屈しのぎなら,楽しい方がいいじゃんってことです.

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[ハチャトゥリアンのトッカータ]
(ピアノ)

 ちなみに,このサイトで度々出てくるハチャトゥリアンのトッカータですが,どういう曲か興味がある人もいる?かもしれないので,リンクを貼ろうとYouTubeで検索するとゴロゴロ出てくるのですが,どれもこれもひどい演奏ばかりなので,参考にしないでくださいね.

 ベルマンのものは,さすがにまともだったと思いますが,YouTubeでは出てきませんね.でも,逆に言えば,「私だったらこの曲はこう弾く」的には,弾く意味があるのかもしれません.

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9/15'21
[弾く意味]
(ピアノ)

 ハチャトゥリアンのトッカータですが,東大ピアノの会で,バルトークのルーマニア民俗舞曲,グラナドスの演奏会用アレグロとともに近現代三大安直(笑)(演奏効果が高い割に弾きやすい)と言われていたとどこかで書きましたし,実際,そうだと思います.

 でも,YouTubeにあがってる演奏はどれもほんとにひどい.このことが意味することとしては,実は,この曲は「難しい」のではないかということです.つまりは,音を並べるのは簡単でもそれだけでは全然「さまにならない」ということです.

 この曲の最大の難しさは,やっぱり,その「臭み」を消すことですよね.なんたって「ハチャトゥリアン節」ですから(笑).ただ弾くだけでは,それこそ子供向けの練習曲みたいになってしまいます(実際,子供の演奏はみんなそんな感じ).譜面通りに弾いても全然音楽にならないし,逆にルバートかけてロマンチックに弾いても全くおかしなことになります.

 ということで,やっぱり,(私が)弾く意味があるかもということでしょうか.

 そういう意味では,昨日は,二週間に一回のシューベルトのOp.120を弾く日だったんですが,この曲を弾く意味は何かと考え始めました(いつもこんな感じで弾かなくなる).

 当初は,単純にいい曲だし,技術的にそんなに難しくないし(ジャワ組曲とか野性の詩とかさすがにしんどかったし),亡くなった秋山先生がいい曲だよねとおっしゃっていたことで,追悼の意味を込めてとか,シフとかブレンデルの演奏を聴いて違和感をもった(私ならそうは弾かない)とかなんですが,最近になって,ピアノの取り組み方を変えることにして,要は,もう「弾きっぱなし」にはしない,つまり「新曲」をやるなら,演奏会で出したら終わりではなく,その後も,それこそ二週間に一回くらいは弾いていく気になる曲にすることにしたわけです.

 でも,この曲は,ピアノの取り組み方を変える前に弾き始めた曲で,本来なら,昨年のピアノプロジェで弾くつもりだった(そして,これまで通りなら,それでもう弾かなくなる)のですが,新型コロナで流れて,ピアノプロジェは,今年はやる予定ですが,私は出られなくて,どうしようかということで,とりあえず,二週一でどのくらいキープできるかの実験をしているわけです.

 でも,問題というか,重要なのは,この曲をずっと(二週一でも)弾いて行きたいと思える曲かってことですね.そういう意味では,そんなに思い入れがあるわけではないです.第一楽章の第一主題は,秋山先生もおっしゃっていたように純粋にほんとに美しいと思いますが,第二主題とか展開部とかは,そんなに思い入れはありません.

 第二楽章は,確かソナチネアルバムに載っていて,技術的にはとても平易です(でも,これも音を並べるだけでは,全くさまにならない).第三楽章は,技術的に結構高度で,全体としても割と好きですが,うーん,これもそんなに思い入れはないですね.

 ということで,少なくともここのリストに入る感じはしないですかね.とすると,次のピアノプロジェで弾いたら終わり? でも,それってまだ1年以上あるわけで,それまでどうする?

 そこで,あらためて,この曲を弾く意味を考えると,そんなに思い入れはないけど,シフとかブレンデルの演奏を聴いて違和感をもった,つまり,私ならこう弾く的には,意味があるのかもしれません.と思って,とりあえずは,二週一で弾いて行きますか.でも,二週一で存外キープできるので,月一にしてみますか.

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 別の観点から,シューベルトから何か1曲となると何でしょうね.候補は,D.894(幻想),D.960,そして,Op.120でしょうか.純粋に曲で選ぶなら,D.894かなあ.でも,長大だし,1楽章しか弾いてないし(2〜4楽章はこれから練習しないといけないし),確か伊東さんが弾いたので,ピアノプロジェでは弾けないし(10年後ならOK?),D.960も長大だし,消去法的にOp.120ということかもしれません.あるいは,D894の第1楽章だけというのもあり? でも,そうすると,Op.120の第1楽章だけでもいいかもしれませんし,D.894については,ブレンデルの演奏を聴いても「私はそうは弾かない」とは思いませんからね(何様?).

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[第二の人生]

 昨日の記事というかメール(の引用)もそうですが,「第二の人生」というキーワードがよく出てきます.第二の人生というのは,もう(私は)実質人生が終わったということなんですが,最近の記事だけを読んでると,違和感をもつ人もいるかもしれません.

 でも,この「第二の人生」というワードですが,2013年くらいからずっと出てるんですよね.つまり,もうとっくに実質人生が終わったということなんですが,実際のところは,人生どころかまだ仕事してるやんか,それとももうてきとーに仕事してるんか?と思う人もいるかもしれません.

 でも,実際は全く違っていて,第二の人生ということは,本来の人生,即ち,成長して子供を育てた年齢になれば生物学的にはもう生きてる意味なしとか,社会の中で活動して評価されたりとかいうのが終わったということで,でも,実際はまだ生きてるとすると,まさにおまけの人生(第二の人生)で何でもありで,社会の中で活動して評価とか関係なく,(何かを目的とすることはなく)自分の中でやりたいことはやって行くわけで,そういう中で,今の仕事の中の(学生を指導しながらの)研究活動とかは,純粋にやりたいことなので,第二の人生でも続けて行くし,じゃあ,それ以外の仕事はどうかと言うと,そういうやりたいこと(研究)を続けていくために,それはそれでしっかりやりますということで,実質的には,外から見ると何も変わってないどころか,むしろ,活動的にさえなってると思いますが,私の中の内的な部分は,全く違うということです.

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9/16'21
[「そのとき」やりたいことをやる]

 要は,何かのためにとかではなく,「そのとき」やりたいことをやるということでやって行くということです.なんて自分勝手な,ってことなんでしょうが,そんなこと言ったら,(やりたくない)仕事をするのは,「自分が」お金を稼ぐだめという人が多いのでしょうし,やりたくないトレーニングをするのも「自分の」競技力を上げたいからでしょうし,世の中の役に立つことをしたいのも,そういうことを「自分が」したい,そうすると「自分が」評価されたり,気分がいいからで,結局,みんな自分勝手ってことになりませんか.

 でも,そうは言っても,ほんとに自分勝手にやれば,全て自分に返ってきますから,究極的に自分勝手にやるのなら社会の中でうまくやって行く必要はあるわけで,実際には,「そのとき」やりたいことをやるだけでやって行けるわけではありません(でも,これも結局は,自分のためなので「自分勝手」.でも,情けは人のためならず的にはそれでOKで,徹底的究極的に自分勝手になるべき).

 ですから,若い頃というか,50くらいまでは,そういうことも総合的に考えながら,将来の夢とか目標を設定した方が頑張れるのならそういうものに向かって頑張るというのも使えるということは(人によっては)あるでしょう.

 ただ,50を過ぎたあたりからその方法は使えなくなります.お金を稼ぐ「ため」とか,競技力を上げる「ため」とか,世の中の役に立つ「ため」とかいう「将来の目的」的なことが一気になくなるからです.もうやりたくない仕事までしてお金を稼ぐ必要もないし,何か将来の目的,例えば,ピアノが上手くなったら,バドミントンが強くなったらとか言っても,その「将来」がなくなって行くわけですからね.

 定年後問題について,再三書いていますが,本質は,こういうこと,即ち,将来がなくなって,将来に向かって頑張れなくなるというか,頑張る対象の将来がなくなって行くことが最大の問題なのかもしれません.

 じゃあ,どうすればいいかですが,(ずっと書いていますが)夢とか目標とか無用の長物というか,「何かのために」頑張るのではなく,内的熟達的に「そのとき」やりたいことをやるでやって行けばいいわけです(そして,やりたいことならやるわけで,結果的に結果も出る).そして,考えてみたら,私の場合,これまでもずっとそういう感じでやってきたわけで,第二の人生になって,生き方を変えないと行けなくなったというよりは,よりこれまでのような生き方ができるようになったということかもしれません.

 問題は,「そのとき」やりたいことが何かということです.ただ遊んで暮らすとか,だらだら自堕落に過ごす(は捨てがたいが)ということでは,厳しい感じがします.もちろん,こういうのは人それぞれですし,その人のもつ素養で決まるので,いかんともしがたいところもあるので,「そのとき」やりたいことが何か,あるいは,やることは決めてしまって「そのとき」やりたいと思うにはどうしたらいいかを各自がよく考えることでしょうし,仕事をしていてもいなくても,何らかの人間関係の中に身を置いている以上は,その中でうまくやって行くことを考えた方がいいと思います(これも結局,自分勝手).

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[その実,非常に本質的な問題]
(ピアノ)

 で,各論として,まずは,ピアノについて考えてるわけで,これまでは,何か新しい曲を見つけて弾いてみてというのを繰り返してきたんですが,もう開拓し尽くして新しい曲なんか見つからないということで,既に知ってる曲の中から再発見ということで,でも,それも厳しくなってきて,そもそもピアノを弾きたいと思うのは何なのかという,その実,非常に本質的な問題について考え始めたということかもしれません.

 つまりは,再発見も含めて何か新しい曲を見つけて弾いてみてという以外の「ピアノを弾きたいと思う何か」が必要になったわけです.そして,ただ単純に指を置いていく順番を憶えて弾いて行くことで音楽が再現されることに効力感を見出せないかという非常にプリミティブなところに行きついた(戻った)のかもしれません.

 でも,そうすると,逆に弾く曲は何でもありになってしまうのですが,一方で,歳をとって気力も体力も低下してて,そうすると,これまで弾いたことがあって,ある程度,弾ける曲の中から選んでもいいのではないかということになったということですかね.

 でも,実際は,新曲もやってるわけで,1か0かという単純な話でもないんですが,いろいろ考えながら何とか効力感を見出してやって行くということで,それは,ピアノ以外についても同様で,そうやって,内的熟達的に「一人,時々,みんな」で楽しくやって行けたらということですかね.

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(政治)

 N田さん,推薦人集まったんですね.それはいいんですが,これでほぼ決まったような感じですかね.K野さんが1回目で過半数を獲ることは難しくなって,2回目の決選投票は,国会議員がほとんどですからね.

 つまりは,自分達の権力を残したい年寄りが仕組んだわけで,J民党はやっぱり変わらないってことですね.じゃあ,K野さんやT市さんにJ民党が変えられたかと言うと,そんなわけはなくて,どのみち旧態依然としたJ民党なんですが,K田さんならなおさらでしょう.

 本気でJ民党を変えるというか,日本の政治を変えようと思うのなら,若手で結束してJ民党を出たらどうですか?

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9/17'21
[T市さんという可能性]
(政治)

 N田さんが出ることで,決選投票になるのはほぼ確実として,そうなったときにK野さんに勝ち目があるかということでしょうか.ここで,若手が結束すれば,可能性はないこともない?

 一つ言えるのは,T市さんの後ろにも守旧派がいるということです.党員票が多く入る1回目でK野さんが落ちる(3番目以下)可能性は低いでしょうから,決選投票のK野さんの相手は,K田さんかT市さんになるわけで,党員に人気がなく,本命だけど選挙の顔として一番だめそうなK田さん(だとSさんからほんと変わり映えしませんよね)が落ちる可能性はあって,そうすると,K野さんとT市さんになって,国会議員票が多い決選投票で守旧派の力がものを言ってT市さんという可能性も出てきたことになりますね.

 もしそんなことになったら,正直,日本初の女性首相が彼女かよと思いますが(でもK池さんよりはましか),市場関係者は色めき立ってバブルになる可能性は大いにあるわけで,いろんな意味で「準備」をしておく必要がありますね.

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 相場に聞く(相場の流れを読む)的には,大きくは買い,中期的には,買いになって上げてきた後は,今は中立に近いですが,また,いつ買いになってもおかしくない状況ではあります.でも,これを見るとわかるようにVIXがずっと買いで,つまり,アメリカ株が過熱している状態がずっと続いているのがちょっと気になりますかね.

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[家庭の事情]
(世の中)

 ワクチンですが,接種率がアメリカに追いついて追い抜くのは時間の問題とのことです.背景としては,アメリカでは20%くらいいるワクチン拒否率が日本では10%くらいなんだそうです.やっぱり,国民が「従順」で危ない国ですねー.

 まあ,それは置いておいて,ある程度の知的水準にある人なら,普通は打ちたくないと思いますよね.でも,打ちたくなくても,いろんな事情で仕方なく打ってる人も多いんだと思います(例えば,医療関係者とか仕事でどうしても人と接する機会が多い人とか).

 そういう中で,「家庭の事情」というのもあるみたいで,自分は打ちたくなくても,家族全員が打たなくていい状況とは限らなくて,でも「人と接する」という意味では,家庭以上の「密」はないでしょうからね.

 そういう意味では,家は買いたくないと思っていても,「家庭の事情」でそういうわけにも行かない人も多いみたいですし(家にいることが多い奥さんからマンション買ってとせがまれるとか),いやー大変ですね(他人事(笑)).

 私は「密」になる家族もいませんし,普段もそんなに人と接することはないですから,打ちたくないということもありますが,感染リスクとのバランスを考えても打たないという選択ができるということですかね(少なくとも従順な国民ではありません(笑)).

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[どうして日本はインフレにならないか]
(経済)

 Sナエノミクスじゃないですが,どうしてこれだけ大借金をしているのに日本ではインフレにならないかですが,金利とか雇用形態とかで説明されることが多いですが,どこかで書いたと思いますが,単純に言えば,自動車とかの輸出産業が頑張って外貨を稼いで,賃金を払うために日本円に変えるので,円高圧力が常にかかっていて,円安になりにくいということでしょう.

 つまり,エネルギーとか食料とかをばんばん輸入してもそれ以上に輸出すれば円安にはならないわけで,ていうか,実際,貿易収支はずっと黒字ですからね.

 じゃあ,Sナエノミクスでばんばん「印刷」すればいいじゃんというのも一理あることになりますが,これもずっと前に既に書いたと思いますが,さじ加減が非常に難しいと思います.インフレ率2%程度に収まるのならいいですが,そこを過ぎて経済破綻(お金が紙くず)に行くのを止められますかね.

 でも,普通に考えれば,今よりはまだ行けるってことなんでしょうが,何度も書いていますが,そんなうまい話ありますかね? 世界の経済成長が止まってきたゼロサムの中で,何らかの形で海外の富を日本にもって来られるかってことなんですが,多少円安になってインフレになっても,その分,輸出産業が潤ってそれをどう再分配するかってことだと,そんなうまい話あるのかというより,そういう形で海外から搾取していいのかってことですかね(C国はそうやってるんですけど).

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[カップヌードル50周年]
(思い出)

 Kンブリア宮殿でやってたのですが,カップヌードルが50周年だそうです.数年前から添加物排除生活をしているので,今は全く,というか,もう20年以上?食べてないと思いますが,若い頃は,時々食べたと思いますし,発売当初のとき(まだ小学生)のことはよく憶えています(どこかで書いたような気もするが).

 当時,仲がよかった上田(彼は慶應に行ってラグビーのレギュラーになってテレビに出てるのを一度見ました.確か高校から慶應に行ったんじゃなかったかな.彼も森田だったと思う)が福大にカップヌードルの自動販売機できたけん食べに行かんねと誘われてホイホイ行きました.頭の中に残ってる風景的なイメージとしては,病院の近くで,コンクリートの通路というかスロープみたいなところにあって,値段は100円だったかな.うまかったですねー(自販機にお湯が出る装置も付いていてその場で食べられた).

 その時,世の中にあったのは,いわゆる袋入りのインスタントラーメンで,チキンラーメンとか,豚骨だと屋台ラーメンとか棒ラーメン,しょう油だと出前一丁とか,いろいろ種類はあったと思いますが,そのどれとも全く味が違って驚きました.

 でも,小中高のときは,そんなに食べることはなかったですが,大学に入って一人暮らしをするようになってからは時々食べたくなって食べてたと思います.でも,(謎)肉は残してたかな.あと,シーフードが出たのは,その頃で,まだインスタントも豚骨が東京にはなくて,シーフードは豚骨に味が似ていたので時々食べてました.あとは,カレーかな.

 今はものすごい種類があるみたいですが,全く食べてないので全然関係ないです.でもまあ,食べたくなったら年に1回くらいは食べてもいいと思いますが,もう食べることはないような気がします.

 じゃあ今はインスタントラーメンの類は全く食べてないかというとそんなことはなくて,うまかっちゃんは(最近はあまり食べなくなったけど)時々食べてますし(最近は,ほうれん草とかもやしとかわかめとかきくらげをたくさん入れて食べてる.これはこれで結構うまい),生活クラブに無添加のインスタントそば,うどん,ラーメンというのがあったので(今は,食堂が麺類をやってなくてうどんやそばを食べる機会がないので)それを買って結構食べてます(どんぶりに麺とかやくを入れて,熱湯を入れて蓋をして3分とか5分待つだけ).

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(政治)

 ?BSにJ民党の総裁候補4人が出てしゃべっていたのでざっと見ました.

 やっぱり,ダントツにしょぼいのはK田さんですね.何が言いたいのか,何をどうしたいのか全くわかりません(多分,そもそも,そういうのがない).逆に言えば,彼なら「何も変わらない」って安心感?があるってことでしょうか(爆).

 意外とまともだと思ったのはT市さんですかね.でも,あそこまで右でほんとにそこまでやると目先大変なことにはなるでしょうね.N田さんは思ったほどよくなかったかな.ていうか,彼女,最近ああいう感じなんですね(J民党じゃないみたい).

 てことで,一番ましなのは,やっぱりK野さんですかねー.K田さんと対照的に言ってることは明解ですし,どうしたいのかもよくわかります.でも,どうなるかはわかりませんし,そもそも,国民には選挙権すらないわけですからね.

 でも,K田さんが(守旧派の)本命なんでしょうが,いくらなんでもあれじゃあまずいんじゃないですかね.さすがにT市さんってわけには行かないだろし,ふつーに考えたら,K野さんじゃなかったら,一体,J民党の党員や国会議員は何を考えてるんだ?ってことになりませんかね.

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9/19'21
[感染者数が急激に減ったわけ]
(世の中)

 J民党の総裁選もありますが,世の中というか,ワイドショー[なんかほとんど見ないのでちらっと見た感じですが],話題は新型コロナみたいで,要は,どうして感染者数が急激に減ったのかということです.

 ワクチン接種が進んだことは大きいが(んなわけねーじゃん),人流も減ってないしよくわからないという感じでした.○カですねー.というか,(メディアの言うことは嘘ばっかりなので)ほんとのことは言えないわけですからね.

 理由ははっきりしていて,ワクチンとか人流なんか関係なくて,連日感染爆発とか(大げさな)報道を見て,頃合いを見て,そろそろ用心して感染対策するようになったってことでしょう.

 メディアの言うことは嘘ばっかりなんですが,ある意味,それが効いてるとも言えて,急激に感染者数が減ってきたほんとの理由も口が裂けても言えないわけです(そして,これまた「メディアの言うことは嘘ばっかり」).それはもう「報道」ではなく「洗脳」的なことになってるわけで,そんな世の中でいいのかと思いますが,言えるのは,結局,国は何もしてくれないというか,できないし,自分の身は自分で守るしかないんですが,メディアの言うことに騙されずにどうするかをよく考えることは極めて重要ということです.

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 でも,最初からずっと書いてますが,こんな感じだと,感染爆発?と減少を繰り返すだけで,いつまで経っても「収束」はしないことになります(そして,実際そうなってる).

 私個人的には,今のいろんな余計なことが減った状況は快適なので,それはそれで構いませんが,困ってる人もいるとするなら,解決策は,ワクチンではなく治療薬の開発ですが,それにはまだ時間がかかるのなら,(これも最初からずっと書いてますが),新型コロナは「インフルエンザの一種ということにする」(具体的に四種指定にする)ってことでしょう.実際,致死率はそんなに高くないですし,連日大々的に報道するから大変なことになってるように見えるだけということはありますからね.

 例えば,交通死亡事故者数も新型コロナのように大々的に毎日報道すれば車を運転する人の数も減って交通死亡事故者数も減るかもしれませんが,自動車メーカーというか,それで飯を食ってる人がたくさんいるので,そういう報道はしないわけで(これってまさに人の命より経済が大事という新型コロナと同じ議論ですよね),これも結局,感染報道で脅すのと同じで,「何かの都合とか思惑」で報道??がなされてるわけですからね.

 でも,一方では,「脅し」をかけないとまたすぐ感染爆発するわけで,まさにいたちごっこなんですが,そういうことに振り回されずに,普段と変わらず過ごして行けるかどうかは,結局,本人の問題というのは,上で書いた通りです.

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 でも,ある意味,「いい国」だなとも思いますね.だって,ちゃんと感染対策もできない奴らに合わせてロックダウンとかされたらいい迷惑だし,ワクチン義務化もうざいですからね(でも,この辺については,ちょっと怪しい雰囲気も出てきた).

 つまりは,ちゃんと自分で考えて自分の身は自分で守るしかないという「小さな政府」で(私は)OKで,国がしょぼいおかげで,結果的にちゃんと考えられる人間が得をする社会になってると思いますからね(強烈な皮肉).

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[何でも内的熟達的に]

 もう何をどうしたいということはなくて,その時が来るまで,その日その日を楽しく過ごしていけばいいということで,ピアノなら,人前で弾くとか,上手くなるとか,何かを目的とすることなく,普段の練習を内的熟達的に効力感をもってやって行く(ようにいろいろ創意工夫する)のなら,(どこかで書いたと思いますが)それ以外のものもそれで行けると思うんですよね.研究も然りですし,このサイトや相場研究や日常生活の質の向上や片付けは既にそんな感じです.

 一番難しそうなのは,スポーツ,特に,打つ相手が必要なバドミントンですが,これも行けると思うんですよね.具体的には,練習に行くのは,ほんとに時々でよくて,それ以外は,普段,体に負担をかけない程度に体を動かして整えたり,動きを洗練することをしていればいいし,ピアノと同様に,そういうことにどうやって効力感を見出すかの創意工夫をするということでしょう.

 スキーやゴルフも同様というか,これらの方が一人でできますし(でも,スキーは行くと一日かかるのがもうちょっとしんどい),ゴルフは一人でコースに出ることは難しいですが,ピアノの「いつか人前で弾くことがあるかもしれない」くらいでも,つまり,いつかまた誰かとコースに出ることがあるかもしれないくらいでも行ける気がします.

 意外と難しいのは,研究で,それは,学生達を育てながら研究して行く楽しさを知ってしまったからで,でも,定年まではそれができるわけですから,それまではそれを満喫させてもらって,それまでに「一人でしこしこ」できるようなこととかテーマを考えて行けばいいですかね.いや,やりたいことは今すぐやる的には,これももうできることからやったらいいのかもしれません.

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9/20'21
[選択の余地はない]

 もう第二の人生なんだから,これまで(50まで)とは違った生き方がしてみたいと何度も書いたと思います.でも,考えてみたら「もう何をどうしたいということはなくて,その時が来るまで,その日その日を楽しく過ごしていけばいい」って,まさにそういう生き方をしてるってことですよね.でも,そんなこと言ったら,これまで(50まで)も基本的にそんな感じでやってきた気がする.つまりは,そういう風に生きたいと思っていてそんな感じでやってきたけど,第二の人生になって,そういう生き方がもっとできるようになったってことですかね.

 そうすると,逆に,50まで何に阻害されていたかってことなんですが,一つはやはり,食べていくために働かないといけないということ,そして,もう一つは,社会の中で責任を果たさないといけないとか,ある程度は,成果を出さないといけないということですかね.そして,50までにこれらを何とかクリアできたと思うので,一気に自由になったってとこですかね.

 でも,更に逆に言えば,そういう状態で,実際にはまだ仕事をしているわけで,そこのところとの不整合が気になってきたりします.研究は,単純にやりたいことなので(第二の人生でもやりたいことはやるので)いいんですが,それ以外のところですかね.しかも,大学を移って,なんでこんなことやらないといけないのかということは激減して,それはよかったんですが,逆にいろいろ大変な仕事は増えたと思いますからね.

 でも,大学を移った以上,もう途中でやめるわけには行かないというか,そんなに残り時間があるわけでもないし,このまま行くしかない,つまり,選択の余地はないというのはいいと思います.

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 関連するのかもしれませんが,大学を移るとき,あるいは,移ってから,「よく行かれましたね」と時々言われます.いろんな意味があるんでしょうが,定年までそんなにないのに,関東から関西に行かないといけないのに,家族のこともあるだろうに,仕事も大変になりそうなのに,「よく行かれましたね」ってことなんでしょうか.

 でも,他人がどう思うかはわからないので,私はよくわからないのですが,「よく行かれましたね」というのは,「行かない」という選択肢もあったというか,普通は行かんやろってことなんでしょうか?

 これは書いたと思いますが,話があったとき,私も正直「めんどうなことになったな」と思いました.でも,その一方で,断るという選択肢はなかったと思うんですよね.でも「よく行かれましたね」と言う人達からすると,断るという選択肢もあったということなんでしょうか?

 それは,私には全く理解できないです.家庭の事情があるのなら,単身赴任すればいいし,しんどいかもしれないけど,毎週末帰るとか,逆にこっちに来ないといけないときに来るとかだってできると思うんですよね.

 少なくとも言えるのは,状況の全てがよくなるとは限らないですが,得られるものがあるのは確実だし,だったら,そういう機会をみすみす見逃すというか,断るというハードルを越えて断ってでも前いたところに留まるというのは,ありえないし,つまり,全く選択の余地はなかったわけで,だったら,受けて前に進むしかなかったし,それは,これからもそうということです.

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[気持ち悪い]
(世の中)

 日曜の夜19時は,Jャンクスポーツなんですが,今は鬼滅の刃をやってるみたいで録画が残っていました.別段興味はないのでちらっと見ただけですが,一体どうして大ヒットしたのか全くわかりません.というか,何度も書いてるように,ヒットするのに大した意味はないのですが,気になったのは,とにかく「気持ち悪い」ということです.

 鬼退治なのかもしれませんが,凄惨な殺戮場面が頻出するのは,とにかく見てて気持ち悪いですし,Eヴァンゲリオンもちらっと見たことがありますが,同じような感じでしたし,アニメに限らず,公共の電波などで暴力とか人を殺める場面が普通に出てくるのがとにかく気持ち悪く,そんなことになってしまっているのがあり得なくないですか.

 話を広げると,ゲームの世界では戦闘物が多いですし,リアルでもチームに分かれて撃ち合うサバイバルゲームとかが流行ってるんですよね.そうやって洗脳して,戦争する準備を始めてるってことはないですか? やっぱり,気持ち悪いです.

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[チャンス]

 新型コロナで困っている人はいるとは思うのですが,世の中に必要なしんどい仕事ではなく,楽して金儲けしようとして目論見がはずれた奴らはともかく,せっかく大学に入ったのに学生生活を満喫できない大学生が可哀想と言ってる人は結構います.でも,どうなんですかね?

 対面授業が受けられないというのは詭弁でしょう.だって,対面授業でいくらこちらから働きかけてもほとんど反応はないし,だったらオンラインで充分だし,実際,必要なものは提供していると思いますからね.

 そんなことより,キャンパスで学生同士で直接顔を会わせて仲良くなって遊びたいとか部活とかサークル活動とかバイトとかがしたいってことですよね.それはわからないでもないですが,こういう中でもやりようはあるというか,こういう中でどうするかが大事とは考えないんですかね?

 一人でもできることはいくらでもあるし,むしろ,一人でしかできないことの方が多いでしょう.つまりは,チャンスとは考えないんですかね?

 その昔,日本から絵の勉強をしにパリに行く人が多くて,何年かして帰ってくると格段に絵がうまくなって帰ってくる人が多かったということなんですが,それはなぜかと言うと,異国で言葉もままならず,孤独で一人でひたすら絵を描くしかなくて,結果として,上達したというんですよ.

 部活なら,試合がなくなったって,できることはいくらでもあるし,試合があれば,そこにある程度ピークをもって来ないといけないけど,試合がなければそんなこと気にすることなく,競技力向上に一番重要なフィジカルを上げる絶好のチャンスなんじゃないですかね.

 入学間もない大学生が(一人で)できることもいくらでもあるんじゃないですかね.一番重要なのは,これから自分がどうして行くか考えることでしょうし,そのためには,授業や単なる勉強ではなく,いろんなことを学ぶ必要もあると思いますし,対象は無限に広がってるわけで,こういうことになって,そういうことに費やせる時間が増えてラッキーなのかもしれませんよ.

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 同じことは,私にも言えますね.それは,新型コロナの状況ではなく(新型コロナの状況では快適に過ごせているので)定年後の話です.

 定年で仕事という最高の退屈しのぎを奪われるってことなんですが,これってまさに,何事かを自由に一人でできる膨大な時間を与えられるということなわけで,これを活かすも殺すも自分次第ということですよね.

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[定年後?の研究テーマ]
(研究)

 何となくですが,定年で今の仕事を失っても,一人でしこしこやって行ける研究テーマがありそうな気がだんだんしてきました.そして,それは,今の研究テーマとは大分違う感じがします.

 それは,何の役にも立たないとはいいませんが,もっと純粋に知的に興味があることで,従って,論文にならないようなことかもしれません.

 逆に言えば,今は,論文になる研究とは言いませんが,やれば評価されるというか,学生の卒論や修論や博論になるテーマをやらないといけないわけで,つまり,そういうフィルタがかかってるわけで,それをはずすと全然違うことになる気もするんですよね.

 とは言え,結果的に役に立ったり,論文は書かないと思いますが,ウェブ公開くらいはするようなことになるかもしれませんが,いずれにしても,何かの制限がはずれることは間違いありません.

 でも,制限がはずれると発散するという側面もあって,逆に難しくなる可能性もあるのですが,一人でしこしこできるとか,お金がかからないとか,PCがあればできるとか,何よりとにかくやりたいとか,制限はいろいろあります.でも,今,研究テーマを考える時の思考回路を一度リセットする必要があって,それは,難しいような気もしますが,頭の切り換えみたいなことができれば,意外と簡単なのかもしれません.

 そして,「やりたいことは今すぐやる」的には,そういうものが見つかれば,今すぐ始めてもいいわけです.論文になりそうなことは学生にやってもらって,ならなそうなことは自分でやるという言い方もできますかね.つまりは,敢えて論文にならなそうな(やりたい)ことを探すみたいな感じでしょうか.

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9/21'21
[いろいろな制約]
(研究)

 つらつら考えてみたのですが,意外と難しいかもしれませんね.

 テーマはいくらでも思いつくのですが,どうしても「そんなことやってどうすんの?」となってしまいます.つまりは,工学なんだから,どうしても「そういう何か」が必要だと思ってしまうんですね.

 それならそれで,テーマはいくらでもあるのですが,そうすると,(論文がかけて業績になるので)今さら私が一人でしこしこやるより,若い人にやってもらった方がいいじゃんと思っちゃいます.

 そういう縛り(洗脳?)から何とか解放されたとしても,それが一番純粋に知的に興味があることかと言うと,他にもっと興味があることがあるような気もするし,ある程度の実績もあるので,論文は書かないとしても,結果をウェブ公開するのなら,あまり変なことはできないということもあります(それにウェブ公開だけで,論文になることだとアイデアを盗まれちゃうこともあるので,やっぱり,論文書かないといけなくてめんどくさいですね).

 でも,逆に言えば,こういういろいろな制約があるということは,なかなか見つからないということもありますが,対象が広すぎて何やったらいいかわからないということではないので,まあぼちぼち考えていくってことですかね.

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[時間の問題]
(経日)

※2014年の記事を読んでて,「経日」というカテゴリーを作ったのを思い出したというか,すっかり忘れてました(笑).

 VIXがずっと買いで,アメリカ株が過熱している状態がずっと続いていると書きましたが,急落しました.つまり,今回もたんまりいただきました.

 報道は,中国恒大がどうとか言ってますが,そんなの後付けというか関係ないですよ.ほんとてきとーなことを平気で言いますよね(中国恒大がやばりというのはずっと言われてたし,取り付け騒ぎ?的なことが起こったのも一週間前).

 でも,これからどうなるかわからない,中国恒大に限らず,中国経済というかバブルがはじけるかもしれない,ではなく,どこかで必ずはじけるわけで,それはアメリカ経済も同じで,つまりは,いつはじけるかという「時間の問題」なわけです.

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9/22'21
[まだ上がる]
(経済)

 (何度も書いてると思いますが)じゃあ,どうして,バブルとわかっているのに,いつかバブルははじけるとわかっているのに,人々は,株を買ったり,(投機目的で)マンションを買ったりするのでしょうか?

 それは「まだ上がる」と思うからです.そして,「自分だけは」売り抜けられる,実際は,ほとんどの人が損をするのに「自分だけは」儲かると思ってるんですね.いや,自分は,投機目的で株やマンションを買ってはいない,自分で住むため,あるいは,インフレ対策として株を買ってるという人もいると思うのですが,バブルに巻き込まれる点では同じです(投機のつもりはなくても結果的に投機になってしまっているということ).

 何とも不思議というか,滑稽な話なんですが,これも一種の本能というか,いつも書いてる「個を犠牲にして種を繁栄させるプログラム」なんですかね.

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[そういう世界には身を置きたくない]
(政治)

 T市さんの可能性ですが,もちろん,可能性は低いとは思うのですが,もしそういうことになったらどう思いますか? 彼女がどうやってここまで来たかは,何度も書きましたが,結局,そういうことをする人間がのし上がるってことなんでしょうか?

 実際,政治以外の世界でも,何かの組織の場合,上の人間が下の人間を引っ張り上げるので,結局,上の人間に気に入られる人間が出世するって側面はあるわけです.でも,仕事ができるかどうかは重要ですから,ただ気に入られるだけではだめでしょう.

 でも,政治の世界だと,政治信条が近いかどうかみたいなことがあるわけで,だったら,自分の政治信条なんか捨てて,上に気に入られる政治信条?で行けばいいことになります.そんなことして一体何のために政治家になったんだ?てなもんですが,そういうことが目的なら,そうすればいいことになってしまいます.

 なんか書いててばかばかしくなってきたので,もうやめますが,私が思うのは,ただ一つ,そういう世界には身を置きたくない,関わりたくない,ただそれだけですね.

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[Aベノミクスは失敗だった]
(政治, 経済)

 R憲M主党がAベノミクス検証委員会というので,金持ちを更に金持ちにして格差を広げたAベノミクスは失敗だったと結論付けていました.どう思いますか?

 もちろん,与党を攻撃するのが野党ではあるんですが,私もAベノミクスは失敗だったと思います.というか,ちょうど2013〜14年の記事を読んでますが,その頃から,こうなる(格差が広がる)と書いてますし,その通りになりました.

 そして,その流れは益々強まってるわけで,それは,政治というよりは,経済の流れでしょう.

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9/23'21
[関係ない]
(政治)

 でも,格差が広がったということでは,Aベノミクスというよりは,K泉政権ですよね.端的に言えば,彼の在任中に派遣対象業種が一気に広がって,いつでもクビを切れる派遣社員が劇的に増えたってことなんですが,彼がそういうことを推し進めたというよりは,時期的にたまたまそうなったということなわけで,それは,Aベノミクスも同様です.

 つまり,K泉さんにしてもA倍さんにしても,たまたま景気が拡大するタイミングで総理だったというだけの話で,彼らが特に何をしたというわけではないというのが実態でしょう.でも,そういうこと(偶然)で評価がされる世界ってなんなんと思いますけどね.

 だから,彼らは関係ないんですが,言えるのは,景気が拡大すると格差も拡大するということです.だって,景気がいいのは,大企業とか,極一部の人間だけですからね.どうしてそういうことになってるかは,(今たまたま読んでる2013〜14年の記事に既に書いてありますが),もう実質成長余地がなくなってる中で富の再配分やってる余裕なんかないし,トリクルダウンなんか起こらないということです.

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[ビッグマック指数]
(経済)

 関連するのかもしれませんが,昔からその国の経済力を表す指標としてビッグマック価格を使うビッグマック指数というのがあります.ビッグマックは,どの国でも「同じ」なので,その価格がその国の経済力を表すということです.そして,それが今は日本はアメリカの6割で,何と韓国より安いらしいです.

 要は,物価が安いってことですが,その分,賃金も安いわけで,その国の経済力としては低評価になりますし,通貨(円)も安くなります.実際,2000年以降,日本は経済的に低迷してきましたし,イメージ的には,先進国の中の順位が落ちて,新興国に近づいたという感じでしょうか.

 それじゃだめだ,もっと頑張ろうと経済関係者は言うのですが,賃金は安くても物価も安いので生活ぶりはさほど変わらないのが実態です(でも,格差は広がってるので,貧困層は増えてるが,それは分布というまた別の問題).

 問題は,これをどう考えるかです.生活ぶりが変わらないのならそれでいいじゃんとは言えるんじゃないですかね.一般人にしてみれば,海外旅行に行くと,物価が高いのにびっくりするくらいのものでしょう(逆に日本には観光客が押し寄せる).

 自動車などの輸出産業にぶら下がって食べてる人も多いでしょうから,円安ならその分実入りが増えるわけです.そう,ここにも書いてありますが,そうやってこの20年やってきたのです(Aベノミクスがまさにそう).

 つまり,日本は貿易収支が黒字だから常に円高圧力がかかっているのですが,それでも円安になってるってことは,端的に言えば「あんまり頑張ってない」ってことです.それで,何とかやって行けるのなら,(国際的地位は低下しますが)それはそれでいいんじゃないですかね.

 でも,あんまりやり過ぎると,円安が更に進んで,食料やエネルギーなどの輸入品が値上がりして,生活ぶりが変わってきますし,徐々にそうなりつつあります.そして,その行きつく先は...ということにならないようにですが,確実に近づきつつはありますね.

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[どのみち]
(政治)

 上に気に入られる政治信条ってことですが,(出世のために)自分の政治信条を捨てるとか,最初からそんなものないとかではなく,「たまたま」上に気に入られる政治信条ってこともあるのでは?と言う人もいるかもしれません.

 彼女の場合は,そうではないと思いますが,もしそうだったとしても,そういう偶然みたいなことでそういうことが決まる世界ってなんなんというか,どのみち,そういう世界には身を置きたくない,関わりたくない,ということに変わりありません.

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[10年後]

 何気なくシューベルトのD.894(幻想)弾くなら,10年後ならOK?と書いて思ったんですが,10年後ってもう70近いわけですよね.そう考えると,突然,「何かの実感」が湧くというか,もちろん,10年後もピアノプロジェはやってると思うのですが,30代の頃「10年後の話」をするのとは,もう全然意味合いが違ってきてることに愕然としますね.

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[我に返る]

 そんな具合に,だんだん「未来がなくなってきてる」と実感するのですが,そういうことが全てネガティブかというとそういうわけでもなくて,物事には,全て正負両面があるとは,何度か書いている通りです(この件については,人生が終盤を迎えて無事にここまでやって来られてほっとするところもある).でも,一般的には,ネガティブなんですよね?

 私自身は,全体としてはイーブンに近いのですが,常にイーブンというわけではなくて,どちらかに傾くこともあるので,ネガティブな感じになる時もあります.そして,そういう時は,一般の人の感覚に近いのかもしれません.

 そういう時に思うのは,子供がいたら未来を感じる,孫がいたら尚更ということでしょうか(そういう意味では,子供や孫じゃなくても,若い人ならいい気がする).だって,彼らには未来があるわけですからね.自分には未来はないけど,彼らにはあると思えば,未来を感じることはできますし,私にできることがあればしたいという気になります(余計なお世話かもしんないけど).

 でも,一方では,子供や孫がいたら,いろいろめんどくさいこともあるわけですし,彼らには未来はあるけど,その未来を生きていくのは大変だなとも思うわけで,まさに正負両面で,もっと言えば,未来がある方がいいのかも怪しくなってきます.

 まあ,こういうのは本能なので,流されるとそういう感じになりがちなんですが,そういうときは,こんな具合によく考えて我に返ることも大事ってことですかね.少なくとも,私自身は,若い頃に戻りたいとは思いませんから.

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[人生と新鮮味の関係]

 ということで,そういう状況で何とかやって行くしかないわけで,定年後,自分のことを必要としてくれる人がいるとは限らないというか,いないことを前提に,一人(時々みんな)で大丈夫なように,「未来がなくてもその時やる気になること」を考えるということで,欲と飽きのコントロールというようなことがあるのですが,飽きについて言えば,今までやって来たことは,やはり,どうしても新鮮味はないわけで,じゃあ,全く新しいことをやるとしても,そういう欲がないとか,今から始めてもてんで大したことにはならないわけで,評価的なことはこの期に及んでどうでもいいのですが,誰でもすぐにできることやってもつまんないと思うんですよね.

 じゃあ,今までそれなりのレベルでやってきたことの「飽き」をどうするかですが,人間,忘れるってこともあるような気がします.今,そういうことをピアノでいろいろ実験してるのですが,曲を選んでレパートリー的にぐるぐるじゃないですが,昔弾いた曲は,半分忘れてて弾けなくもなってるんですが,その分,新鮮味が復活してるところもあるわけです.

 そして,リストアップしてみると,そういう曲の量もかなりあって,逆にもう時間がないとも感じるわけで,つまり,この方法は,人生に限りがある,「未来がない」からこそできるとも言えるわけで,もし人生が永遠に続いてしまうと足りずに飽きてしまうわけで,何かうまく「繋がってる」感じもしてきます.

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[効果vs持続性]

 でも,いろんな曲が弾けるピアノに比べるとバドミントンやスキーは,そういうヴァリエーションが格段に厳しいと思います.逆に言えば,体を整えて要介護にならないことを目的とするのなら,バドミントンとかスキーとかゴルフとか種目を絞らずに,体育の授業のようにいろんなスポーツをするというのはありかもしれません.

 でも,一人でいろんなスポーツをするのは現実問題難しい感じがします.そういう意味では,普段,体を整えるためにやってることの方がヴァリエーションを考えられるかもしれません.そういうことは,効果が高い種目に絞ってやってるのですが,持続性を考えると,効果が多少低くても,飽きが来ないようにいろんなことをやった方がいいという気がしてきました(実際,怠けがちだし).

 まさに,効果vs持続性で,どんなに効果があっても持続しなければ,あるいは,効果が低いことを続けてもだめで,そのバランスポイントを探すべしということでしょうか.

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[そういうものとして認識して仕事にした]
(研究)

 一方で,研究をどうするかですが,やはり,純粋に知的興味だけでは厳しいような気がして来ました.そういう風に縛られているというよりは,それが本質のような気もするんですよね.だって,そもそも,仕事としてやって行けるものの中から選んだというか,そういうものとして認識して仕事にしたわけですからね.

 だったら,それはそれでそういう風にやって行けばいいとも言えるのですが,ウェブ公開だけという具合には行かないし,論文を書くのは,めんどくさいというか,そういうことが煙たがられているような雰囲気がねー(どうして,そんなことになってるんですかね).

 一方では,どのみち,やりたいことをやるだけでは厳しくて,何か仕事的なもの,即ち,やらないといけないことがあった方がいい気もするのですが,生活して行くのに必要なこともありますし,認知症予防というか,要介護にならないように体を整えることもやって行かないといけないし,元来のめんどくさがりの怠け者からすると,やりたいことも含めればそれくらいで行けるような感じもしてくるわけで,余計な心配という気もするんですよね.

 つまりは,やらないといけない研究ならやらないってことはあるわけで,じゃあ,やりたい研究ならやるのかってことなんですが,そりゃあ,やりたきゃやるんですが,だったら,単にそういうことにまかせればいいってことですかね.

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9/24'21
[成績]
(運保)

 2013〜14年の記事を読んでいて,そう言えば,最近,日運,短運,資保の成績を書いてないなと思ったんですが(でも,これを見ればすぐ計算はできる.あーでも,割合がわからないか),数年前に資保が始まって,よくわからなくなったということがあります.いや,よくわからないわけはないんですが,日運や短運と資保は,目的が違うので,その切り分けが難しいということがあります.

 資保とは言っても,買いしかやらない大手総合商社株,商品先物,外貨(FX)は,資産を守ることが目的ですが,VIX先物とかNasdaq100先物とかマザーズ先物は,性格的には,日運や短運に近くて,その対象を広げたとも言えますからね.

 そして,最近の心境としては,資保がメインになりつつあります.実際,資保は,資産を守ることが目的なので,全資産が対象なのに対して,日運や短運は,余剰資金で一か八かなので,額が全然違っていて,結果として,全体の成績の中で,日運や短運が占める割合は小さくなってますし,この期に及んで一か八かというよりは,資産を守ることの方が遥かに重要になってきたわけですからね.

 つまり,どこかで書きましたが,資保がメインで,日運と短運がリスクヘッジ的な役割を果たしているとも言えて,結果的にバランスがとれてきた感じもしています.

 ただ,全体の成績を日々把握するようにしたのは,昨年の半ばくらいからです.以下が全体(日運,短運+資保)の推移ですが↓(横軸は,20??年,縦軸は伏せてあります),昨年後半は,どこかで書きましたが,日運,短運の収益悪化を資保がカバーしてトントンで,今年に入ってからは,基本的に右肩上がりです.

 一方の,日運+短運ですが↓(軸は資保と同様),昨年前半,新型コロナ騒動で相場が乱高下した時は,よかったんですが,相場が持ち直した昨年後半は収益が悪化し,今年に入ってからはトントンで,最近,ちょっと持ち直し気味といった感じです.全体のバランス的にも,日運と短運が低迷して,その比率が下がったということもありますかね.でも,こうしてあらためて見てみると,日運+短運は,ここ数年ぱっとしませんね.

 もちろん,これからどうなるかはわかりませんが,しばらくはこんな感じでやって行くということですが,日運や短運のように,成績が低迷すると資金が減って全体に占めるの比率が減るというように,結果的にバランスしていくような感じはします.

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9/25'21
[心を整える]

 2014年の夏くらいの記事を読んでるのですが,調子悪そうです(でも,過去の記事のことを今このサイトに書くのはなんか変な感じ).2013年末にある食材を摂取するようになって体調が回復したことや,もう第二の人生と開き直ったことで,調子は悪くなかったと思うのですが,右股関節を痛めてまともに体を動かせなくなったこともありますが,そういう状態は長続きせず,ある食材も賞味期限切れか,とか書いてありますね.でも,その食材そのものではないですが,粉末状にしたものを毎朝IUJに入れて今でも,つまり,それ以来ずっと摂取してるんですけどね.

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 このサイトで,よく「体を整える」と書いてるんですが,まずは,「心を整える」ことじゃないですかね.だって,体を整えるために体を動かそうと思っても,そういう気にならなければ,話にならないですからね.

 じゃあ,心を整えるにはどうしたらいいかですが,これがなかなか難しいと思います.でも,言えるのは,外部要因ではなく,内部要因ということです.なぜなら,内的状況がよければ,外的状況が悪くても関係ないし,逆に外的状況がよくても内的状況がよくなければだめだからです.

 そして,内的状況を整えるものとしては,食事と睡眠(休息)くらいしか思い当たりません.あとは,無理しないとか,やりたくないことをやらないとかですが,これは,外的状況が少し関係してきますかね.周期的なものもあるので,そういうものに逆らわないというか,ある程度,合わせることも必要ということでしょうか.

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 と書いて,そう言えば,まずは体調,即ち,体調が悪ければ,やりたいことがあっても,しんどくてやる気にならないとも書いてたことを思い出しました.

 でも,反例としては,体調が悪くなくてもその気にならないこともあるし,その気になっても体がしんどければ,なかなか厳しい.でも,前者よりは,後者の方が何とかなる気もするんですよね(ただし,歳をとると無理しないことは必要).

 ですから,やっぱり,心が先ですかね.つまりは,まずは体調と言ってた時は,ほんとに体調が悪くて何もまともにできないような状態だったんだと思います.

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[全部ひっくるめて「やりたいこと」]

 やりたいことやったらいいと再三書いてますが,いくらやりたくてもそれで食べて行けるほど得意でなければ,それを仕事にする(パターン1)ことはできません.だったら,別の仕事をして最低限必要な分だけ働いて,残りの時間でやりたいことをやればいいでしょう(パターン2).

 でも,それでも多くの時間を仕事に費やすことになるわけで,だったら,得意なことを仕事にした方が効率がいいということはあるでしょう.つまり,何度か議論した得意なこととやりたいことのどっちを選んだ方がいいかってことなんですが,仕事にするなら得意なことってことになるわけですが,多くの時間を費やすのなら,得意なことよりやりたいことという考えもあるわけです.

 でも,そもそもなんですが,やりたいことと得意なことって「独立」なんですかね?例えば,好きでやりたくてしょうがないけど,いくらやってもめちゃくちゃ苦手とか,得意でめちゃめちゃできるけどやっててもちょーつまんないってことがそんなにあるんでしょうか?

 全くないことはないとは思いますが,普通は,できるから,できるようになるから楽しいということはあるわけですし,好きでもいくらやってもできないのなら辛いと思うんですよね.つまりは,やりたいことと得意なことのどちらかしかないわけではなくて,かなり従属性があるわけです.だったら,得意なことをやった方がいいということになります.やりたいとか好きとかいうのは,曖昧というか不安定なところもありますからね.

 でも,そういうことも全部ひっくるめて「やりたいこと」ってことじゃないですかね. 何度も書いているように,世の中の役に立つことがやりたいというのも「やりたいこと」ですからね.ですから,単純に「やりたいこと」ということでいいんですが,注意を要するのは,何かの目的のためにやってるのにそれをやりたいことと勘違いしてしまうことで,つまりは,何かの目的がなくても(ただやりたい)ことということでしょう.

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9/26'21
[両方]

 心を整えるか体を整えるかですが,両方ですよね.つまりは,心身共にってことですよね.でも,だとすると,なかなか大変ですね.

 でも,これこそ「独立」ではないですよね.つまりは,そこをうまく利用できないかということでしょうか.あるいは,うまくバランスをとるってことですかね.

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[都心に住みたい]
(このサイト)

 読み返しですが,2014年の夏くらいまで来たのですが,センチメントとしては,今とそんなに変わらない気もするのですが,一つだけ大きく違っているのは,この頃は,まだ都心に住みたいと思ってるってことですね.今はもうそうは全然思ってませんから,それが大きく変わるのがどこかってことですかね.

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[残り続けるもの]

 定年後問題というか,これからどうやって行くかですが,だいたい準備はできたと思いますし,そもそも,準備なんか要らない気もしてきたというか,経済的に何とかなる範囲で,そのときやりたいことをやって行きながら「その時」を待つということでいいと思うんですよね.

 もちろん,こんな私でも必要だと言ってくれる人がいれば,それはそれで考えますが,ほんとに必要とされてるのかとか,私でないとだめなのかとか,そもそも,私がその気になるのかとか簡単なことではないですし,うまい話はないと思っておいた方がいいでしょう.

 でも,私個人としてはそれでいいんですが,それでいいのだろうかという変な気分にもなってきました.つまりは,自分がよければそれでいいのかというか,こんな私にでもできることがあるとしたら,やるべきなのではないかということです.

 そう思ったのは,何気なく見た番組なんですが,ある人が若くして病気で亡くなって,家族が残されてしまったんですが,その人は,ブログを残していて,それは,いろんな人が参加しているコミュニティーになっていて,その人が亡くなってもそのサイトは残り続けて,結果として,残された家族がそのサイトに救われたと言うのです.つまりは,その人は亡くなったけど,そのサイトは生き続けて,残された家族にしてみれば,違う形でその人が生き続けたということです.

 ブログを残した本人がそこまで考えてたかどうかはわからないのですが,まだ若くて死にたくなかったでしょうし,何らかの形で生き続けたいとも思ったでしょう.どのみち人間はいつか死ぬのですが,子供や孫がいれば未来を感じられるし,自分が死んでもそういう形で(人類が)生き続けるということはあるわけです.子孫でなくても,例えば,会社のような組織を作れば,似たようなことはできるかもしれません.

 でも,私個人としては,自分が死んでも,何らかの形で生き続けたいとは思いませんし,定年後も研究を続けていくために研究所を作るということも考えたことはありますが,それは,自分が若い人達を育てながら研究して行くためで,それは,自分が若い人達のためにできることをしたい,自分には若い人達に伝えられる大事なことがあると思ってるということなんですが,結局は,自分のためだと思うんですよね.世の中の役に立つことがしたいというのも自分のためですからね.

 ですから,私はそういうものがなくても別にいいんですが,もしそういうものができて,それがずっと続いていくようなものになれば,私がいなくなった後もそういうものがあることで,救われるというか,心のよりどころくらいにはなる人もいるかもしれないとは思いました.

 具体的には,どういうものですかね? 研究所とかじゃなくても,研究グループでもいいでしょうし,それこそ,研究なんか関係なくて,「何かの集まり」でもいいのかもしれません.何か漠然としてますが,家族とか血縁は関係なくて,お互いの考えに共感できる人達が世代を越えて集まってるような感じでしょうか.

 でも,そういうのって「作る」ものじゃないとも思うんですよね.結局,私という人間の人との繋がりの中でそういうものができて,それが私の世代から若い世代まで広がって行けばいいということですかね.

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 すぐに思いつくのは,研究室のOBOG達ですかね.一番上は40くらいで下はまだ現役の学生です.一番上が40だと私と大分差がありますが,その間には,地震研時代にいっしょだった南研,工藤研,壁谷澤研のOBOGもいますからね.もちろん,OBOGと言ってもいろいろで,そういうものに参加したいと思うのならということですけどね.

 そう言えば,伝統ある代々続く研究室って,家族というか,そういうところがありますよね.そういう意味では,私の研究室は,伝統ある代々続く研究室ではないので,私が定年で辞めれば研究室はなくなります.でも,研究の道に進んでくれた人は何人かいますし,何かそういうものができれば,そういう人達が中心になって,その人達がまた次世代を育ててずっと続いていくかもしれません.

 そうすると,やはり,「研究グループ」がスタートということになるのでしょうか.でも,そうすると,研究してないといけないってことになってしまうんですが,それだと参加できる人が限られてしまいますね.上で書いたように,研究は関係なく「何かの集まり」でもいいと思いますからね.

 そもそも,研究室出身者に限る必要もないし,やっぱり,「作る」もんじゃないかな.つまりは,自然発生的にできればってことですかね.でも,自然発生的にはできないかなあ.

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9/27'21

 でも,こういうのは,やっぱり,作るもんじゃなくて自然発生的にできるものだと思います.そうでないと続かないし,ましてや「残り続ける」ことはないでしょう.

 ですから,私自身がどうこうすることはないでしょうし,そうすると私が必要とされなければ何も起こらないのは,こんな私でも必要だと言ってくれる人がいればというのと同じで,結局,最初の経済的に何とかなる範囲で,そのときやりたいことをやって行きながら「その時」を待つということでいいに戻るということですね.

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[変わる]

 この頃(2014年夏)は,まだ都心に住みたいと思ってると書いたのですが,早速変化が出てきました.あと,夏休みの印象がよくないと書いているのですが,今は全然そんなことないです.

 ですから,こういうのって「変わる」わけで,定年の頃は,また都心に住みたくなってるかもしれないわけです.

 そう考えると,家を買って定住するのはやはりリスクがありますね.家を買ってしばらくして引っ越したくなっても,おそらく我慢して住み続けるわけで(歳をとればなおさら),それはさらによくないですね.

 あと,食べ物のこともこの頃から記述が出てきます.こうしてみると,何気ない日々を淡々と過ごしているようで,(内的に)いろいろ変化があるんだなと思いますし,それが「変わる」要因の一つでしょう.

 「変わる」というよりは,成長というか(この歳になっても(笑)),よりよい生き方に少しでも近づいているというか,そうだったら意味がある感じはします.ぐるっと回って戻ってきたとしても螺旋階段のように1つ上の段階に来ていることもあると思いますからね.

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[白鵬引退]
(相撲)

 白鵬引退との報道です.先場所,優勝した後に引退という噂もあったんですが,新型コロナ感染でごたごたして,変な感じになっちゃいました.先場所,優勝した直後に引退すれば,格好よかったと思いますが,彼にはいろいろ問題があったということで,そうは問屋が卸さなかったということでしょうか.

 でも,史上最多優勝回数を誇る大横綱に間違いありませんが,何度もこのサイトで書いたように非常に問題が多かった人ですから,どこかほっとするところはあります.でも,一つの時代が終わった感じはしますかね(短).

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 でも,これからの大相撲を考えるとどうですかね.横綱は,昇進したばかりの照ノ富士一人になってしまって,しかも膝の具合もよくないしそんなに長くはないでしょう.それに続く大関は,悲惨な状況ですし(照ノ富士が復活してなかったら一体どうなってたかという感じ),その下にも期待できるような人もいない(いや,いないことはないけど後述).

 見方を変えると,下位の特に若手力士にとっては,大チャンス到来ってことなんですが,どうなんでしょうか.つまりは,今の状況をそういう風にとらえられるメンタリティーなのでしょうか.

 でも,大相撲という「閉じた世界」なので,相撲を取れば勝ち負けがついて,何かの結果は出るわけですから,その中で「相対的に」成績がいい人が上位に行くということにはなるでしょう.でも,それだけじゃつまんないわけで,誰かが頭角を現して駆け上がるようなことが期待されてるとは思うのですが,そういうことが起こるかってことですかね.

 個人的には,取り口というか,とる相撲が好きな力士,相撲をとる姿勢が好きな力士はいます.でも,そういう力士が強くなると思うかというとそうとは限りません.でも,こいつがその気になったら強くなるなという力士は何となくわかります.でも,実際に強くなるとは限らない.

 つまりは,これもその気になるかどうかの問題ってことですね.

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[インカレ@奈良]
(バドミントン)

 今年のインカレは奈良開催ということで,これは見に行けってことですかね(調べたら車で1時間かからないくらい).でも,予定を見てみたら,キャンパス公開とか公開講座(は担当で講演もある)とちょうど重なってますね.キャンパス公開はオンラインになったんですが,当日,出かけられるのかどうかはまだよくわからないです.

 でもどうなのかなあ.考えてみたら,1, 2年生は,こういう状況で直接顔を合わせたことはそんなにないし,3, 4年生もよく話をしたのは何人かって感じですかね(もちろん,監督の吹田先生やスタッフはよく知ってますが).でも,逆に言えば,そのうち知らない学生ばかりになってしまうとしたら,最後のチャンスという気もしますし,こっちに来たら隣県で開催ということで,こんな偶然そうそうないと思いますからね.

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[嬉しかったこと]

 もうこれからの人生,いいことなんかないと思うのですが,そういう中でも楽しく気分よく生きて行ければそれでいいとも言えるわけです.

 でも,考えてみたら「いいこと」って何でしょうね? もうこれからの人生,いいことなんかないということなら,これまではあったってこと?

 そうですね.「いいこと」というと漠然としてるので,嬉しかったことということだと,普通だと受験に合格したときなんでしょうが,私の場合,あんまりそんな感じじゃなかったですね.中学(西南)のときは,ちょっとは嬉しかったような気もしますが,落ちることはまずなかったと思いますし,それは高校(修猷)もそうでしたからね.大学(東大)もこれ以上浪人できないという中で受かってほっとした感じでしたかね.

 やっぱり,一番嬉しかったのは,就職が決まったというか,南先生にうちに来ないかと言われたときですかね.小さい頃からのやりたいことを見つけてそれで飯を食うということが実現したときでしたからね.そういう意味では,大学4年で研究室に入って,やりたいことを見つけたときも嬉しかったと思いますが,見つけた!という瞬間はよく憶えません(でも,研究がとにかく楽しかったことはよく憶えてる).そういう意味では,進振り間近で,建築に構造という分野があることを見つけた時は,見つけた感はありましたかね.

 あとは何だろう? 40になって,全日本教職員に出てシード選手に勝って16に入ったときは嬉しかったのはよく憶えています.スキーの2級とか1級とか準指に受かったときも嬉しかったかな.でも,そんな程度のことが嬉しいってことは,他に嬉しかったことなかったんかい?って感じですかね.

 恋愛関係はどうでしょうか.自分が好きになった人が自分のことを好きだとわかったときは嬉しかったんだと思いますが,その瞬間のことはよく憶えてないですね.結婚したときも嬉しいという感情とは違ってたかな.

 こうしてみると,これまでも別にそんなにいいことというか,嬉しいことがそんなにあったわけではないですね.でも,つまんない毎日を送ってたわけじゃなくて,楽しく過ごしてきたと思います.ですから,これからもいいことなんかなくても,それでいいってことですかね.

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 これから起こるかもしれない「いいこと」のイメージはないことはないです(仕事関係ではないです).でも,そんなことまず起こらないだろうし,起こったとしてもそれはそれで大変なので,起こって欲しくないとは言いませんが,まず起こらないという事実にほっとするところもあります.

 でも,起こったら拒否することはないとも思うんですよね.でも,間違いなく大変なことになる.これって何なんですかね?

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[昇進]

 そっか,昇進したときや大学を移ったときは,嬉しくなかったのか?と言う人もいるんですかね.

 でも,「いいこと」というか,嬉しかったことって何かなあと上でつらつら考えた時,全く頭に浮かばなかったわけですから,そういうこととは違うということですかね.

 まず,筑波大に移った時ですが,助手(今の助教)から助教授(今の准教授)への昇進でもあったのですが,うーん,いいこととか嬉しかったというのとは違うかなあ.公募に受かったってことは,私の実績が認められたということはあったんですが,いろんな事情があって,地震研を出ることにしたわけですし,都落ち感もありましたからね.

 次は,准教授から教授への昇進ですが,これは記事を書いてると思うので,そのリンクを探した方が早いかな.ここにありますね.まあ,ここに書いてあるので,あらためて書くことはないですが,嬉しいというよりは,順番が回ってきたというか,でも,めんどくさいことになりそうって感じですかね.

 次は,京大防災研への移籍ですが,これは昇進でも何でもありません(横滑り).で,話があったときどう思ったかは,既に書きましたが,ちょっとめんどくさいことになったなという感じで,でも,じゃあ断るかと言うと,話が来るということは,自分が評価されたということでしょうし,だとすれば,それに応えたいとは思いましたし,自分の研究にとってプラスになることは明らかで,断るという選択肢はなかったですね.

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[どーでもよくないですか?]
(世の中)

 引退する白鵬ですが,評判よくないですね(親方になるのを許さないという雰囲気も).でも,こうも評判が悪いと逆にどうよ?という気もしてきます.

 彼が問題視されているのは,勝つために手段を選ばない取り口とか,だめ押しとか,万歳三唱とか,そんな感じですが,私の印象は,大分違います.それは,再三書いてきましたが,「この人,何もわかってないな」というようなことです.ですから,横綱として相撲がどうとか,振る舞いがどうというのは,あまり関係なくて,人間として見たくない(見苦しい)というようなことでしょうか.

 で,ある人のサイトの記事を読んではっとしたのですが,白鵬に批判が集まるのは,彼があまりに強くて,しかも,日本人(日本出身)じゃない,つまり,モンゴル人(モンゴル出身)だからじゃないかということです.

 だとしたら,とんでもないことですが,実情を考えると,そういうことがあるのは大いに考えられます.私は白鵬は見たくない(見苦しい)ですが,彼がモンゴル人(モンゴル出身)であることなんか,とうの昔にすっかり忘れていたというか,そういう意識すら全くありません.そういえば,照ノ富士もモンゴル人(モンゴル出身)なんですが,まさに,そういえばって感じです.

 こういうのって何なんでしょうね? 大谷が勝負してもらえないのも彼が日本人だからと言われています(アジアより中南米の方がましというのも変な話).

 ずっと書いてますが,日本人とかモンゴル人とかアメリカ人とか,どーでもよくないですか?

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 どこかで議論したとは思うのですが,そもそも,どうして日本人とかそうじゃないとかに拘る人がいるんでしょうか?

 例えば,日本人が海外で活躍すると,同じ日本人にもできることがわかって勇気をもらったとか言うわけですよね.でも,活躍したのは,その人であって,その人が活躍したからと言って,同じ日本人であるそういうことを言う人が活躍できるなんてことにはなりません.

 日本人は,欧米人に比べて体格的に劣るのに何かのスポーツで活躍できたというのならそう言うべきですし,そんなこと言ったら,大谷の体格は,日本人離れしていて欧米人に全く引けを取らないわけで,全然理由になってません.

 ここまで来ると明らかなんですが,やっぱり,何かの刷り込みなんだと思います.ものごごろがついたら,オリンピックで回りはみんな日本人を応援していた,男は働いて女は家庭を守るのが当然だった,みたいな.

 問題は,どうしてそういう刷り込みをするかですが,昔は国同士で戦争をしていて,そういうことに対する準備ということなわけで,でも「昔は国同士で戦争をしていて」と書きましたが,じゃあ,それは昔の話かと言うと,今でもそういう刷り込みがあるということは,未だに準備をしているわけで,身の毛がよだつようなことなわけです.そして,まさにそういうことが戦争を引き起こすわけです.

 ちなみに,男は働いて女は家庭を守るのが当然という刷り込みは,そうした方が都合がいい多くの男と,多くはないけど一定数いる女の仕業でしょう.

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9/29'21
[J民党は変わらなかった]
(政治)

 J民党の総裁選ですが,結局,予想通り,守旧派本命のK田さんということになりました.つまり,旧態依然としたJ民党は変わらなかったということですね.一時はK野さんに流れが傾いたこともありましたが(というか,国民の支持や党員票はK野さんがトップですが),N田さんが立って1回目で過半数が難しくなったことや,K田T市連合ができたりして(そのように仕組まれて),失速しました.でも,メディアでは今回は何が起こるかわからないという感じでしたが,最初からこうなることはわかってたような気もしますよね(ほんとしょぼい).

 これで,K野さんを支持した人達が冷や飯を食うのは確実で,(既に書きましたが)自分達の方が正しいと思うのなら党を割って出たらどうですか.でも,かなりの大敗ですからそんな元気はないですかね.

 株式市場(経済の未来を映す鏡)を見ると,Sナエノミクスに期待していたということで,T市さんが1回目で落選した瞬間に急落したんですが,その後,急落前まで戻しました.でも,期待できないという点では,K田さんだってそうなんですけどね.

 そもそも,有能な人材がいない今の政治に何ができるというか,ほとんど何もできないわけで(新型コロナ対策がいい例),そういう中でやって行くしかないのも何も変わらないということで,凡人で一番余計なことをしなさそうなK田さんでOKということでしょうか(ほんとしょぼい).

 うーん,でも,この人が日本の首相かと思うと,今のこの国のレベルがわかりますね(でも,Sさんのときもそんな感じだったかな).でも,国というか政治がどうなろうとも,自分がちゃんとやって行けばいいわけで,それこそが国がというか世界がよくなることに一番繋がることでしょう.

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 どこかで書きましたが,彼って開成出身初の首相で,開成OBの悲願とずっと言われてきました.でも,彼って東大じゃないんですよね(確か早稲田).つまりは,高校は開成だけど,勉強はそんなにできたわけじゃないってことですかね.

 まあ,それ自体はどうってことはないですが,彼より優秀だった多くの開成の人達はどう思ってるんですかね? そんなこと関係なく,彼を首相にするために頑張ってきた開成OBも多いみたいで,出身校から首相が誕生すれば嬉しい? だとしたら,しょぼい話ですね(毒).

 ちなみに,私の出身高校(修猷)出身の首相は既にいますし,山崎拓さんがそれに近づいたこともありましたが(でも,K泉さんが首相になったのなら彼がなっても全然不思議はなかったと思いますけどね),別に自分の出身校から総理が出て欲しいとか,出たら嬉しいとかいうことはありません.

 まあでも,K田さんは,現状見る限り,期待はできないのですが,何がどうなるかわからないというか,期待せずに見ていきますか.

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 あとは,T市さんが日本初の女性首相ということにならなかったのは,まあよかったのですが,確実に近づいた感じはします.N田さんより明らかに存在感がありましたし,K田T市連合とか,ものすごくしたたかに動いてますよね.つまり,ここまで守旧派にすり寄ってやってきたように非常に戦略的に動いているわけなんですが,そんなことでいいのか(いいわけない)とは思います.

 でも,やっぱり,どう考えても(次とか次の次とかでも)彼女ではまずいですよね.そう考えると,K田さんでよかった気もしてくるわけで,なんかはめられてる感じもしてしまいます.

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[偉くなる価値]
(世の中)

 思ったのは,やっぱり,「出世する仕組み」ですかね.無難とか凡庸とかいうような人がどうして出世したり,国や組織のトップになったりするのかってことはあるわけで,でも,何か危機に瀕しているわけでもなく,そこそこ何とかやって行けるようになって,無難が大事と考える人も多くなって,結果として無難な人が出世するわけで,つまりは,出世するとか偉くなる意味というか価値なんかもうなくなってるんだと思います.

 でも,東日本大震災とか新型コロナのことを見ればわかるように,いつそういう危機に瀕するかわからないわけですし,大地震や経済危機は必ずやってきますし,そういうときに国のリーダーが何もできずにおろおろするだけということになるわけです(しっかり,準備しておきましょう).

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[無観客]
(バドミントン)

 インカレですが,無観客のようです.もちろん,連絡して手続きをしてもらえれば入れるとは思うのですが,キャンパス公開や公開講座と重なってて行けるかどうかわからないし,まあしょうがないですかね.

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9/30'21
[消去法]
(政治)

 J民党総裁選ですが,結局,最初から決まっていたというか,消去法で決まったというか,K田さん以外はアウトだったということでしょう.K野さんは,何かやってくれそうな期待感は(国民に)あったと思いますが,既に書きましたが,何をするかわからない危なっかしさがあって,実際,討論会で大分ボロを出しました.

 結局,一番最初に書いたことに戻るというか,ずっと書いてることですが,(消去法で)K田さんになったということは,J民党というか政界にいかに人材がいないかということで,これもずっと書いていますが,とにかく余計なことをしない小さな政府になってください.そういう意味では,一番余計なことをしなさそうなK田さんということなんだと思います(強烈な皮肉).

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 もちろん,そんなに見てるわけではないですが,K田さんになったということで,エピソードというか,彼の過去を根掘り葉掘り報道してますね.ほんと有名になんかなりたくないものです.

 そういう中で,昔,地震研でいっしょだったMヶ田さん(今は京大の先生なんですね)のインタビューが出てました.開成の同級生だったらしいのですが,てことは,Mヶ田さん開成だったんですね.そう言えば,何となくそんな感じするかな.どこかで書いたと思いますが,開成って開成って感じがする(人が多い)んですよ.

 でも,K田さんのエピソードで圧倒的?に出てくるのは,東大に3回落ちたってことですかね(笑).ほんと有名になんかなりたくないものです(再).そういう意味では,O沢さんと同じケースですが(ただし,O沢さんは慶応),K田さんとO沢さんじゃ,えらい違いですけどね.

 いずれにしても,過去を勝手に詮索されて大々的に報道までされて,全くもって余計なお世話って感じですが,これで少しはここで書いたような実情が世間にもわかってもらえますかね.でも,そこでも書いたように挫折して得たものがあったのは確かだと思います.

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[大学入学時の成績ってなんなん?]

 早慶が東大,京大,東工大,一橋の滑り止めであるにもかかわらず,これだけメジャーになって,実際,社会で活躍している人達が多いってことですが,もちろん,それ(一度挫折して立ち直った)だけが理由というわけでもないでしょう.

 具体的には,早慶が第一志望というか,別に東大とか京大に行けなくて行ったというわけではない人もいるわけで,じゃあ,そういう人が活躍してないかというとそういうわけはなくて,でも,これは,東大,京大以外の旧帝大や筑波大や横国出身で活躍している人もいるわけですから,大学入学時の成績が全てではないという単純な話ですね.

 ということで,話はすぐ終わってしまった(笑)のですが,もう少し進めてみると,大学入学時の成績ってなんなん?ということはありますかね.それは,既にわかっていることを習得するという「勉強ができる」ことと,まだわかっていないことを解明したり,何らかの問題を解決する「仕事ができる」ことは違うというのは当然として,そういう要因を取り除いても,大学入学時の成績ってなんなん?ってことがあるのではないかということです.

 極端な言い方をすれば,大学入試で全てが決まるのなら,どんなに勉強がつまんなくても,意味を見出せなくても,自分を律して勉強するのは重要なことでしょうし,そういうことがあるから今の入試制度がある程度機能しているとも言えるわけです.

 問題は,大学入試で全てが決まるのかということですが,そんなわけはありません.具体的に言えば,大企業に就職したいとか,官僚になりたいとか,研究者になりたいとか,起業したいとか,何か将来的な目標があったとき,どうしても東大や京大に入らないといけないということはないでしょう.

 だったら,そんなに無理して勉強しなくても,確実に入れるところでいいや,具体的には,わざわざ東京まで行かなくても地元の旧帝大でいいや,東京に住んでたら,東大や東工大や一橋じゃなくても早慶でいいやと考える人もいると思うんですよね.

 逆に言うと,東大や京大に行く人で,そういうこととは違う何かがモチベーションになってる人も結構いて,実際,どうして東大に来たのかときかれて,一番難しいからと公言するような奴もいましたからね(特に理三.でも,これはかなり問題).

 ですから,結局は,出身大学がどこかとかは,そんなに大した意味はないのですが,それでも,個人的には行ってよかったとは思うわけで,それは,何度か書きましたが,東大がどういうところかわかったというか,やっぱり,行ってみないとわからないと思いますし,単純にいろんな奴がいて面白かったですからね.

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[非常に危うい]

 ちらっと見ただけですが,こういう状況でフェスとかのイベントが軒並み中止で,でも,そういうものが生き甲斐だと言ってる人がいました.やばいんじゃないですかね.

 ていうか,非常に危ういと思います.そういう「他人の誰かが提供してくれるもの」が生き甲斐ということは,提供してもらえなければアウト,つまり,完全に(自分では制御できない)他人に依存しているわけで,実際,こういう状況になって生き甲斐を失ってるわけですし,こういうことは,またいつ起こるかわかりません.それは,そういうものを提供する人についても同じことが言えます.

 そして,これって,定年後問題も同じですよね.誰かに依存して生きていて,その人がいなくなったらやばい,人との繋がりが重要ということですが,逆に言えば,人に依存しないと生きて行けないというのは危ういわけです.

 ということで,「一人でも大丈夫」が無敵だとは思うのですが,実際にはなかなか難しいですよね.でも,できるだけそれに近づくというか,やっぱり,「一人,時々,みんな」かなあとは思いますね.

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[84歳でも働く理由]

 そうそう,上の記事と関係するのかもしれませんが,先週のPロフェッショナルは,84歳の警備員でした.もうここまで来るとどこがPロフェッショナルやねんってことなんでしょうが,警備員と言っても極めれば奥が深いということはあるでしょう.でも,そもそも,Pロフェッショナルって,本来「そういう意味」じゃなくて,単に対価としてお金がもらえればPロフェッショナルなわけで,あなたにとって,Pロフェッショナルとは何ですか?という質問も意味不明なわけです.

 まあそれはいいとして,84歳の警備員ですが,仕事の中身は,街中で電気工事をするときに旗を振って車の通行を制御するというもので,一日立ち仕事の肉体労働で,84歳で現役というのはすごいと思いました(でも,ちょっとホッファーの沖仲仕に似てるかも).

 それで,どうして84歳になっても,こんなにしんどい仕事なのに働くのかときかれて,格好よく?金のためとか,現役の時に家庭を顧みなかった罪滅ぼしとか,妻を亡くしてそのありがたみがわかったとか,言ってたんですが,最後の方で,どんな連れ合いでもいなくなると寂しい,一人でいると余計なことを考えてしまうと言っていて,それが本音なんでしょう.

 まさに,定年後問題そのものなんですが,警備員でも時給1000円の仕事でも何でもいいから働くという選択肢はあるということです.もちろん,体が動けばということでしょうが,逆に言えば,動かなければそれはそれで仕方ないわけですからね.

 でも,そこまでしてしんどい思いして働くのかってことですよね.私はそこまでして(警備員でも時給1000円の仕事でも何でもして)働こうとは思いません.そもそも,大の怠け者ですしね.でも,そうすると,「準備」が必要になるわけです.

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 あとは「変化の問題」はありますかね.「どんな連れ合いでもいなくなると寂しい」というのはよくわかります.私も家族といっしょに暮していたことはありますが,楽しいこともある反面,めんどくさいこともあって,でも,いなくなったときは,ものすごく寂しいと思いましたし,まだ若かったから大丈夫だったんでしょうが,年老いてからだと厳しいと思うんですよね.友人とかとしばらくいっしょに過ごしてるときも,楽しいんですが,正直,めんどくさいところもあって,でも,この場合もいなくなると寂しいです.

 これって,まさに危うい幸福(幸福は危うい)そのものなわけで,それが自分が制御できない何かに依存しているのならなおさらで,しかも,寂しいという感情もかなり怪しいというか,これも「個を犠牲にして種を存続させる」本能で,だったら「最初から」いっしょに暮さなければいいとも言えるわけです.

 そして,そう考えれば,ある程度は,寂しいという感情もコントロールできるというか,一種の修行?と考えれば,何とかなるようなところもあって,でも,本能に完全に逆らうのは難しくて,ずっと一人では寂しいし,逆にずっといっしょだとめんどくさいし,やっぱり,「一人,時々,みんな」ってことですかね.

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 でも,「準備」って何でしょうね? ていうか,そんなもん必要ない,もう実質人生終わっておまけの人生なんだし,その日その日相対的にやる気にならないことはないことを淡々とやって行けばいいってことになったのでは?

 そうですね.でも,敢えて言えば「心の準備」ですかね.上の例で言うと,現役のときにバリバリ働いていたのに,歳をとったら時給1000円の誰でもできる仕事しかないのであれば,それが今の自分の社会からの評価なんだということを潔く受け入れる必要がありますし,そうでなくても,何度も書いてるように,自分が社会から必要とされていないという「心の準備」が必要でしょう.

 ていうか,人生実質終わってるわけですから当たり前のことですし,人生終わる前というか最初からそうだったとも思うんですよね.そして,それはそれで気楽な話でもあるので,悪いことばかりでもないと思います.

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[大きな流れ的に変化]
(運保)

 このファイルを見るとわかるように大きな流れ的に変化が出てきました.ここに書いていますが,過去にも政治で変化が起こるとこういうことがありました.一番鮮明に憶えているのは,こういうことを始めて少しした頃の1991年11月の宮澤内閣の発足で,そこを境に株式相場は,奈落の底へ落ちて行きました(その時,全く対応できなかったことが研究するきっかけの一つにもなった).

 今回も雰囲気は似ています(やっぱ,K田さんじゃだめってことか).もちろん,騙しの可能性もあるし,大きな流れなので,すぐにどうこうということではないかもしれないし,そもそも,実際にどうなるかはわかりません.

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[懐かしい]

 懐かしいって何でしょうね?

 具体的には,つくばが出てきた番組があったんですが,懐かしいと思いました.でも,懐かしいって何?

 ググると「(過去に自分が接したものに)心が引かれて慕わしい」と出てきます.

 うーん,別に心が引かれてるわけでも慕わしいわけでもないけど(笑).

 同じような感情は,大学に入って東京に行って,夏休みに初めて福岡に帰省したときに感じました.でも,その後,何度も帰省しましたが,そう思ったのは最初の1回だけでした.

 つまりは,いつになるかわからないけど(もう2度と行かないということはないと思うけど),こっちに来て初めてつくばに行った時だけはそう感じるってことですかね.

 そもそも,今回と大学に入って初めて帰省したときの感情とかが一般的にいう「懐かしい」かどうかもよくわからないわけですよね.

 言葉って曖昧ですからね.

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